池波正太郎 蝶の戦記 上 上巻・目次  甲 賀 指 令  杉 谷 忍 び  春 日 山 城  川 中 島  小 柴 見 城  戦  雲  そ の 前 夜  決  戦  甲 賀 の 空  転  変  再  会  岐 阜 城 下 [#改ページ]  甲 賀 指 令  目がさめるような五月晴れの朝である。  五条川のほとりの道を、ひとりの騎馬武者が汗みどろになって疾駆していた。  ひろびろとつらなる尾張平野では田植えの最中で、 「殿さまは、いつ御城へおもどりになるのかい」 「こんどの戦さは、どうなるかや?」 「きまっているわえ、殿さまの勝ちじゃ」  田地にはたらく百姓たちは、鎧《よろい》に身をかためた騎士が切割旗《きりさきばた》の指し物を背になびかせつつ、土ほこりをあげて清洲《きよす》城下の方向へ駆けて行くのを見送った。  この国の領主で、尾張国・清洲のあるじでもある織田|上総介《かずさのすけ》信長は、いま、美濃の国へ出兵している。  去年の五月十九日……。  織田信長は、 「今こそ、信長めをほろぼしてくれる」  と、大軍をひきいて押しよせて来た今川義元を桶狭間《おけはざま》に奇襲し、みごと首を打ちとってしまった。  ときに、信長は二十七歳。  それまでは、奇行、粗暴のふるまいが多く、 「あばれ法師」  だとか、 「気狂いの殿」  だとか、まるで大ばかものにされていた信長であった。  父の織田信秀が死んでからは、一族のあらそいごとに巻きこまれたりして、ようやくに尾張の国の半分を、もちこたえていたわけだが、駿河《するが》・遠江《とおとうみ》の二国に君臨する今川義元を討ってからは、 「まさに、織田は日の出の勢いとなったようじゃ」  だれの目にも、そう映った。  殿さまの武勇のすばらしさを知った領民たちは、次いで、信長の積極的な町づくりにも目をみはったものだ。  むずかしいことをいわず、どしどし他国の者を城下町へよび入れて商売をさせるし、税金の取りたてもあまりせず、使役にはたらかせることもしない。  何しろ、清洲は、 「国中、真中にて富貴の地なり」  と物の本にしるされている通りで、肥沃《ひよく》な尾張平野をわがものとしているわけだから、国が治まれば、これほど発展を約束された城下町はないといってよい。  わずか一年で、清洲の町の繁盛《はんじよう》ぶりには、瞠目《どうもく》すべきものがある。  いま、城下はずれの五条川のながれから岸辺へ這《は》い上って来た女も、この正月ごろから清洲へ住みついたひとりであった。  女は、川で水浴びをしていたものらしい。  小麦色の、水にぬれた若い裸身に朝の陽が光った。  ちょうどこのとき、あの騎馬武者が対岸の岸辺を走って来て、 「や、弓師、政右衛門のむすめではないか……」  と、息をのんだ。  そのあたりは下ノ郷とよばれる村のはずれで、川辺りの小高い丘の上にある鎮守の社《やしろ》をかこむ木立がこんもりと茂っている。  若い女の裸身が、ちらりとその茂みの中へ入るのを見たとき、武装の騎士は馬の手綱《たづな》を引きしめた。  彼方の茂みを見つめている騎士の顔が強い酒でものんだように、烈《はげ》しい血の色をのぼせてきた。  これも若い。見るからにたくましげな武士であった。  おそらく、主人の織田信長にしたがい、美濃へ出陣していたものが何かの使者として清洲の城へ駆けもどって来たのであろう。  清洲の城は、信長の重臣・林|佐渡守通勝《さどのかみみちかつ》が留守をあずかっている。  茂みの中から、麻の小袖をまとった女があらわれ、何やら白い布を川水にひたしてしぼり、ぬれぬれとした髪をふきはじめた。ほとんど腰のあたりまであろうかとおもわれる見事な黒髪なのである。 「む……」  騎士は、かすかにうなり声を発し、すばやく馬を返し、女の視界から遠ざかった。  これは、わざと迂回《うかい》して川をわたり、女に近づこうと思いたったからだ。  馬上に川をわたり、川辺りの木立に入ると、武士は馬を樹につなぎ、ほの暗く、むせ返るようなみどりの匂いがたちこめている夏木立の中をすすんだ。  水の音がすぐ近くできこえた。  武士は身を沈め、茂みの向うをうかがいつつ、手早く鎧を外しにかかった。  夏のことで、軽武装なのである。  女は、茂みの向うの夏草の上へ寝そべっていた。  腰ひももつけぬままの放恣《ほうし》な姿で、ゆるやかにくつろげたえりもとから健康そうな胸乳《むなぢ》が大きく呼吸しているのが、はっきりとわかった。  鼻声で、女が唄いはじめた。  どこかの国の、ひなびた民謡《さとうた》らしい。  あたりを見まわした武士は、すっかり身軽になった体に血をたぎらせ、じりじりと這い寄って行った。  急に、女が唄をやめ、仰向いたままで、 「滝山忠介さまじゃな」  と、いった。 「し、知っていたのか……」  滝山忠介は這い出して来て、 「悪う思うなよ」 「何の……」  物倦《ものう》げに身をおこし、女が微笑した。紅色の卵のような面《おも》だちである。紅いのは、血のいろが化粧の匂いを寄せつけぬほどのみごとさだからだ。  まゆも、まつげも黒く濃い。  もりあがった胸肉は香油でもぬりこめたような照りにかがやいていた。 「忠介さま。戦さはすみましたのか?」  おどろきもせずに、弓師・政右衛門のむすめ於蝶《おちよう》が問いかけてきた。  滝山忠介は、織田信長の弓衆の一人であるから、この年、永禄四年(西暦一五六一)の正月に弓師・政右衛門と於蝶の父娘《おやこ》が清洲城下へ居をかまえたときから、何度も出入りをしている。  いわば忠介は、政右衛門父娘の客の一人といってよい。 「戦さは、まだな、すまぬよ」  くみしやすしと見てか、忠介は男の欲情をむき出しにして、 「おい……」  いきなり、於蝶の腕をつかんだ。 (こやつ、あどけない顔をしていながら、すでに何人も男の肌を知っているにちがいない。ふむ、ふむ……そのほうが却ってよいというものだ)  あらあらしく、滝山忠介はいどみかかった。  夏草のにおいと、於蝶の新鮮な果肉のような体臭とに、忠介は惑乱《わくらん》していた。 「ま、らんぼうな……」 「よいわ。な、かまわぬ」 「らんぼうは、いや」 「だまれ!」 「お使者の役目を忘れ、このようなまねをして、よろしいのですか」 「うるさい!」  こうなると血なまぐさい戦場から駆けもどって来ただけに、忠介は一匹の獣と化してしまい、 「こやつ、しずかにせい!」  いきなり、於蝶の顔をなぐりつけた。 「なにをなされます」 「だまれ。しずまらぬと殺すぞ」  左腕に、しっかりと女のくびを抱え、汗くさい重い体をのしかからせ、忠介は右手に短刀をぬきはらい、これを突きつけた。 「いつも、このようなまねをなされますのか?」  ふしぎに、この若い女は顔色も変えないのだ。 「口をきくな、だまれ、だまれ!」  於蝶は、眼をとじた。  これで女が屈服したものと思いこんだ滝山忠介は短刀を投げ捨て、一気に於蝶の女体をむさぼろうとしたわけだが……。 「わあっ……」  悲鳴をあげて飛び退き、 「おのれ!」  左手で顔をおおいつつ、身を返して茂みの向うへ走りかけた。  ぬぎ捨てた鎧の傍に置いてあった太刀を取りに行こうとしたのである。  それよりも速く、於蝶の体が地を蹴って飛んだ。  どこをどうされたものか……。  うしろから於蝶に抱きつかれた滝山忠介が、うめき声を放ち、くずれるように倒れ伏した。  草に埋まった忠介の顔の左半分が見え、その血みどろの左眼に、ふかぶかと突き立つ一本の針のようなものが光っている。  短刀をひろい、気をうしなった忠介へ近寄る於蝶へ、どこからか声がかかった。 「殺さずともよい。於蝶よ、われらもただちに、清洲から立ちのくことになったのでな」  しわがれた老人の、つぶやくような声なのである。  於蝶とよばれた女は、この老人の声にはこたえず、ひとりごとのように、 「見るからにたくましげな忠介どのゆえ、抱かれてあげてもよいとおもうたに……」  と、いった。 「於蝶よ」  また老人がどこかで呼ぶ。 「なれど、あたまからこなたを荒々しゅうもてあそび、いきなり刀を突きつけ、わたしを思いのままにしようとした。ふ、ふふ……わたしはそれが気に入らぬ。女ごには、もっとやさしゅうもちかけるものじゃ。よう、おぼえておきゃるがよい」  かがみこみ、於蝶は気をうしなって倒れたままの滝山忠介の左眼に突き立った針のようなものをぬき取った。  ぴくりと、忠介がうごいた。  正気にもどりかけたらしい。  於蝶は短刀を持ち直した。 「待て」  しわがれた声のぬしが、ふわりと茂みの奥から浮き出した。  声にくらべて体躯《たいく》もわかわかしく、見たところ五十前後の男で、これが清洲の城下に住む弓師・政右衛門なのである。 「叔父さま。めんどうな……こやつ一人、息の根をとめても……」 「やめい」 「この滝山忠介という男は、戦場に出ても行きずりの女たちへ、いまのようなふるまいを仕出かすにちがいない。殺してしもうたほうが世の女のためになる」  と、於蝶は少年のようにすがすがしい口調で事もなげにいい放った。  このとき、うめき声を発しつつ、滝山忠介が半身をおこしかけた。  すると政右衛門が今度は駆け寄り、忠介の脾腹《ひばら》へ拳《こぶし》を突き入れた。 「うわ、わ……」  またも、忠介は失心した。  於蝶が可愛ゆげな舌うちをもらし、手の針を川水に洗い、小袖のえりもとへすいと隠しこんだ。  この針の名を、甲賀の忍びの者たちは「羅叉《らさ》の尾」とよぶ。 「羅叉」とは蜂の別名であるから、その名の由来もうなずけようというものである。  この細小で、鋭利な「かくし武器」をつかうのは甲賀忍びの中でも主として女の忍びで、時には針の先端に毒をぬりこむこともある。  その場合、針の先が相手の肉体のどの部分を刺したにせよ、急速な、しかも特殊な手当をほどこさぬかぎり、相手の息の根は半刻(一時間)を待たずに絶えてしまうわけだ。  すると、この弓師父娘は「甲賀の忍び」ということになる。  まさに、その通りであった。  弓師・政右衛門は、甲賀忍びの新田小兵衛《につたこへえ》といい、於蝶はその姪《めい》にあたる。  小兵衛がいった。 「さ、急ごうぞ。頭領様が、お待ちかねじゃ」 「叔父さま。このままでよいのか?」 「頭領様が、すぐにもどれとのおおせじゃ。お前が家を出たすぐ後で、那古屋(今の名古屋)から九市《くいち》が来ての知らせであったよ」 「九市は甲賀へ行っておりましたのか?」 「うむ。さ、急ごう。わしも近所の人びとへは別れを告げて来た。お前は今朝早く、一足先に発ったというてな」  うなずき合った二人は、風のように五条川の岸辺の茂みから走り出た。  弓師・政右……いや、甲賀の新田小兵衛は、すでに於蝶のための簡単な旅仕度をととのえて来ている。  旅仕度といっても笠に顔をかくし、草鞋《わらじ》をつけるだけのことであった。  清洲から甲賀の国・杉谷《すぎたに》までは約二十二里。常人ならば三日の行程であるが、この二人は、この日の夜が来るまでに走りついてしまうことであろう。それでも二人にとっては全力をつくしての速度ではない。 「日中ゆえ人眼につく。山に入るまでは、なるべくゆるやかに行こう」 「それにしても叔父さま。頭領さまは何のおいいつけをなさるのかしら?」  叔父と肩をならべ、整然と足なみ呼吸をそろえて小走りに走りつつ、於蝶がきいた。  於蝶は、この年、永禄四年で二十歳になる。 「まだまだ一人前《ひとりまえ》ではない」  と、新田小兵衛はいうが、五歳の幼年から忍びの術を仕込まれて育った於蝶のはたらきは、 「あと十年もすれば、まこと、たのもしき女忍びになろう」  と、頭領の杉谷|与《よ》右衛門《えもん》信正がひそかにもらしているほどであった。  小兵衛と於蝶の二人は、一昨年から那古屋近くに住み、絶えず織田家の動静をうかがっていた。  去年の五月中旬、今川義元は四万(二万五千ともいわれる)の大軍をひきい、駿府《すんぷ》(静岡市)の本城を発し、京を目ざした。  いうまでもなく、天皇のおわす京の都を治め、天下に号令せんがためである。  たちまち尾張の国に入り、織田家の支城を攻め落しにかかった。  たちまちに、丸根《まるね》と鷲津《わしづ》の二城が今川軍に攻め落された。 「とても勝てぬ」 「この上は城へ立てこもるよりほかに道はない」  と、織田の重臣たちは顔色もなかったが、主《あるじ》の織田信長は、清洲城内にあって、 「ま、みなのものもゆるりと酒でものみ、今夜はねむれ」  と、みずから酒宴をひらきはじめた。  こうした様子も、いちいち小兵衛と於蝶が、今川の本陣へ知らせていたのであった。  この五月十八日の夜は、まったく風が絶えたむし暑い夜で、雲の層が低く厚くたれこめていた。  織田信長が酒に酔いつぶれ、主殿《しゆでん》の一室でねむりこけてしまうや、 「ええ、もはやどうともなれ」 「どうせ、負け戦さなのじゃからな」  家来たちも、半ば自暴自棄となり、それぞれの屋敷へ帰って行った。 「あのような気狂いの殿につかえていてもはじまらぬ」 「明日には今川の大軍が、この清洲に押し寄せて来ようというのに、あの殿のありさまは何事だ」  信長を見捨てて、すばやく逃げてしまった家来も、かなりいたということである。  この夜。  於蝶は、織田信長がねむっている板敷きの「くつろげどころ」の天井裏に潜《ひそ》んでいた。  甲賀では、女の忍びが、このように直接、目ざす相手の城へ潜入してはたらくということは、めったにない。  だが、男に負けぬはたらきをする於蝶だけに、 「やってみよ」  叔父の新田小兵衛がゆるしてくれたものである。  このとき、於蝶たちの配下には、九市ひとりきりしか居ず、人手が足らなかったこともある。  今川軍では、たびたび於蝶や小兵衛の報告をうけていたが、そのうちに、 「もはや織田は負けも同然であるから、無理にさぐらずともよい」  と、冗談まじりに、そのようなことさえ、いい出しはじめた。 「戦さというものは何事にも予期出来ぬことのつみ重ねなのじゃ。今川の御大将は、すぐれたところもあるお人じゃが……どうも、これでは先が思いやらるる」 「どういたしましょう、叔父さま……」 「ともあれ、於蝶。われらは今川家にやとわれた忍びじゃ。やとわれた以上、それだけのはたらきをせねば、甲賀忍びの名がすたれようし、頭領様にも申しわけがない」  最後まで、織田信長の動静をさぐることにした。  そのうちに、酒宴がはじまったのである。 「どうもおかしい。明日は敵が攻めかけて来ようというのに……」  小兵衛は、くびをかしげたが、とにかく於蝶を城内へ潜入させることにした。  於蝶は難なく「くつろげどころ」の天井へ忍びこんだ。  清洲城内の警備は、おそろしくゆるやかなものであったし、 (このようなことで戦さが出来るのかしら?)  むしろ、於蝶のほうが呆気《あつけ》にとられたほどのものであった。  さて……。  およそ二刻(四時間)ほども、ぐっすりとねむりこけていた織田信長が、急に目をさまし、 「たれか、おるか?」  と、声を発した。  このとき、織田信長のそばに付きそっていたのは、於才《おさい》という侍女ひとりであった。  次の間にひかえていた彼女が、あわてて「くつろげどころ」に入って行くと、 「於才か。いま何どきだ?」  信長が、むっくりと身を起して問うた。 「はい、夜中をすぎましてございまする」 「ふむ」  うなずいたとき、信長の両眼がかっと見ひらかれたのを、天井裏の於蝶は、はっきりと見た。  そこへ、家来三名ほどが、 「お目ざめで?」  と、入って来るのへ、 「出陣の仕度をせよ!」  信長は、凜然《りんぜん》と、いい放った。  於蝶でさえも、このときの信長を、 (気が狂ったらしい……)  と、思ったほどである。  城へたてこもってさえ、とても勝てそうにないし、酒宴の後、それぞれ自邸へ引きあげ、しかも逃げ出してしまった家来たちもいるというのに、信長は城を出て今川の大軍を迎え撃とうとしているらしい。 「於才、つづみをうて!」  信長は扇をとって立ちあがり、 「人間五十年、下天《げてん》のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり……」  好きな敦盛《あつもり》の曲をうたい出しつつ、舞いはじめたものである。  於才の鼓《つづみ》が、おもくたれこめた初夏の闇《やみ》を断ち割るかのように鳴りはじめた。  於蝶は、ここで天井裏からぬけ出した。城の外に待機している叔父の小兵衛へ、このことをつたえるためであった。  主殿から、いくつもの曲輪《くるわ》をぬけ、濠の水を泳ぎわたって、城外へ出た於蝶が、侍屋敷がならぶ道の木立に身をひそめている小兵衛のそばへ駆けつけ、 「叔父さま。信長が出陣の仕度を……」 「何じゃと?」  小兵衛も、瞠目《どうもく》し、おもわず、あたりを見まわした。  侍屋敷の灯は消え、森閑《しんかん》と寝しずまっている。  逃げるものは逃げ、残っているものは、 「どうせ明日は城へ入り、いさぎよく戦って死ぬまでだ」  あきらめきっているらしい。 「ま、まさか……」 「いえ、信長は仕度を命じ、いま、敦盛を舞いはじめましたけれど……」 「あつもり……?」  小兵衛の表情が屹《きつ》と引きしまった。 「人間五十年、下天のうちを……」  という敦盛の文句は、 「人というものは五十年も生きれば、やがて死ぬものなのだ。そう考えてみると、世の中のすべてのことが、夢か、まぼろしのようにしか思えぬ」  とでも、解釈したらよいであろう。 「しもうた……」  小兵衛が唇をかみしめ、うなるようにいった。 「叔父さま。何がしもうた……?」 「お前を城内へ忍びこませず、わしが入るべきであった」 「なぜ? 於蝶は見事に役目を果してまいったではありませぬか」 「いかにもな……なれど、おそらく、お前の腕では天井裏から信長を殺すことはできなかったろう」 「信長を殺す?」 「うむ……」 「なぜ?……信長を殺せという指図は、まだ頭領さまから出てはいませぬに……」 「いかにも。われら甲賀の者は何事によらず、甲賀にある頭領様の御|下知《げじ》のままにうごかねばならぬのじゃが……なれど事と次第によっては、われらの決意をもって事をはかることもある。いま、信長を殺したとて、われらが殺したことを、だれにも知らせねばわからぬことよ、頭領様にもな……」 「なれど、なぜ信長を……?」 「信長の出陣の決心、なみなみではないぞよ」 「ふ、ふふ……」 「何が可笑しい?」 「たとえ出陣したとて、いまの信長が、あの押し寄せて来る今川の大軍に勝てよう筈はありませぬ」 「これ、於蝶。それだから、お前はまだ一人前《ひとりまえ》ではないのじゃ」 「けれど叔父さま……」 「いうな。ようきけ。ここに、十の兵をひきいた大将がいる。そこへ三の兵をひきいた大将が攻めかける。むろん、勝味はない。ないが三の兵と大将がおそるべき決死の勢いをもって突き進み、たとえ三の兵を失っても敵の大将の首をとってしもうたら、どうなる?」 「あ……」 「残った十の兵は大将を失って散り散りになってしもうではないか。織田信長のねらいは、今川義元の御首《みしるし》ひとつ討ち落さんの一事にこめられておる」  現代から四百年ほど前のそのころでは、戦争が文明社会の組織の上に成り立っていたのではない。  あくまでも統率者のちから一つが、軍隊をうごかし、国をおさめていたといっても過言ではない。  狂人のごとき織田信長の突進を、新田小兵衛が、 (恐ろしい……)  と直感し、 (信長が出陣する前に、何とか暗殺してしもうたほうが、もっとも今川義元公のために安心なことだ)  そのおもいが、 「しもうた!」  の、うめきとなってあらわれたのだ。  清洲城内に「ほら貝」の音が、ひびきわたり出したのは、このときであった。  城主の出陣を知らせる貝の音である。  たちまち、侍屋敷がざわめき出した。  諸方の屋敷に灯がともり、叫びかわす人声がわきあがりはじめた。  外濠の彼方に見える城内が押しひらかれ、松明《たいまつ》の火が闇へながれ出した。  同時に、城門の内から只一騎、武装に身をかためた騎士が馬を煽《あお》って走り出て来た。  さすがの新田小兵衛も於蝶も、これが織田信長だとは考えてもみない。  一城の主《あるじ》の出陣とはおもわれぬことであった。  総大将が兵もひきつれずに、ひとりきりで戦場へのぞむことがあり得ようか……。  この一騎が城下町の闇に消え去ったとき、別の数騎がくつわをならべて城門から走り出て行った。  これは主人・信長の後を追って、岩室《いわむろ》長門守《ながとのかみ》などの五名が城門を出たのであるが、ただの五騎だ。 「どこへ行くのか……?」  新田小兵衛は首をかしげたが、 「於蝶、追え」  と、命じた。 「あい」  間髪《かんはつ》をいれぬ速さで、於蝶は闇を切って走りはじめた。  女ながら、一日に三十余里を走る脚力をもつ於蝶だから、それほどのおくれはとるまい。 「ほら貝」は鳴りつづけている。  諸方の士《さむらい》屋敷の門がひらき、篝火《かがりび》が燃えはじめた。  馬蹄の響《とよ》みが少しずつ、散漫にきこえ、それが次第に大きく、ひとつのかたまりとなって闇をゆりうごかしてくる。 「出陣じゃぞ!!」 「夜戦さか……」  叫び声があつまり、十騎、十五騎と城門の中へ駆けこんで行ったかと思うと、たちまちに彼らは大手前の道へ走りもどって来た。 「はや、殿は御出陣であるぞ!」 「熱田《あつた》へ……熱田の宮へ……」 「なに、それは一大事じゃ!」  わめき合い、二十騎ほどが走り去る。 (あれが、織田信長であったのか……)  新田小兵衛は、むしろ茫然《ぼうぜん》としていた。  家来たちの仕度を待たず、ねむりからさめるや、信長は、 「つづくものはつづけ!」  と、いいのこしたのみで只ひとり、今川の大軍を目ざして出発したのである。  単に自暴自棄のふるまいとはいいきれぬ破天荒な出陣ぶりであった。  どちらにしても勝目のない戦さと知ったときから、信長はすべてを捨ててしまった。  勝つも負けるもない。  尾張の領主として、清洲の城主として、今川の本陣へ駆け向うことのみが残された。  信長は、すべての希望を捨て去った。  家来たちがついてこなくともよい。  大将である自分が敵の大将の本陣へ切りこむこと。これのみが戦国の世に生きるおのれのすることだと覚悟をしてしまったのだ。だから酒ものみ、ねむりもした。ぐずぐずとあがいてみてもはじまらぬと思いきわめたからである。於蝶は走りつつ、右側の武家屋敷の門がひらいて、足軽が主人の乗馬を引き出しかけているのを見た。  彼女は尋常な農婦の身なりであったが、裾《すそ》みじかに着たその衣類の上から「墨流し」をつけていた。  これは甲賀忍びがつかう簡略な忍衣《しのびごろも》で、ひとにぎりの黒布であるけれども、これをひろげて頭からかぶり、要所の「しめひも」をむすぶと黒衣を着たのと同様な効果をあげ、しかも活動に便利だ。  この墨流しをつけた於蝶が地を蹴って躍りあがったとき、 「な、何者……」  叫んだ足軽は頭を於蝶の足で蹴りつけられ、 「わあっ……」  仰向けに転倒している。 「曲者!」  玄関から走り出て来た主人らしい武士が、すかさず長槍をくり出して来た。  馬がいなないて、棹立《さおだ》ちになった。 「出合え!」  家来たちも、槍や刀をきらめかせ、殺到して来る。  ななめに身を沈めざま、 「む!」  於蝶は飛苦無《とびくない》を投げ撃った。  飛苦無は、甲賀独自の武器である。  別に「苦無」という道具もある。これは一尺余の一種の長釘で、これを石垣や岩山、木の幹などへ打ちつけ高所の昇降にもちいるものだが、「飛苦無」は形状が似ていても、使用目的は全く異なる。  飛苦無の長さは二寸前後。手の指ほどのもので鉄製。尖端はするどく、いわば一種の手裏剣《しゆりけん》といってよい。  この武器は、甲賀忍者それぞれの工夫によって重さ軽さもちがうし、形状もちがう。  於蝶は、この年で二十歳になるが、もう十数年ちかくも、この武器をつかいなれてきていた。  幼女のころから、玩具がわりにもてあそぶことをゆるされ、知らず知らずのうちに、飛苦無のあつかいをおぼえる。  男の忍びとちがい、女忍びには体力の限界もあるし、刀をふるって闘う場合が少ない。それだけに飛苦無と「羅叉の尾」は甲賀の女忍びにとって、なくてはならぬ武器だといえよう。  於蝶が投げた飛苦無は縦横に闇を切裂いて疾《はし》り、 「あっ……」 「おのれ……」  屋敷前の道に、四人ほどの家来が倒れた。  武器が武器だけに、めったには死なぬが、於蝶の奇襲に混乱する武士たちの間から、 「こやつ。何者!」  進み出て来た一人の槍先をかわした於蝶が、これを引きたぐり、石突きを地につくや、宙にはね飛んだ。  空間に一回転した彼女の躰《からだ》は、狂いたって走り出した馬の背へ落ちた。  馬術はあまり得手とはいえぬ於蝶であるが必死に手綱をあやつり、他の士屋敷からくり出して来た織田の武士たちの間を、怪鳥《けちよう》のように駆けぬけた。  清洲から那古屋へ……。  那古屋から熱田神宮まで一気に駆け、ここで後から来る家来たちを待った織田信長の前に、千人余の将兵があつまった。  主人のすさまじい気魄《きはく》に引きこまれ、ここまで馳せつけたものたちは決死の強者《つわもの》のみといってよい。  於蝶も、只一騎の先発が織田信長と知って瞠目したものである。  夜が明けはなれ、次第になまぐさい風が吹きつのり、黒い雨雲が天をおおいはじめる中を、千余の織田軍は急進に急進をつづけた。  おくれて清洲を出た新田小兵衛も、どこかで馬をうばいとったらしいが、これはもう間に合わぬ。  で……。  於蝶ひとりが、今川軍と織田軍との間を往復しつつ、報告をおこなったわけだが、今川軍では女忍びの報告など問題にせぬほど戦勝に酔っていた。  今川義元の侍臣で、大沢|玄蕃允《げんばのじよう》というのが、於蝶たち甲賀忍びのあつかいをしていたが、 「よい、もうよい。休息せよ」  にやにやと笑っているばかりで相手にもならぬ。  物見の兵すら出していないありさまなのである。  於蝶は舌うちをした。 (では、勝手になさるがよい)  途中で出会った配下の九市にも、 「お前も、この様子を見ては、はたらく気にもなるまい」 「はい。なれど……これは、もはや勝ち負けは決したのも同様で」 「なぜ?」 「いかに決死の織田勢といえども、この大軍へもみ入ったとて、とてもとても勝目はござるまい」  九市ばかりか、於蝶もそう思っている。 「九市。叔父さまが後からおいでになる。見つけ出して、お指図をうけてきておくれ」 「ねい」  九市が駆け去るのを見送り、一息入れてから、於蝶も今川軍からはなれ、こちらへ向って前進しつつある織田軍のうごきを見張りに出た。  すでに昼近い。  墨流しをつけているわけにもゆかず、馬に乗ることも怪しまれるだけだ。  織田方では、すでに物見の士を出しているにちがいないからである。  午後になると、雨が叩いてきはじめた。  雷鳴もすさまじくなる。  笠をかぶった農婦のすがたで街道を行く於蝶は、一人きりだけに両軍のうごきを的確につかめなくなってしまい、もう、どちらでもよいと思いはじめていた。  豪雨をついて、約二千に増えた織田軍が、田楽狭間《でんがくはざま》に陣を張り、戦勝の酒に酔っていた今川軍を奇襲したのは、この日の午後二時ごろであったろうか……。  雷や雨の響《とよ》みで、今川軍は、ひそかに肉薄して来る織田軍に全く気づかなかったものらしい。  この「桶狭間の戦い」とよばれる戦闘によって、大将の今川義元は、あっけなく首をとられてしまった。  二時間ほどの戦闘で、戦死者二千余を残し、今川軍は散り散りに退却してしまったのである。  この戦闘は、むろん織田信長のすさまじい捨身《しやしん》がもたらしたものであるけれども、 「それにしても叔父さま。あまりにも今川方の仕様は勝ちおごりにすぎていましたものね」  と、於蝶は後にいった。 「やるだけのことはやった。わしら三人の忍び仕組では、あれが精いっぱいのことゆえな」 「もう、わたし、今川方のためにはたらくのは、いやになった」  しかし、甲賀の頭領杉谷信正は、 「那古屋から清洲へうつれ」  と、命じてきた。  これが、去年の暮である。  で、今年の正月になってから……。  新田小兵衛は、今まで住んでいた那古屋近くの村に下忍《したしのび》九市を残し、於蝶をつれて、今度は弓師親娘となり、 「但馬《たじま》の国からまいったもので……」  と、清洲の城へ移り住んだ。  今川家は、総大将の今川義元が討死をしてしまい、しかもその首を織田方にうばいとられるほどの大惨敗をこうむった。  織田信長の名が天下にひろまったのと反対に、義元の天下制覇の夢は他愛もなく消えつぶれ、駿河へ逃げ帰った今川軍は義元の子|氏真《うじざね》を主人とあおぐことになる。  首のない今川義元のなきがらは、辛うじて家来たちが馬へのせ、これを三河の牛窪《うしくぼ》にある大聖寺へほうむったそうだ。  首は、織田信長が返してくれた。 「さらしものにするにはおよばぬ」  と、信長は十人の僧をつけ、義元の酒にひたした首を白木の桶にいれ、白のねり絹をもって包み、これを立派にかざりつけた輿《こし》へおさめ、駿河の城へ丁重に送りとどけてきた。  あの鬼神のような突進を敢行した信長にしては、いかにも尋常なふるまいではある。  このことを知って、 (ただの大将ではない)  と、於蝶にもわかった。  新田小兵衛も、 「あのように礼をつくすことが織田の武名をいっそうに高めることを、信長はよくわきまえているのじゃ。乱暴無類の大将に見えて、胸の底には、はかり知れぬほどの心づかいがある。これは……信長は、おそろしいぞよ」  と、いった。  こうして、小兵衛と於蝶は清洲城下へとどまっていたのだが、これは今川家のためにはたらけ、という頭領の命令が消えなかったからだ。  今川家は、今川氏真が当主となったけれども、 「もはや、いかぬ」  と、早くも三河の松平元康(のちの徳川家康)は、それまで従っていた今川家を見かぎり、この春になると織田信長のさしのべた手をためらうことなくつかみ、ついに同盟の約をむすんでしまった。  こうしたわけで、小兵衛たちのことなど今川家ではかまいつけるどころのさわぎではないらしい。  今川氏真は、父・義元を討った織田信長へ弔《とむらい》合戦を仕かける気もなく、次第に酒色にふけりはじめるようになった。 「頭領さまのお呼び出しというのは、なんでしょうか?」 「羅叉の尾」で左眼を突刺し五条川の岸辺に滝山忠介を倒した於蝶は、甲賀への道を走りつつ、新田小兵衛に、 「もはや、清洲に帰らぬでもよいのか、叔父さま」 「いかにもな。九市にまでも戻れとおおせあったそうな。きっと新しい指図があるにちがいない」 「九市は?」 「一足先についておろうよ」  夜がふけるころ……。  二人は甲賀へ入った。  現在の草津線が京都を発車し、琵琶湖の南岸・草津から、野洲《やす》川に沿って東南へ石部、三雲を経て貴生川《きぶかわ》駅へ達する。ここまで京都から鈍行で約一時間半。東から南へかけて鈴鹿の山嶺がつらなり、北には蒲生《がもう》、西には栗太《くりた》の山々がつらなり、甲賀山地を包みこんでいる。  貴生川から南へ一里。  そこが、杉谷の里であった。  この杉谷を本拠とする豪族が杉谷家で、当主の与右衛門信正は六十をこえているが、近江《おうみ》の観音寺城主・佐々木|義賢《よしかた》のために忍びばたらきをし、扶持《ふち》も受けているほどだ。  今川義元のために、新田小兵衛たち三人をさしむけて織田の動静をさぐらせたのは、佐々木義賢が、 「今川家でも熟練の忍びがほしいそうな。はたらいてやれ」  と、杉谷信正にいったからだ。  佐々木と今川は、ひそかに手をむすびかけていたのである。  なにしろ、近江国の管領《かんれい》職をつとめているほどの佐々木義賢であるから、今川義元も粗略にはあつかわぬ。自分が京へのぼって天下を号令するためにも、近江をおさめておかねばならぬし、佐々木もまた、美濃の斎藤、尾張の織田などの戦国大名を押えておくためにも今川の存在を無視するわけにはゆかなかったのである。 「おう……居館《やかた》の灯が見えたぞ」  山峡に細長くひろがる甲南の田地を突切りながら、小兵衛がなつかしげに於蝶へささやいた。  闇の中に、ひっそりと村落が横たわっている。  この西側に、小さくはあるが、そそり立つような山があった。名を堂山《どうやま》という。  山裾に不動堂があり、杉木立に沿った小道を西へまわりつつ、のぼって行くと前面に、杉谷屋敷がのぞまれる。  屋敷の石垣塀は、山肌のうねりに沿って複雑に曲折しており、この塀の外面には幅二間《はばにけん》余の空堀が掘りめぐらされていた。  屋敷門の前に橋が、かけられてあった。  橋は「はね橋」であって、これを上げてしまえば、屋敷全体が小さいながらも一種の城砦と化すわけであった。  夜であるし「はね橋」は上がっていたが、 「さ……」  小兵衛がうながすや、於蝶の躰は吹きながれる風のような自然さで空堀を飛びこえてしまっている。  小兵衛も飛びこえ、 「虎屋口《こやぐち》から入ろうぞ」  門を叩こうともせず、石垣塀に沿ってまわり、大銀杏《おおいちよう》の幹がのぞいている塀外に立ち、小兵衛がくちびるへ右の小指一本を差し入れ、 「キョキョ、キョ、キョ……」  鳥の声を放った。  杜鵑《ほととぎす》の鳴声らしい。  於蝶は、ぴたりと小兵衛の背へ自分の背をつけ、二身同体のかたちとなりつつ、闇の中を注視していた。  このあたりは頭領・杉谷信正が支配する土地であるし、道も川も山も我家同然ではあったが、他国から戻って来たときの心得として、二人は杉谷屋敷へ入るところをだれにも見られてはならぬのであった。 「キョキョ……キョキョ……」  ふたたび鳴声を放ったのち、新田小兵衛は呼吸をはかり、 「む!!」  低いうなり声を発して於蝶をうながすと共に、二人は同時に石垣塀へ躰を打ちあてた。  塀が、二人を呑んだ。  二人が打ちあてる転瞬に、塀の一箇処が内側からひらき、迎え入れたのである。  小兵衛と於蝶が塀の内側へ溶けこんだとき、塀は音もなく閉ざされていた。 「お帰りか……」  銀杏の樹の蔭から、しわがれた声がきこえた。 「源七殿か……」 「うむ。頭領様がおまちかねじゃぞ」 「御寝所じゃな?」 「いかさま」 「このまま、通ってもよいか?」 「よいわえ」 「では……」 「於蝶じゃな」  と、源七とよばれた黒い影が闇に浮いて出た。これは頭領の一族で、杉谷源七という老人だが、いまはもう八十に近い老齢だという。源七はみずから、石垣塀の「隠し門」の開閉を買って出ている。 「於蝶よ。大きゅうなったの」  源七が、ふくみ笑いをして、いった。  石垣塀の内側にも、土塀があった。  いったいどこに、屋敷の玄関がまえがあるのか、はじめて見るものには見当もつくまい。  源七と別れた新田小兵衛と於蝶は、土塀に沿って小走りにすすむ。  と……。  二人の姿が急に消えた。  土塀の中に呑まれたのである。  速足に歩きつつ、小兵衛が土塀の下側に隠されている仕掛けの「押し口」の楔《くさび》を足で押し、土塀の一部が割れるのと同時に、於蝶の手を引き塀の内側へ音もなく躍り入ったのだ。  甲賀には、この杉谷信正のような豪族・武士が二十数家もあって、そのほとんどが、忍びの者の配下を抱え、血なまぐさい戦乱の世を生きている。  それぞれの屋敷も、杉谷屋敷と同様の防備と秘密めいた構築によって、いざという場合のそなえとしていることはいうまでもない。  うるしを塗りこめたような内庭の闇であった。  またも土塀がある。  その土塀の裾に屈みこんでいた黒い影が、 「お待ちかねでござる」  と、ささやいた。  これも杉谷配下の忍びで、市木平蔵という若者だ。  ふだんならば、ここに見張りがいることはない。  小兵衛と於蝶の帰館に対しての手くばりなのであろう。  ということは、頭領の杉谷信正が二人へあたえる指令がかなり重要な意味をもっていることをしめす。  土塀の一角が割れた。  二人は尚《なお》もすすむ。奥庭であった。  ふかぶかとした藁屋根の下に居館の一部が見え、奥庭の突当りは竹林で、この中へ分け入ると、突然に眼前へ白い壁が立ちふさがる。  小兵衛は於蝶をうながし、この白壁の前へひざまずき、 「小兵衛、ただいま到着」  と、いった。  すると、眼前の白壁の中から声があった。 「於蝶もかや?」 「はい」 「待ちゃれ」  しわがれた声である。これは当主・杉谷信正の姉の伊佐木《いさき》という老女で、於蝶は幼女のころから、この老女の熟練した忍び術によってきたえられてきたものだ。  一瞬、於蝶の双眸《め》が、なつかしげな光りをたたえたようである。  沈黙し、くびをたれている二人へ、やがて、また壁の中から、細い女のような声が、 「今川との縁《えにし》は切れた」  と、告げた。  頭領・杉谷与右衛門信正の声であった。 「さようでござりましたか……」 「うむ。二人とも元気のようじゃな」  このとき、白壁に二尺四方ほどの空間が、ぽかっと口をあけた。  黒い壁穴に、黒い顔がのぞいた。  内も外も黒一色なのだが、杉谷信正や小兵衛たちに灯《あかり》はいらぬ。  錬冶《れんや》されつくした忍びの眼は、獣のような原始のちからをそなえている。  |にょろり《ヽヽヽヽ》と、糸瓜《へちま》のように長い杉谷信正の顔を見ただけでは年齢のほども判然としない。異相であった。  針のように細い両眼の上に、むろん眉があるのだが、眉と眉の間隔がなかった。  つまり、一本眉なのだ。それもふとい。この一文字にひかれた一本眉の下に眸が見えぬほどの細い眼が、ねむりこけているように瞼に埋もれているのである。  この年、杉谷信正は五十五歳になってい、十五年前に父の与藤次《よとうじ》信輝が病没してのちは、杉谷家に所属する約二十四名の忍びを指揮するようになった。 「二人ともに、ようきけい」  と、信正があたたかい親しみをこめ、やさしげに、 「越後へ行ってもらわねばなるまい」 「越後……まさか、長尾|景虎《かげとら》公のもとへ、ではございますまいな」 「いまや景虎公は関東管領の職に任じ、前管領・上杉家の家名をおそい、上杉政虎公となられた」 「いかにも……さようでございましたな」  関東管領とは、足利将軍の命をうけ、関東一帯を総管するのが役目なのだけれども、かんじんの将軍が、うちつづく戦乱の世にもみぬかれてちからおとろえ、現・足利十三代将軍・義輝も、おちおち京の都に腰をおちつけていられぬほどであった。  諸国の大名、豪族は、それぞれに領国での勢力をのばし、はげしく戦いつづけ、日本全土のどこもここも戦火のやむことのない時代なのである。  だから関東管領も名のみのことで、前管領の上杉|憲政《のりまさ》は、ついに関東をおさめきれなくなり、 「助力をねがいたい」  と、越後の長尾景虎のもとへ逃げこんだ……といってもよい。  景虎はこのとき二十三歳の若さで、亡父・為景《ためかげ》の後をうけつぎ、春日山《かすがやま》(新潟県高田市)城主となってから、まだ月日も浅かった。  だが、たちまち自国を武力平定し、関東進出をねらっていたところへ、管領家が「助けてもらいたい」と、ころげこんで来たのである。  これから、長尾景虎のすさまじい戦国大名としての活躍が、はじまる。  その成果と実力のすばらしさは、九年後の今日、ついに管領職についたことによってもわかろうというものだ。  ここに長尾景虎は、関東管領・上杉政虎となったのだが、以後、この物語を、あまりにもなじみふかい彼の名──上杉|謙信《けんしん》の呼名をもってすすめたい。  甲賀の頭領・杉谷信正は、小兵衛と於蝶を、この鬼神のごとき猛将のために、はたらかせようとしているらしい。 [#改ページ]  杉 谷 忍 び  堂山のすそから山腹にかけ、石垣塀と空堀と、さらに、いくつもの土塀のうねりが複雑にのびている杉谷屋敷の内には、杉谷信正につかえる忍びたちの家もふくまれている。  忍びの術といえば「甲賀・伊賀」の二流が代表的なものとされている。  それもこれも、この両地が、天皇おわす京の都に近く、しかも波のうねりのような山々にかこまれてい、忍びの術の発達に益すべき環境にあったからといえよう。  当時、京は日本の首都である。  戦国の大名たちが、群敵を制圧し、この首都をおさめ得ることによって、天下人《てんかびと》となり、日本に号令することを得る。  このことを、上洛《じようらく》とよぶ。  足利将軍という天下人がいることはいても、いまの戦国大名たちはこれを問題にしてはいない。利用することだけを考えている。  ゆえに、上洛をはたすため、京をめざして戦い、進みつつある諸国大名の角逐《かくちく》は、ようやくすさまじい様相を呈してきはじめた。  ゆらい、京の都をめぐる戦乱は絶えなかった。  ことに、近江国(滋賀県)の東南にある甲賀の地は、於蝶の叔父・新田小兵衛のことばを借りていえば、 「われら甲賀の地はな、むかしむかしのころより天子さまの御庇護をうけ、われら祖先のものは、われらの土地にまつられた神々の社をまもるというつとめがあった。すなわち、神をまもること、土地をまもることじゃ」  と、いうことになる。 「そのこころこそ、われらが甲賀忍びのこころなのじゃ」  なのだそうである。  甲賀には「五十三家」とよばれ、あるいは「二十一家」といわれる郷士の指導者たち、──つまり大小の豪族がいる。 「むかしは、それぞれに、わが土地、甲賀の国のためにはたらけばよかった忍びたちじゃが……このように天下が乱れ立ってきては、それぞれの思うところに心が別れてしもうたわえ」  と、これは杉谷信正の姉、伊佐木の述懐であった。  甲賀の豪族たちも、 「いまに、天下はどのようにして一つになるのか?」  そのことを懸命に考えぬかねばならぬときがきている。  天皇─足利将軍─甲賀というつながりが断ち切られてから、すでに長い歳月を経ているのだ。  いまに天下をつかむ英雄はだれか……?  そこに目標をすえて、はたらかねば、甲賀の地の安全はのぞまれぬ。  そこで、豪族たちの意見も、当然に分れてくるし、ついには、個々の考えにしたがい、活動せざるを得ないことになってきつつある。 (それにしても、越後の長尾……いや、上杉謙信公のために忍びばたらきせよとは……?)  於蝶も意外であった。  頭領さまと、まだ密談があるらしい叔父を奥庭へ残し、内土塀の外へ出て来た彼女へ、地の闇を疾《はし》って、いきなり飛びついたものがある。  地の底から躍り出したような、その小動物は二匹の鼠であった。  するどい鳴声と共に、於蝶の顔面を襲った鼠二匹が、彼女の喉もとへ噛みつくよりも速く、 「む!」  於蝶は仰向けに、まるで板戸でも倒したように身を倒すや、土塀の彼方めがけて、二個の飛苦無《とびくない》を投げた。  闇を切りさいて飛んだ飛苦無は、土塀の上をこえて奥庭のどこかへ落ちたらしい。  手ごたえはなかった。  その手ごたえをたしかめるより速く、於蝶の躰は地を蹴って舞いあがり、空間に一回転しつつ、 「む! や!」  さらに三個の飛苦無を内土塀とは反対側の闇へ飛ばした。  これも手ごたえはない。  一個だけが槐《えんじゆ》の喬木《きようぼく》の幹に突き刺さった。  地に落ちた於蝶がまたも「敵」にそなえて身をひるがえそうとしたとき、 「もう、よいわえ」  いつの間にか、すぐそこの地に伏さっていた黒い影が、ふわりと手をのばして於蝶の右足を撫でたものである。 「あ……」  於蝶は、からだをすくませ、 「おばばさまか……」 「おうよ」  黒い影が、眼前に立ちあがった。  先刻、頭領と共に白壁にいた伊佐木であった。  この老婆は杉谷信正の長姉で、年齢も七十に近いらしい。  背丈《せたけ》も低いし、まるで、ひとにぎりほどの老婆なのだが、於蝶は手もなくあしらわれたという感じであった。 「とても、とても……かないませぬ」  於蝶は、うなだれた。 「けものをつかっての忍びなぞは、幼稚《こども》忍びよ。なれど、この伊佐木がおこなえば頭領どのにても煙にまいてみしょう」  と、伊佐木は得意気にいった。  それほどの名手なのだから、 「お前がおよばぬはむりもない」  というわけであろう。  白髪の伊佐木の老顔には、さすがにしわも多いが、肌は薔薇《ばら》色にかがやいて見える。  屋敷内の伊佐木の住居へ共に入り、灯の下で久しぶりに「わが師」でもあるこの老婆の、まるで童女のようにあどけない顔貌を見たとき、 (このお師匠さまが、七十近い今までに敵を殺傷することのかぞえきれぬ、というのは、まことなのだろうか……?)  於蝶は、前からいつも考えていることを、あらためて思いおこさずにはいられなかった。  どこからか、この小さな住居へ走りこんで来た二匹のねずみが、伊佐木のふところへ飛びこみ、もぐりこんでいった。  甲賀では、伊佐木のことを「ねずみのおばば」と、よんでいる。  忍びの術のうち、諸動物を利用することは、かなり重要なものとされている。  蛇、犬、鼠、猫、猿など……。  いずれも、その動物の特性をのみこみ、自在につかいこなすためには、忍びの者自身も、長い歳月をかけて「術」をまなばねばならぬ。  杉谷屋敷の伊佐木は、蛇もつかうが、ねずみを飼いならし、若いころは十数匹をふところにして他国へ忍びばたらきに出たそうな。 「ねずみはな、他国へつれて出ても餌の心配がいらぬし、荷物にもならぬし、これほどあつかいよい生類《しようるい》はないぞよ」  と「ねずみのおばば」はいう。  おばばの口笛や手拍子によって、ねずみどもが自由自在にあやつられるさまは、まさに見ものであった。ときには猫の鳴声によって、ねずみどもをうごかすこともある。  敵の城や居館へ忍びこみ、秘密書類などをひそかに盗み取るときなど、伊佐木は、この小動物をつかって絶妙の術を見せるのである。  甲賀二十数家の頭領たちの中でも、柏木郷に宏大な屋敷をかまえる山中|俊房《としふさ》のように百名に近い忍びを抱え、完璧な組織網をほこるものもあり、杉谷信正のごとく二十名そこそこの忍びをつかって仕事をするものもある。  こうして、戦国時代もこのころになると、甲賀の山中、望月、池田など、それぞれの豪族の忍び組織には異なる特徴が出てきており、ゆえに彼らは互いに頭領の名をとって「山中忍び」とか「杉谷忍び」とか、よびならわすようになっていた。  で……。 「杉谷忍び」の特色といえば何か?  忍びの人数が少いだけに、そのはたらきも端的に相手へ立ち向うことになる。  たとえば、密書をうばい取る、盗み出す。暗殺をおこなう。  したがって長期間にわたり、相手の動静をさぐり、その情報を送るとか、相手の腹中へ入り、組織的にこれを壊滅するとか、などの大仕事はあまりやらぬようだ。  しかし杉谷屋敷の「ねずみのおばば」といえば、甲賀の忍びたちの間で知らぬ者はない。  於蝶の父・萩原左内は、杉谷家にしたがう忍びの中でも身分がよく、母の梅尾は別に女忍びではない。ちなみにいえば、新田小兵衛は母の弟にあたる。  父・左内が死んだのは、於蝶が四歳のときである。  ときに天文十四年の秋で、左内は「杉谷忍び」の一人として三河の大名・松平広忠にやとわれ、広忠が織田信長の父・信秀と安祥《あんじよう》に戦ったとき「戦《いく》さ忍び」として戦場に出て、戦死をしたのだという。 「戦さ忍び」というのは戦場において忍びばたらきをする忍者をさす。 「お前の父《てて》は、織田信秀の首をねらって戦さ忍びに出たのじゃ」  と、後になって伊佐木が於蝶へ洩らしたことがある。  このときの戦さでは、松平広忠が清縄手に織田軍のはさみ打ちにあい、ひどい負け戦さになった。  松平広忠は、徳川家康の父である。  そのころは、信長の父と家康の父が鎬《しのぎ》をけずって争い合っていたのに、十六年後のいま、子の信長と家康は同盟をむすんだ。 「これからも、まだまだ世の乱れはつづこうぞ」  と「ねずみのおばば」の伊佐木は、ふところから小さな顔を突き出し、まばたきをくり返している二匹の鼠をゆびで愛撫しつつ、 「於蝶よ。二人して、久しぶりで粥《かゆ》など食べようぞえ」 「あい」  初夏の夜ではあるが、甲賀の山里は冷える。  この伊佐木の住居は杉谷屋敷のうちで、もっとも高所にあり、母屋とは渡り廊下によってつながれていた。 「越後へおもむくそうじゃな」  伊佐木は、炉の火をかきたて、土鍋をかけて粥の仕度にかかりつつ、 「こたび、小兵衛とそなたが忍びばたらきするは、頭領どのの御一存じゃぞ」  といった。  すでにのべたように杉谷信正は、近江・観音寺城主・佐々木義賢の扶持《ふち》をうけ、これにしたがっている。  今川家のために於蝶たちがはたらいたのも、佐々木義賢の命によってのことだし、佐々木家以外の忍びばたらきを杉谷屋敷ではおこなわぬことになっていた。  佐々木義賢の本拠は近江平野の中央にそびえる観音寺山にあり、鎌倉幕府のころから近江の国の守護(その国をおさめ、さむらい、豪族たちを支配する役目)に任じ、足利将軍の室町幕府となってからも、ひきつづいて近江に君臨する名家であった。  この佐々木家が二つに分れ、六角《ろつかく》氏と京極《きようごく》氏と称しているが、佐々木義賢は六角氏ということになる。  すでに十八世代を経、四百年の歴史をもつ佐々木家と甲賀との関係はふかい。  甲賀から北へ十余里。琵琶湖の南岸にそびえる観音寺山の城を、 「もはや、昔日の威望のみをもって、近江を押えるわけにはゆかぬ。戦乱の様相、ただならぬことになってまいったわ」  と、城主の佐々木義賢は、城の改造を十年も前からつづけているらしい。  その、主家ともいえる佐々木家には内密で、杉谷信正は上杉謙信のために、はたらこうとしている。 「頭領さまは、なにを考えておられるのでしょうか?」  於蝶が伊佐木に問うたとき、一陣の風のように大きな黒い影が部屋の中へあらわれた。  その黒い影が、どこからこの部屋へ入って来たものか……。  渡り廊下への戸口も、表口の戸も音をたてなかったし、いつ部屋の障子やふすまが開かれたのか、それもわからなかった。  ただ音もなく、空気のように部屋へながれこんできた黒い影が床の間を背にしてすわりこんだとき、 「与次郎どのかや」  伊佐木が黒い影へ背を向けたままで、 「いつ、もどったのじゃ?」 「いま……」  と、黒い影がこたえる。  於蝶は、この黒い影の出現にも全くおどろいた様子はない。  彼女は、炉端にすわりこんだまま、くびをすくめるようにして、いたずらっぽい微笑を黒い影に投げているのである。 「於蝶かい」  黒い影がよびかけ、炉端へにじり寄って来た。  炉の火あかりに、その大男の容姿が浮きあがった。  男は黒の僧衣をまとった坊さまであった。  この男、頭領・杉谷信正の末弟で、名を与次郎光安といい、若いころから僧籍に入って善住房光雲《ぜんじゆぼうこううん》と名のっている。  頭領の弟であるからには、伊佐木にも弟なのだが、あまりに年齢がへだたりすぎているため、善住房は、この姉のことを「おばば」とか「穴虫《けつちゆう》さま」とかよぶ。 「穴虫」すなわち、ねずみの別名であることはいうをまたぬ。 「於蝶よ。ぬしは、もう何人の男の腕に抱かれたのかよ?」  善住房が、ふとい鼻をひくひくさせながらいう。 「甲賀の女忍びは男に抱かれるのではありませぬ。善住さま」 「ほ……?」 「男を抱いてやるのです」 「ふむ。出来た」  ぽんと手をうち、巨体をゆすって善住房は笑い出した。  兄の杉谷信正は濃い一本眉の異相であるが、善住房の眉毛は、ほとんどない……ほどにうすかった。  だから、眉毛のない達磨《だるま》のように思える善住房光雲であった。  彼は、四十歳をこえたばかりで、いまは観音寺山にある観音正寺に住んでい、城主・佐々木義賢の御伽衆《おとぎしゆう》をもつとめているのだ。  御伽衆とは、殿さまの話相手のようなもので、善住房は忍びの術にも長じ、学問にもふかく、諸国を歩きまわって来た人物だけに、佐々木義賢も、なかなか手もとからはなさぬ。 「病気といいたて、観音寺の殿に、おいとまをいただき、戻ってまいった」  と、善住房が伊佐木に告げ、さらに於蝶を見やって、 「おい、わしはな、今度、お前と共に忍びばたらきすることになりそうだわえ。兄上にはこれから会うのだが……どうも、そのようにおもえてならぬ」  すると「ねずみのおばば」が軽くうなずき、 「その通りじゃ」 「まことか、おばば。やはりな……」  傍できいていて、於蝶は胸がときめいてきた。  善住房は忍びの術よりも、鉄砲の名手である。  ポルトガルの船が種子島《たねがしま》へ漂着し、鉄砲という恐るべき文明の武器を日本へつたえてから、まだ二十年にもならぬし、日本の大名や武将たちも、この南蛮渡来の武器をつかいこなすところまでいってはいない。  鉄砲は、ヨーロッパからはるばる海を渡って種子島につたわり、九州へ少しずつ、ひろまっていった。  ポルトガル人が九州の大名たちへ高価に売りつけたからである。当時、種子島へわたっていた堺の商人・橘屋《たちばなや》又三郎によって堺の町に持ちはこばれ、又三郎は鉄砲つくりとなった。  そして、このヨーロッパのムスケット銃を研究し、やがて日本製の鉄砲が生まれ「種子島銃」と名づけられる。  この橘屋又三郎のところに、近江・国友《くにとも》の村から弥七、多吉、助五郎という三人の刀鍛冶が弟子入りをし、製法をおぼえて近江へ帰り、やがて国友村は鉄砲生産地として戦国大名が垂涎《すいぜん》の場所となるのだ。  だが、鉄砲は貴重品で数も少い。  火縄銃で一発撃てば、後の弾丸をこめ直さねばならぬ。  わずかな鉄砲で、いちいち弾丸をこめていたのでは、馬上の騎士が槍をふるって突撃して来るのをふせぎ切れたものではないので、戦場における鉄砲の価値が天下にみとめられるのは、まだ後のことになる。  しかし……。  一発にすべてをかけ、一人の人間を殺すためには、これほどすばらしい武器はない。 「わしはな、種子島にかけては日本一だぞよ」  と、善住房が於蝶にいった。その通りかも知れぬ。 「兄上、わしの鉄砲で、だれを殺せといわるるのかな?」  たのしそうなのである。  そこへ、声がきこえた。  声は床の間の柱の中からきこえた。  柱は空洞になってい、この部屋と別の場処を特別な設計によってむすんでいるらしい。 「善住房様。頭領様がおよびにござる」  と、声がつたえた。 「ほい」  善住房は気がるく立ちあがり、 「於蝶よ、こんどの旅はたのしいぞよ。時しも夏じゃ。野や山にこころよくねむりながら行こう。そして、このわしに一度、抱かれてみる気はないか。いやいや、抱いてくれてもよいのだ」  忍びの者にしては、型やぶりに愉快な善住房が、ふわふわと部屋の壁の中へ溶けこむように消え去ったのち、伊佐木が於蝶に、 「こたびは、いのちがけじゃぞよ」  と、念を入れてきた。  その翌朝……。  於蝶は、母の墓に詣でた。  越後の国へ忍びばたらきに行くということは、彼女にとって、はじめての遠国へ出ることになる。  叔父の新田小兵衛や善住房は、越後や信濃の地理をよく知っている。それだけに、於蝶は腑《ふ》に落ちないのだ。  地相もわきまえていない自分を、 (頭領さまは、なぜ、越後へお出しになるのか……?)  であった。  亡母・梅尾の墓は、堂山の西側の斜面にある。  夏木立に、筒鳥が鳴いていた。 「ぽん、ぽんぽん……」  と、於蝶は筒鳥の鳴声をまねながら、木立の中の小さな草原にもうけられた墓地へ入って行った。  この墓地は宇都谷の正福寺のもので、父も母も、ここにねむっている。  父母の墓のまうしろの栗の木が、黄白色の穂状の小さな花をふさふさとつけて、つよく匂っていた。  母は、於蝶が十歳の夏に病没してしまったのである。  於蝶のほかに、病身の母は男子を生んだが、これは一年もたたぬうちに亡くなってしまった。  からだが弱いというのに、ふっくりと白く肥えていた母の柔和な顔を、於蝶が想いおこしつつ、いつまでもたたずんでいると、 「ここにいたか」  新田小兵衛が墓地へあらわれた。  小兵衛は亡母より一歳下だから、今年で四十五歳になる。見たところは五十をこえた老けかたで、ふだんは足もともおぼつかなげな様子を見せたりしているが、いざとなったとき、この叔父がどのように俊敏なはたらきをするか、それは於蝶がよく知っている。 「於蝶よ、甲賀を発つまでには、まだ五日ほどはかかろう。ゆるりと亡き母に別れを惜しむがよい」  於蝶は、うなずいた。  忍びの足で一日か二日で行ける国ではない上に、今度の仕事には、よくよくのむずかしい事情があるらしい。  善住房も、どこかへ姿を消してしまった。 「越後へは、叔父さまと善住さまと、わたしの三人でか?」 「いや、九市も行く。そのほかに五名ほどが上杉家のためにはたらくことになるらしい」 「え……それほどに大切な忍びばたらきになりますのか?」 「うむ。そのことだけは、今ここで、いうておこう」  小兵衛は、この姪に覚悟をきめておけ、といっているのらしい。  なるほど、それだけの大仕事となれば、忍びたちが使用する武器や火薬など、そのほか種々の連絡組織を急いで調整しておかねばならない。  たとえば、忍び武器の飛苦無一つにしても、忍びそれぞれが自分に合った形状をあつらえるのだし、これを甲賀から絶えず補給するだけの用意を、ととのえておかねばならぬ。  杉谷屋敷の内には、刀鍛冶もいるし、薬草や火薬を調合する仕事場もある。  於蝶たちが戻る前から、それらの仕事場では、あくまでもひそかに、しかし昼夜兼行で「越後行き」のための仕度が急がれているらしい。  屋敷の内外における見張りも、きびしいわけであった。 「於蝶よ」  と墓地を出るときに新田小兵衛がいった。 「お前は、こののちも甲賀の女忍びとして生くるつもりか?」 「なぜ? 叔父さま……」 「お前がその気なれば、わしの姉……いや、お前の亡き母のように、忍びをやめて人の妻となってもよい。と申しても、他国の男へ嫁ぐわけにはゆかぬ。どうじゃな、市木平蔵などは?」 「平蔵どのの嫁になれと、申されますか?」 「平蔵は、お前に執心じゃそうな。どうしても、お前を嫁にもらいたいと、頭領様に申し出たという」 「ま……」  於蝶の脳裡《のうり》を、市木平蔵の平凡な顔貌がよぎっていった。 「こたびは、どうしても女忍びに役立ってもらわねばならぬのだが……頭領様もな、お前がのぞみなれば忍びばたらきをやめさせてもよいと申された」 「わたくしでは役に立たぬと?」 「お前が行かぬとなれば、伊佐木さまが越後へ、おもむかれてもよい、と申されたそうじゃ」 「まさか……そのようなことはありませぬ」  於蝶は笑った。  伊佐木は、於蝶が五歳の夏に、近くの杣川《そまがわ》のながれで水あびをしていた、その幼女の裸姿をながめ、 「於蝶は、りっぱな女忍びになれよう」  と、目をつけ、いやがる母には内密で、幼女の肉体へ少しずつ、丹念に「女忍び」の土台となるべき訓練をほどこしていったのである。  男の躰とちがい、女のそれが生理と心のはたらきとのむすびつきにおいて、いかに複雑なものかは、いうまでもない。ゆえに女忍びを育てるためには、骨も肉もかたまらぬうちから肉体の構造をととのえてしまわぬと、とても一人前の忍びばたらきは出来ない。  また幼女のころから、忍びの術に興味をしめすほどの素質をそなえていなくては物にならぬ。  於蝶は、その素質をそなえていた。  そして母が亡くなってからは、杉谷屋敷へうつり、本格的に伊佐木の教えをうけるようになったのである。  その伊佐木が、丁度、久しぶりに甲賀へもどって来た愛弟子《まなでし》の於蝶のみずみずしく成長した姿を見て、 「いま死なせとうはない。このおばばが、かわりに出よう」  と、いい出したのだ。  山道を歩みつつ、於蝶が事もなげに笑い、小兵衛にいった。 「叔父さま。わたしは死ぬことをおそれませぬ。死ねば、父さまや母さまのおそばへまいれますもの」  数日後……。  先ず新田小兵衛と於蝶の二人のみが、雨にけむる暗夜の甲賀・杉谷の里を発して、越後へ向った。 [#改ページ]  春 日 山 城  忍びの者にとって、甲賀から越後までの道は幾通りもある。  しかし、新田小兵衛が、 「於蝶よ。われらは先ず、関東へ行くぞ」  と、いった。 「関東の、どこへ?」  小兵衛は、上州の厩橋《まやばし》の城へ行くのだと、こたえた。現在の群馬県・前橋市である。  厩橋の城が、上杉謙信の関東進出の本拠であることは、於蝶も知っている。  厩橋城には、謙信の従弟・長尾弾正|謙忠《かねただ》が入ってい、これをまもっている。 「われらが着くまで、上杉謙信公も厩橋に御滞陣であろうと思う」  飛ぶように道を走り、鈴鹿の山を越え、夜が明けるまでに二人は早くも桑名に達していた。  二人とも、千駄櫃《せんだびつ》を背負い、連雀《れんじやく》商人の姿になっており、櫃の中にはそれらしき荷物も入っているので、身軽のときのような速度は出せぬ。  桑名から、つい先日までなじみもふかく暮していた那古屋や清洲を北方にのぞみつつ、熱田神宮の南方をすぎ、午後には三河の国へ入った。  善住房光雲や、下忍びの九市などは、まだ姿を見せなかった。このほかにも数名の杉谷忍びが今度の仕事には出ている筈なのだが、それらの者たちは、すでに出発をして諸方へ散っているのやも知れない。  散りながら、たがいの連携をたもつための準備をすすめているのであろう。  於蝶から見ても、杉谷信正が主家の佐々木家に内密で、これだけのちからをこめて忍びばたらきをするというのは、上杉からの報酬がなみなみでないことがわかる。  山なみ一すじをへだてた伊賀の忍びとはちがい、甲賀忍びの特性は、金のためにはたらくというのではなく、どこまでも甲賀という土地をまもるために協力して活動するというのが「たてまえ」であったし、以前はその通りであった。  しかし、戦乱が近年のように複雑な様相となってくると、善住房のことばではないが、 「そうもいうてはいられぬ」  なのである。  第一に、杉谷信正は二十余名の忍びたちと、その家族を養ってゆかねばならぬ。  死んだ忍びの遺族たちにも、頭領は、その生涯を安堵させるための責任をもたねばならない。  甲賀の忍びたちは、故郷に「家」と「家族」をもっていることが大きな特長の一つだといえる。このころ、その形態は、まだくずされてはいなかった。  この夜から、また梅雨がもどり、連日の雨空の下を二人は急いだ。  甲賀を発して五日目に、二人は小田原の城下へ入った。  小田原には、北条|氏康《うじやす》の居城がある。  氏康の祖父・北条|早雲《そううん》が関東を席巻《せつけん》し、小田原に城をかまえてから五十年ほどになるが、当代の氏康も武人としてのみではなく、政治家としてもすぐれた人物だけに、 「北条あるがために、どうあっても上杉謙信公は関東を手中におさめることができぬのだ」  と、新田小兵衛が、いつか於蝶に語ってきかせたことがある。  天皇や将軍から、 「関東をおさめよ」  と、命ぜられていた関東管領・上杉憲政も、北条氏康の攻勢にあうたびに、 「わしは、いったい、どうしたらよいのだ」  と、泣声をあげたそうである。  その憲政から、関東管領の役職と「上杉」の姓をゆずりうけた長尾景虎が、正式に鎌倉の鶴岡八幡宮へ管領就任の社参をおこなったのは、今年の春もたけなわのころであった。  この日、景虎は将軍からゆるされた網代《あじろ》の輿《こし》にのり、前後左右に重臣をひきつれ、関八州の諸将をしたがえ、神前において上杉の家督《かとく》をつぎ、「上杉政虎」と名のることになったのである。  謙信の号は──彼があたまをまるめ、 「天下をわが手におさめるまでは、戦陣の鬼ともなり、そのほかの一切の欲望を絶たむ!」  と、神仏にちかったときに、つけたものである。  上杉謙信は、鶴岡八幡宮における威勢を駆って、 「いまこそ、小田原城を攻め落さん」  大軍をひきい、怒濤《どとう》のように小田原へ押しよせた。  それは、まことに嵐のような恐るべき進撃であって、さすがの北条氏康も城を出て迎え撃つだけのゆとりがなく、小田原城へこもって防備をかためた。  ときに、北条氏康と手をむすび、上杉軍をなやませていた武田信玄は、上杉謙信を評して、こういっている。 「謙信入道は強いな。まことに強くて、金山鉄壁をも物ともおもわぬ。しかし、あの強さは戦場において雌雄《しゆう》を決するときには、すさまじいばかりのおそろしさであるけれども、年月をかけて手段をめぐらし、のぞみをとげようとする根気も智恵もない。北条氏康殿は、たやすくほろぼされまいし、謙信は、かんしゃくもちで人を手なずける手がうすい。これでは関東の武将たちも、一時は上杉にしたごうても、いずれは謙信を見はなしてしまい、結局は北条家へしたがうことになるとおもう」  ところで……。  上杉謙信は、ついに小田原城を落すことが出来ず、その上、謙信自身が病気にかかってしまったとかで、つい先頃、小田原のかこみを解き、厩橋へ引きあげたばかりだという。  小田原城下も雨にけむっていた。  城下に、法城院という寺がある。  時刻を見はからい、新田小兵衛と於蝶は夜陰に小田原へ入った。  上杉軍が引きあげて行ったばかりのことでもあり、城下の警戒は厳重をきわめている。  道すじに見張りの番卒が絶間なく往来する中を、小兵衛と於蝶は、まるで雨の幕とも化して小田原へ潜入した。  法城院の裏塀をおどりこえ、二人は、難なく寺内へ入った。これほどのことはわけもないことだ。  法城院の和尚を心山《しんざん》という。  心山は六十に近い老僧で、小田原へ来てから十五年ほどになり、歌も詠むし学識もふかく、人格も円満だというので、小田原城主・北条氏康の気に入られて、城へも自由に出入りをゆるされているほどであった。  しかし、心山和尚は甲賀の息がかかった人物である。  甲賀の豪族のうち、もっとも勢力もつよく、忍びばたらきも大がかりなのが柏木郷に屋敷をかまえる山中大和守俊房だ。  だからといって心山和尚は甲賀の出身ではなく、父は近江の浅井家の家来だったともいう。  だから心山も若いころは武士として戦場へ出たこともあるらしいが、その過去については、一切が不明だといってよい。  心山が、甲賀頭領の一人である山中大和守と何時から近づきになったのか、ともかく、十五年前に僧侶として小田原へやって来たとき、すでに彼は、山中家の忍びばたらきを助けるための使命をおびていた筈《はず》である。 「たれじゃ?」  寺内の奥庭に面した心山和尚の居室の外縁へ、小兵衛と於蝶が影のように近づいて行くと、くらい居室の中から心山の声がした。 「杉谷忍びの新田小兵衛にござる」 「おう……ま、入られい」  内がわから障子がひらいた。  小兵衛と於蝶は千駄櫃を背負ったまま、するすると和尚の部屋へ入った。  灯をつけぬまま、心山は二人に向い、 「空腹であろ?」 「いや、大丈夫でござる」 「ゆるりと熱い粥なと出してもあげたいが……」 「とんでもないこと。すぐさま、厩橋へ発足いたしたく存じます」 「む……そのほうがよかろうとわしもおもう。上杉では、おぬしたちの到着を待ちかねているようじゃ」 「それほどに……」 「上杉謙信公のいのち、何者かにねらわれておる。それも只事ではない。先ごろ、この小田原へ攻めかけてまいられた折にも、両三度、いずれかの忍びの者によって、あやうく落命されるところであったのじゃ」  山中屋敷のためにはたらく心山和尚のもとへ、杉谷屋敷の二人が来て指示をあおぐということは、甲賀の、この両家の頭領たちが手をむすび合っているものと見てよいだろう。  戸外の闇は、音もなく雨がふりけむっている。 「よう顔は見えぬが……その女ごが於蝶どのかや?」  と、心山和尚がこころもとなげに、 「まだ、年齢《とし》も若さげなようじゃな。首尾よう、つとまるかの?」 「こたびの役目には、うってつけかと存じまする」 「わしゃ、忍びの術を知らぬゆえ、何やら心配でならぬ」 「十五の折より、忍びばたらきをしておりますれば……」 「うまく謙信公の身のまわりをつとめてもらわねば……」  於蝶は、だまってきいていたが、今度、叔父と自分がつとめる役目は、絶えず上杉謙信のそばにいて、その身を危険からまもることにある、と察しがついた。  しかも、どうやら他の忍びの者の執拗な奇襲による謙信暗殺計画によって、危険はかなりの重大な段階に達しているものらしい。 「小兵衛、こちらへ……」  心山和尚がうながし、小兵衛と共に次の間へ入って行った。於蝶にはきかせたくない密談らしい。  くらやみの居室の中にすわりこんだまま、於蝶は叔父のもどるのを待った。  待つほどに……。  於蝶の面が急に引きしまってきた。 (あ、やはり……)  と、思い至ったからだ。  心山と小兵衛が、この部屋に於蝶を残して去ったのは、密談をきかせたくない、というよりも、彼女をして次の間をまもらせるため、つまり外部の敵にそなえての見張りの役をつとめさせたのだと気づいたのである。  ひそかに……。  奥庭の彼方から、この部屋の外縁へ忍び寄って来るものがいる。  於蝶の研《と》ぎすまされた感官のはたらきは、次第に山野にすむ獣のように、するどくなっていった。  彼女は、呼吸をととのえはじめる。  独特の忍びの整息術によって、彼女は自分の肉体を闇の中へとけこませてしまいつつあった。  男忍びとちがって、女忍びにはどうしても体臭を消しきれぬ弱味があるのだけれども、いまの場合、於蝶は長時間、雨にうたれて来ただけに、体臭が洗いながされてい、冷えきった肉体に若い女の熱い血がめぐりきってはいない。  血は、匂いをよぶ。  呼吸の仕方ひとつで、忍びたちは、みずからを貧血の状態へおとし入れることができる。  蒼《あお》ざめて、苦しい呼吸に耐えつつ、於蝶は近づいて来るものを待った。  どれほどの時間がすぎたろう……。  居室の外縁へ這いのぼって来たものの気配を、はっきりと感じたとき、於蝶の躰が呪縛《じゆばく》から解きはなされたように、空間へ躍り上った。  空間に一回転しつつ、於蝶は障子を蹴放し、倒しひらいて縁側へ飛び出した。  曲者は、まさに縁へうずくまっていた。 「む!」  低く、うなり声のような気合を発し、於蝶は曲者の黒い影の頭上を飛びこえ、奥庭へ下り立った、その転瞬……。 「や!」  於蝶の手から|雌 蛇《めくちなわ》が、曲者の足へ投げつけられた。 「めくちなわ」すなわち女の蛇という意味で、これも甲賀の女忍びがつかいこなしている忍び武器である。  それは長さ五メートルほどの細い鎖で、先端に鋭利な切っ先をもつ分銅がついている。投げつける手練ひとつで、この分銅の切っ先が相手の皮肉へ突き刺さり、さらに細鎖が巻きついて自由をうばってしまう。むろん永続的に捕えておくわけにはゆかぬが、自由をうばった一瞬に、こちらは次の行動へうつることを得るわけであった。 「く、くく……」  曲者が片ひざを立てて鎖をつかんだとき、於蝶は物もいわずにつかんだ鎖を相手の顔へたたきつけた。  鎖の手もとにも別の分銅がつけられている。  この分銅は、みごとに曲者の面上を打撃した。 「あっ……」  これは手きびしい痛撃であった。  分銅に鼻を撃たれ、曲者がひるむや、 「や!」  つづけざまに、於蝶が飛苦無を曲者の太股のあたりへ打ちこんだ。  こうしておけば、足の自由を全くうしなった男の曲者を捕えるのに於蝶でもわけなくやれる。  すべては、一瞬のことである。 「う、うう……」  うめきつつ、曲者は脇差をぬきはらい、雌蛇を足に巻きつけたまま、縁の上をじりじりと後退しかける。  於蝶は飛びかかろうとした。  ぴゅっ……。  雨の幕を引きさいて何かが飛来し、於蝶の顔面を襲ったのはこのときだ。 「あ!」  おぼえず叫んで、於蝶は地に伏した。  奥庭の木立の中に別の曲者がひそんでい、於蝶へ手裏剣を投げつけたのである。  部屋から飛び出してからこのときまでの於蝶のうごきは俊敏にうごきつづけていたから、ねらいがさだまらなかったものであろう。  敵の手裏剣は息をつく間もなく、電光のように於蝶へ集中した。  奥の部屋から新田小兵衛が駆けつけ、 「於蝶!」  声をかけた。  地を反転しつつ、於蝶も木立へ向けて飛苦無を投げ撃ちつつ、 「叔父上さま、縁の曲者を……」 「おう」  小兵衛が、縁から庭へころげ落ちた曲者へ躍りかかって押し倒した。  この間、木立の曲者は於蝶と闘うのが精一杯で、小兵衛へ手裏剣を投げるゆとりがない。  木立の中の曲者の攻撃がやんだ。  木立をぬって音もなく逃げ去る曲者の気配を於蝶は知った。 「叔父さま……」  身を起し、於蝶がよんだとき、 「怪我はないか?」  と、小兵衛がきいた。 「左肩をすこし……それよりも、その曲者は?」 「おそかった」 「え?」 「死んだ」  近づいて見ると、黒衣の曲者は、逃げられぬと覚悟したらしく、|鎧 通《よろいどおし》のような鋭利な刃物で、みずからの喉を突き刺して息絶えていた。 「何者じゃ?」  居室から心山和尚が灯をかかげてあらわれた。  寺内は、しずまり返っている。  すさまじいこの争闘も、さすがに忍び同士で、およそ二十を数える間のことであったし、雨音がつよくなりはじめていただけに、寺僧のだれ一人、気づくものはいなかったようだ。  心山はあたりを見まわし、 「さ、早う……」  小兵衛と於蝶は、血に染んだ曲者を心山の居室へはこびこんだ。戸外の血は雨が洗いながしてくれるだろう。  灯の下で……。  三人は曲者の死体を点検した。  黒い忍び衣にも、かくし持っていた手裏剣のかたちにも「これが、どこの忍び」と決定づけるものは何もなかった。  四十五、六にも見える中年男で、顔だちにも、むろん見おぼえはない。 「小兵衛殿よ。何者であろうか?」 「さて……知れませぬ」 「ふうむ……おそらくは、この曲者の一味にちがいあるまい」 「謙信公のおんいのちをうばいたてまつろうと……」 「うむ」 「さて……」  新田小兵衛は信じきれぬといった表情で、於蝶を見やった。  この若い姪の雌蛇に捕えられるような忍びたちが、上杉謙信という一代の名将ともうたわれる武人の首をとれるものであろうか……。  もっとも、この中年男の曲者よりすぐれた者たちが何人もいることは考えられる。 「それにしても……」  と、心山和尚が感嘆して、 「於蝶とやら、見直したぞ」  小兵衛は苦笑し、於蝶は無表情であった。 「いや重畳《ちようじよう》。これなら御役に立とう」 「おそれいりまする」 「なれど気をつけい。おぬしたちがここへ入ったことは、相手にさとられていたようじゃな」 「は……」  翌朝。寺僧が和尚を起しに来たとき、曲者の死体も、小兵衛や於蝶も、この寺から消え去っていた。  相州・小田原から、そのころはまだ草ぶかいところだった武州・江戸を経て上州・厩橋(前橋市)まで、およそ五十里の行程で、新田小兵衛ほどの熟練した忍びの者が懸命になって駆ければ、まる一日で行きつくこともできたろうが……。  小田原の法城院を発した小兵衛と於蝶は、のべ四日を要して厩橋へついている。 「要心するにこしたことはない」  新田小兵衛は、甲賀から小田原まで「見も知らぬ敵」に後をつけられたことを知り、 (わしとしたことが……)  と、わがゆだんを悔いると共に、 「厩橋へ入ることは相手もさとっているらしいが……わしたちがその途中で敵に襲われてはならぬ。厩橋へつくまでは二人きりの旅じゃ。察するに相手は、その忍び術の巧拙はともあれ、かなりの人数をもよおして事にあたっておるらしい」 「はい」 「厩橋へ入るまでは、互いに大切の身じゃ」  二人は、わざと道を北方へとり、相模《さがみ》の山野を突切って関東山地の東のすそを走って、武州・東松山の西方をぬけ、そのあたりを縦横に走りまわりつつ、後からつけてくる者の有無をたしかめた。 「つけられてはおらぬようじゃな」 「わたしもそうおもいまする、叔父さま」  そこで二人は、一気に上州へ入った。  厩橋へは夜半についた。  城下をへだてること一里。利根川ぞいにある萩原の村はずれにある小さな社《やしろ》の堂の中で一夜をすごした。  翌朝、この社を出て行った新田小兵衛と於蝶の姿は見ちがえるばかりになっていた。  旅姿ながら、どこから見ても歴《れつき》とした立派な老年の武士と、その孫娘とも見える二人づれになっていたのである。  昨夜まで、行商人になって背負っていた千駄櫃の中に、こうした衣裳や大小の刀までもかくし入れておいたものであろうか……。  於蝶も、そうした小兵衛にふさわしい武人のむすめの風体《ふうてい》なのだが、二十歳の彼女が、見たところ十五、六の少女におもえる。  忍びの術の中には、高度な演技術もふくまれること、むろんであるが、 「年齢《とし》を若く見せるとき、その年齢よりも五歳ほど若返ったこころになれば丁度よい。また、年齢を老けて見せるときは、さらに五歳を老けたこころになるのじゃ」  と「ねずみのおばば」から教えられた通りにしているまでの於蝶であった。  したがって於蝶は十歳の少女のこころになっているわけだ。それで二十の女が十五、六に見えるというのである。  まだ朝霧がたちこめている利根川にそった道をすすみ、二人は、厩橋城の大手口へさしかかった。 「待たれい!」  番所の中から、番卒をしたがえた武装の士が二人の前へ立ちふさがった。  新田小兵衛は、番所の士に、一通の書状をさし出した。 「これを宇佐美駿河守《うさみするがのかみ》様へ……」  宇佐美駿河守定行は、越後・琵琶島に領地をもっているが、上杉家には謙信の父・為景の代からつかえて、いまは六十をこえた老臣ながら、 「おもてには知られぬが、すぐれた軍師だそうな」  と、小兵衛は於蝶に語っている。  宇佐美定行は父祖のむかしから越後の一豪族だという説もあるが、実は、その前身がまったく不明で、上杉謙信でさえも、 「どのようなことあって父の為景につかえたものか、わしも知らぬ」  なぜか、宇佐美定行の履歴については、あまり語ろうとはせぬ。  とにかく、いつの間にか越後へ来て為景につかえ、次第に戦功をつみかさね、ついに隠然たるちからをそなえた重臣のひとりになった……とでもいったらよかろう。  軍略についての智謀は底が知れぬとかで、小田原・法城院の心山和尚も、 「上杉謙信公も、いま少し、宇佐美駿河守殿の進言をもちいられたなら、上杉のちからは、もっともっと大きゅうふくらむことであろ」  新田小兵衛にもらしたということである。  その宇佐美定行へあてた書状には、差出人の名がしたためてなかった。  不審げに、番士が、 「いずこよりまいられた?」 「小田原から、と、申しあげていただきとうござる」 「ふむ……」 「駿河守様へ、さよう、おつたえ下さればわかりましょう」 「ふむ……ここで待たれい」 「心得た」  小兵衛と於蝶を番所へのこし、その武士は城内へ駆け去った。  槍をもった五人の番士たちが二人を包囲するようにして立った。  軍団の一部は越後へ帰って行ったが、総大将の謙信が、まだこの城に滞留しているので、城の内外の警備はきびしい。  城に入りきれぬ部隊は野外に小屋をもうけてたむろし、それがまた整然たる陣形をなしているのはさすがであった。  次第に、夏の空があかるみはじめ、霧が朝風に吹きはらわれてゆきつつある。  騎馬の士が、いそがしく往来しはじめた。  やがて、先刻の番士がもどって来、 「さ、こなたへ……」  と案内に立った。  番士の態度が変っていた。 「遠路、おつかれでござろう」  などと声をかけてきたりした。  この城は、いくたびも廃城をくり返したのち、関東管領家にしたがう長野氏がきずいたものだ。  長野氏が厩橋の西方四里のところ榛名《はるな》山のすそに箕輪《みのわ》城をかまえ、そこへ引きうつってのち、一時は北条氏康に攻めとられたこともあった。  小田原の北条軍は、このように関東管領家の本拠である上州の奥ふかくまで攻め入って来て、ふかぶかと「くさび」を打ちこんだのである。  管領の上杉憲政が、この攻撃をささえきれず、越後の長尾景虎をたのみ、ついに上杉の姓と管領の役目をゆずりわたし、 「どうか、おことのちからによって関東をおさめてもらいたい」  と、泣きついたのも、そのころだ。  しかし、長尾景虎が上杉政虎(謙信)となったいま、上州の地から、北条氏康の勢力はほとんど追いのけられたといってよい。  厩橋城も二年前に、上杉謙信が北条軍からうばい返し、従弟の長尾謙忠を城主にして、これをまもらせている。  だが、北条軍のかわりに、今度は甲斐の武田信玄が上州へあらわれた。 「自分は武蔵の国を平らげるゆえ、そちらは上州をわがものとなされ。二人して関東を分け合いましょう」  などと北条氏康が武田信玄と手をむすび、両軍協力して上杉謙信をなやませはじめたというのが現状である。  厩橋は利根川を背後に背負い、いまもしきりに修築をくり返している。  大利根のながれは間断なく城壁を洗いくずし、 (この城は長もちせぬ城じゃ)  ひと目で、新田小兵衛はそれを知ったようだ。  本丸の北に高浜|曲輪《ぐるわ》とよぶ一郭がある。  この曲輪は木立がふかい。  木戸口の番所をぬけると、別の武士が二人、待ちうけていて小兵衛と於蝶を番士から引きつぎ、木立のうしろからまわって行くと、ささやかな居館《やかた》が一つあった。 「さ、こちらへ……」  門をくぐり、玄関がまえの横手から庭へ入った。  木も草も生いしげるにまかせた荒れ庭であった。  その夏草にうもれるようにして、かがみこんでいる一つの人影があった。 「召しつれましてござります」  案内の武士が、その人影に声をかけた。  武士の眼にうながされ、小兵衛と於蝶は、その人影に近づいて行った。 「宇佐美駿河守様でござりましょうや?」  小兵衛が、ひざまずいて問うや、その人が、かがみこんだまま、ゆっくりとふり向いた。  黒にそめた麻の筒そでの夏着と、これも黒の袴をつけたその老人の風貌には何の変哲もない。  顔つきも尋常なら、体つきも尋常で、小さな刀を帯びていなければ、どこの町や村にもころがっている老人なのである。  ただまっ白な髪の毛が手にあまるほどゆたかなのを、むすびもせずに肩のあたりまでたらしているのが、 (美しいお髪だこと……)  於蝶は、うっとりと見た。 「小田原よりの書状、ごらん下されまいたか?」  かさねて問いかける小兵衛に、その人は、 「うむ。心山和尚も元気でおられるらしい」  と、つぶやいてから、 「宇佐美駿河じゃ」  と、名のった。 「私めは新田小兵衛。これなるは姪の於蝶と申しまする」 「うむ」 「万事、駿河守様のおさしずによってはたらくよう、心山和尚より……」  いいかける小兵衛を、宇佐美定行が左手をあげて制した。  定行の右手が小刀を引きぬき、これを物もいわずに於蝶へ投げつけたのはこの瞬間である。 「あ……」  ひくく叫びを発し、於蝶のからだが仰向けに倒れた。  電光のように於蝶の胸をねらって飛んだ宇佐美定行の小刀は……。 「おお」  定行が感嘆の声を発した。  その小刀は、倒れた於蝶の両足のうらとうらとにぴたりとはさまれ、うけとめられていたのである。  それでいて、於蝶の夏ごろもの裾はひらいた両股にまといついており、いささかのみだれもない。 「みごとじゃ」 「おそれいりまする」  と、小兵衛。 「何歳になる?」  於蝶がこたえた。 「何歳に見えましょう?」 「忍びの年齢《とし》は、いまもってわからぬ」  於蝶のあどけない微笑へ引きこまれたかのように、宇佐美定行の面上にも、あたたかな笑いが波紋のようにひろがっていった。 (よいお方だこと……)  女忍びの、というよりも一人の女として、於蝶は、この老軍師に好感をいだいたようである。  定行が二人に草の上へすわれと手でさししめしつつ、 「ときに、杉谷信正殿はすこやかにか?」 「はい」 「わしはの、信正殿の父、与藤次信輝殿には昵懇《じつこん》の間がらであったよ」  この老軍師が、頭領さまの父と親しかったというのは、どういうことなのであろう……と、於蝶はまばたきもせず、宇佐美定行の老顔を見つめていた。 「そのころ、わしは甲賀の山中家にしばらく暮していたことがある。杉谷家と山中家は、いまも手をむすび合うているそうじゃが……そのころは、もっと親しく交誼があり、少年のころの信正殿が、よう柏木の山中屋敷へあそびに見えたものじゃ」  遠いおもいにひたっているかのような老軍師の眼のいろであった。 「わしも若いころは諸国を歩きまわったものよ。越後へ腰がおちつくまではな……」  立ちあがった定行が、 「では、御屋形様へお目通りを……」  と、いった。  宇佐美定行は、すぐにも、新田小兵衛と於蝶を上杉謙信に目通りさせるようなくちぶりであったが……。  小兵衛と於蝶が高浜曲輪を出て、謙信が滞留をしている本丸の居館へ向ったのは、夜に入ってからであった。 「なるほど……」  宇佐美定行は、身じたくをととのえ終ってあらわれた於蝶を見るや、 「これなら……」  ふかく、うなずいて見せた。  於蝶は、男の姿になっていた。  前髪だちの、十五、六歳ほどの少年に変装をしていたのである。  上杉謙信は、妻もめとらず側室もおかぬ。  したがって、子もない。 「わが家をつぐものは、わが血をわけた子ならずともよい」  と、謙信はいいきっている。  あたまをまるめ、僧形となり、女性も酒も厳然として絶ち、男としての快楽はおろか一切の欲望からはなれ、すべてのエネルギーを戦陣に燃やしつくそうというのだ。  鬼神とうたわれた彼の、すさまじい武力は、ここに根をおろしている。 「むりもなきことではあるが……」  と、宇佐美定行は高浜曲輪の木戸をぬけたとき、小兵衛にささやいた。 「御屋形様は、あまりにもおもいつめすぎておらるる」 「は……?」 「いやなに、こなたのことよ」  かすかに笑った定行の胸の底にひそむ苦渋を、小兵衛は見のがさなかったようである。  いくつもの木戸をぬけた。  城内には篝火《かがりび》がつらなり、それぞれの木戸口の警戒もきびしい。  本丸・居館内の奥主殿へ、宇佐美定行は二人をともない、つかつかと入って行った。  ひろい板敷の間であった。  正面に畳三帖ほどしきつめた「御座の間」がある。  これは城主の長尾謙忠が座をしめる場処であるが、いまは謙忠の従兄でもあり主でもある上杉謙信があらわれるのを待つためのものであった。  灯火があかるい。  通常の三倍ほどのろうそくが、あかあかと並びつらなっている。  いささか奇異の感がする。  小兵衛と於蝶が顔を見あわせ、不審のいろをうかべたのを、早くも定行が見てとったらしく、 「御屋形様は、夜の明るきをこのまれる」  と、つぶやいた。  於蝶が男装をさせられたことは、 (わたしを謙信公のおそばにつけ、御身をまもらせようとのことか……)  くわしい打ちあわせは、まだなされてはいないが、於蝶にもそれと感得《かんとく》できた。  やがて、侍臣四名ほどが奥主殿へ入って来た。これは謙信があらわれる前ぶれと考えてよい。  一同が期せずして、かたちをあらためたとき、正面の板戸がひらき、二人の小姓をしたがえた上杉謙信があらわれた。 (ま、大きなお躰だこと……)  平伏する一瞬前に、於蝶は謙信をちらりと見て、そう感じた。  夏小袖の上から法衣《ころも》をまとった謙信の姿は、文字通り威風堂々としてあたりをはらうかのような立派さであった。 「む!」  ちから強い謙信の声が発せられた。  平伏している一同に、 (あたまを上げてよい)  と、合図をしたのである。  そろりと顔をあげ、於蝶は謙信を見て、 (おや……?)  おもわず、まばたきをした。  上杉謙信は、五尺そこそこの小男なのである。  小男ではあるが、大きい。  このとき謙信は三十二歳であったが、後年に中国の吉川《きつかわ》元春の使者として、はるばる越後へやって来た佐々木定経という武将が、上杉謙信に対面したときのことを、こういっている。 「わしが謙信公に目通りしたとき、ちょうど、公は経をよんでおられたが、すぐにやめられ、山伏のすがたにて太刀をしっかとにぎりしめ、壇の上から、しずしずと出てこられた。そのとき……その公のすがたを見たときには、これこそ音にきこえた大峰の五鬼か、葛城《かつらぎ》山の大天狗を目のあたりに見るおもいがいたし、さすがのそれがしも身の毛がよだち、太股のあたりがわなわなとふるえ出したものじゃ」  若年《じやくねん》のころから一切の欲念を絶ち、我身のすべてを戦火の中へ投げこんできた謙信の風貌には、 「まさに、鬼気せまるおもいがしたわえ」  後刻、新田小兵衛も於蝶へささやき、 「なんともかとも、まことにもって、すばらしき大将ではある」 「叔父さまもか……わたしも、さようにおもいまする」 「ふむ、そうか」 「清洲で見た、あの桶狭間へ出陣して行ったときの織田信長さまも、すさまじゅうございましたが……なれど謙信公のほうが、信長よりもずっとおそろしい」  やや小肥りに見える体躯が巌《いわお》のように見える。  それでいて顔だちは下ぶくれで、口唇は女性のように小さく愛らしい。  しかし、両眼は巨大で、ことに右眼が大きく、 「謙信さまの眸《ひとみ》は、まるで血のように赤く見えました」  と、これは於蝶が後に小兵衛へ語ったことばだ。 「これなるが、井口伝兵衛ならびに子息の蝶丸にござります」  宇佐美定行が披露をした。  うなずきもせず、上杉謙信が小兵衛と於蝶を凝視した。  謙信の顔色は、青ざめているというよりも、むしろ鉛色に近かった。 (まるで、死人のような……)  於蝶が固唾《かたず》をのんだほどに、謙信の顔には生色がなかったのである。  於蝶は、|ひた《ヽヽ》と謙信の眼へ自分の視線を射つけてみて、 (おや……?)  謙信が、何かとまどったような、一種のはにかみのいろを面上にうかべ、眼をそらしたのを知った。 (もしや……わたしが女であることに気がつかれたのではないか?)  ふっと、於蝶はおもった。  女忍びが男装することは、いくらも例があることだし、男になりきるための種々の秘伝もある。  若い女が男になるということの、もっとも至難なことは、 「からだのにおいがちがう」  このことなのである。  甲賀では、こうした場合に芬菲草《ふんひぐさ》という野草をつかう。  野草といっても日本にはあまり繁殖せず、むかし忍びの術の原型ともいうべきものが他の文明と共に中国や韓国から日本へ渡来したとき、この草も海をわたって来たものであった。  ゆらい、忍びたちの頭領は芬菲草を自邸の薬草園に植えつけ、れんめんとつたえのこしてきている。  芬菲とは物のにおいの別名であって、この草も鼻を刺すようにするどいにおいをはなつ。  だが、この草を乾しくだき、他の数種の野草に米の粉を混じ、さらに細かい粉末となし、女体要所へふりかけるとき、女は自分の甘やかな体臭を消すことができる。  男装については、於蝶も自信をもっていた。 「そのほうたちが、山上氏秀殿の旧臣であるか」  上杉謙信が、新田小兵衛に問うた。  甲高《かんだか》くはあるが、|りんりん《ヽヽヽヽ》たる音声であった。於蝶の男装を見やぶってはいないらしい。 「ははっ」  小兵衛がひれ伏した。  山上氏秀は、この厩橋城の東方六里ほどの山上城主だった武将である。  六年前。  小田原の北条氏康が大軍をひきいて上州へ攻め入ったとき、山上氏秀は上杉管領家のためにあくまでも戦いぬき、ついに、わが城を北条軍に攻めとられて行方不明となった。  小兵衛と於蝶は、その山上氏秀の家来であったことになっている。  名も井口伝兵衛、蝶丸の父子と変えたのも、すべて宇佐美定行の指図によるものなのだ。 「うむ、うむ」  上杉謙信が何度もうなずき、 「もそっと、近うまいれ」  という。人が変ったようにやさしげな声であった。  二人が、そば近くすすむと、 「六年前のあのときは、ようもはたらいてくれた」  謙信が感動を露骨にし、声をふるわせた。  新田小兵衛と於蝶は、山上家の旧臣だと嘘をついているわけだが、それだけに、上杉謙信が少年のような感動をかくそうともせず、 「して、おことたちのあるじ、山上氏秀殿の行方は、いまもって知れぬのか?」  こころからの心痛に両眼をうるませつつ問いかけてくるのを見ると、いささか忸怩《じくじ》たるおもいがしないでもない。  しかし、小兵衛は、 「まことにもって、生きてあるやら亡くなりましたものやら……」  眼をしばたたき、うつ向いてしまう。  於蝶も、くびをたれながら、 (なんという正直な大将なのだろうか……)  胸の中で、目をみはっていた。  山上氏秀の奮戦などは、ごく小さな城ひとつのことで、山上城の近くにある大胡《おおご》の城主・|上泉 伊勢守秀綱《かみいずみいせのかみひでつな》などは、 「いま、ここで大軍を相手に戦うても味方が死ぬばかりじゃ」  さっさと自分の城を北条軍にあけわたし、家来をひきいて逃げ出してしまっている。 「いったんは敵に城をわたしても、いまに、かならず越後より謙信公が出馬なさる。このときこそ先陣をうけたまわり、うばい取られたわが城を、きっと取りもどしてくれよう」  というのが、伊勢守の考え方であった。  さすがに後年、日本一の剣法とうたわれた上泉伊勢守だけあって、そのときどきの情況次第により自由自在のかけひきであった。  これはこれで見事なものだし、事実、翌年に上杉謙信が上州へあらわれるや、伊勢守の予言したとおりになってしまった。  このとき、上泉伊勢守は山上城へも急使を走らせ、 「ともにお逃げなされ。城は一時、北条方へあずけておくつもりでおられればよろしい」  と、山上氏秀へもすすめた。  だが、血気の氏秀は、 「そのようなことは武門の恥。それがしは、あくまでも関東管領家のために戦いぬく決心でござる」  いい張って、ついに多くの家来たちの血を犠牲にした上、城をうばい取られたのである。  その山上氏秀の若者らしい正直さと、老巧なかけひきもわきまえぬ血気が、上杉謙信から見ると、たまらなくあわれでもあり勇壮でもあり、 「くわしゅうはなせ、城が落ちたるときの戦さのありさまを……」  ひざを乗り出し、小兵衛に問いかけてくる。  宇佐美定行は、このことを予期して、しかるべく新田小兵衛に、山上落城のありさまをつたえておいたから、 「さればでござります」  と、小兵衛は満面に血をのぼらせ、いかにも山上家の旧臣の無念さをあらわして戦さばなしをはじめたものだ。  上杉謙信は、小兵衛の物語にひきこまれ、あるときは熱涙をうかべ、あるときは北条軍への怒りにらんらんと双眸《そうぼう》をかがやかせつつ、聞き入っている。  於蝶は、必死で笑いをかみころしていた。  宇佐美定行は、能面のような顔貌をくずそうともせぬ。  於蝶は、謙信の気魄にみちみちたすばらしい武将の風貌にこころをうたれたが、その一方では、単純に感傷へひたりこむそのすがたを見て、 (このような正直なおこころで、すさまじい戦乱の世をのりきり、天下をつかむことができるのだろうか……?)  と、おもった。おもいつつも、 (この大将が、わたしは好き。よいとも、このお人のためなら、ちからをつくしてはたらいてみしょう)  なんとなく、こころたのしくなってきたのである。  小兵衛の物語りが終ると、謙信は、ふかくうなずき、 「おことたち二人については、余が、かならず引きうけよう。蝶丸はまだ年若でもあるゆえ、余が小姓として当分は身近くめしつかおうとおもうが……駿河守の存念はどうじゃ?」  これこそ、宇佐美定行のまちうけていた言葉であったから、 「ははっ。私に異存はござりませぬ」  きっぱりといったし、小兵衛も平伏し、 「ありがたきことにござります。この上は、せがれともども粉骨してはたらいてごらんにいれましょうず」  と、いった。  これは嘘ではない。そのために、二人は甲賀から派遣されて来たのである。  酒が、はこばれた。  主従かための盃が取りかわされた。  席につらなる謙信の侍臣たちも一人として小兵衛たちの身状《みじよう》をうたがうものはない。  謙信はひどく疲れているようであった。  興奮がさめると、とたんに顔の色も青ざめ、法衣の袖のあたりが、かすかにふるえはじめた。 「御屋形。もはや夜もふけましたなれば……」  と、宇佐美定行がすすめるや、素直にうなずき、 「二人とも、明朝あらためて出仕をせよ」  謙信が座を立った。  越後からの急使が厩橋城へ駆けこんで来たのは、このときである。  これは武田晴信(信玄)が信州へ出兵しはじめたという急報であった。 「早くも、尼飾《あまかざり》の城へ武田勢の先陣が到着いたしおります」  この使者の口上をきいて、 「おのれ!!」  上杉謙信は、入りかけた寝所から飛び出し、 「越後へ帰る。すぐさま陣ぶれをせよ!!」  と、命じた。  そのころ、高浜曲輪へもどりつつ、新田小兵衛が宇佐美定行にきいた。 「御屋形の小田原での御病気は、まだよろしくないように見うけまいたが……」  定行がこたえた。 「只の病気ではない。毒をもられたのじゃ」  陣中で、謙信へ供する膳部に毒を入れたものはだれか……いまもってわからぬ。  その夜、小田原城攻撃の本陣にあって食した汁の中に毒物が混じてあったらしい。  ひとくち、口をつけたとき、 「苦いわ!」  上杉謙信は汁椀をたたきつけた。  作戦もはかどらず、上杉軍にしたがっていた関東のさむらいたちも、 「このように無理押しに攻めたてても、小田原の城が落ちるわけがない。無益な血をながすのみじゃ」  謙信の強引な指揮ぶりに厭気がさし、自分の国へ引き上げてしまうものも出てきたところだ。  それだけに、謙信は癇癖《かんぺき》をつのらせ、ジリジリしていた。  しかし、いささか苦いと感じた汁椀をたたきつけたため、謙信は死なずにすんだともいえる。 「ともあれ、たちまち腹痛がおき、さすがの御屋形が呻吟《しんぎん》ただならぬありさまとなられたので、それがしも、ただちに駆けつけたのじゃが……」  と、宇佐美定行は高浜曲輪の居館へもどってから新田小兵衛に、 「ところがじゃ。御屋形が投げすてられた、かの汁椀がどこにも見当らぬ」 「なるほど……」 「小姓たちに、そのときのようすをきいて、わしもすぐさま詮議にかかったが、いかにしても手がかりがつかめぬのじゃ」  上杉謙信が陣中で発病したことはたびたびの例がある。このときも、家来たちは、 「このところ御無理がつづいておられる。御発病も当然じゃ」  と、おもっていたらしいし、当の謙信も、 「なに、これしきの……」  毒物をのんだとは少しも考えていない。  発病したとて戦さを休むような彼ではないし、まだ休んだこともない。 「明朝には起きて、北条方を蹴散らしてくれる」  と、いった。  だが、このときの腹痛、発熱は只事ではなく、五日ほど陣中にふせっていたが、ついに、 「このたびは引きあげようぞ」  弱音をもらしてしまった。  上杉軍が、かこみをといて引きあげはじめるや、北条軍が城から打って出て、背後から急追して来はじめ、それからはもう、さんざんに追いまくられつつ、ようやく上州へ逃げこむという始末となったそうだ。 「おのれ、おのれ!」  このようなぶざまな戦争をしたおぼえがないだけに、上杉謙信は輿の上に身をよこたえ、輿を担いで逃げる足軽どもの頭上を、 「逃げておるのではないぞ。急ぐな! ゆるりとすすめ!」  青竹の指揮棒でなぐりつけながら無念の叫びをあげたという。 「いまもって、あのときの御屋形の御発病が毒物によるものとおもいきわめておるのは、このわしのみであろう」  と、宇佐美定行がいった。  ゆえに……。  あのとき、謙信の食事をととのえた者たちも責めを負うて腹を切るようなこともなくてすんだらしい。  侍医の診察《みたて》にも、毒物が原因だという結果は出なかったようだ。 「もしやすると、わしのみがあやぶみ恐れているのやも知れぬが……。なれど、こたびの小田原攻めには……」  何度も上杉謙信の身に危機がみまった、と、宇佐美定行はいった。  金覆輪《きんぷくりん》の鞍をおいた乗馬にまたがり、青竹の指揮棒をふるって下知する謙信が、三度にわたり、鉄砲の狙撃をうけた。  当時の火縄銃では遠距離の狙撃は不可能である。  鉄砲が狙撃し得る範囲は、すべて味方の陣形であったし、 「いかに戦陣の中とはいえ、この定行の目からはふしぎの事とより思えぬ」  新田小兵衛が、じろりと於蝶を見やり、 「蝶丸よ」 「はい」 「よく、うけたまわったな」 「はい」 「われらは、このためにこそ、甲賀からまいったのじゃ。わしは外から、お前は御屋形様のおそば近くにいて、御身をまもらねばならぬこと、よういならぬことと思え」 「心得まいた」 「たのむぞよ」  と、このとき定行も何か苦渋のいろを面《おもて》にただよわせ、 「何しろ御屋形様は、おぬしたちが今夜、その眼でたしかめたごとく……あのようにいさぎよく、しかも戦陣の垢にそまぬ少年のごとき魂のもちぬしであられる」  ふといためいきが定行の唇からもれた。 「こたび、関東管領の職をつぎ、上杉家をつがれたのも、もともと主すじにあたる管領家のたのみを引きうけたればこそじゃし……それのみではない、甲斐の武田信玄のために国を追われた村上|義清《よしきよ》をはじめ信濃のさむらいどもの身がらを一手に引きうけ、信州から関東にかけ、毎年のごとくに越後から兵を出されて、武田、北条の大軍を相手に息をやすめるひまとてなくなってしもうた」  定行は、急にかたちをあらためた。  平凡な宇佐美定行の顔貌が、にわかに変った。細い眼がぐっと見ひらかれ、異様なかがやきを見る間にくわえてきて、 「かくなる上は……」  と、定行が息をのみ、のんだ息を一気に吐き出すかのように、 「なんとしても御屋形に天下をとっていただかねばならぬ!」  低いが、断固たる口調でいいはなったものである。  小兵衛も於蝶も沈黙したままであった。  夜ふけにもかかわらず、厩橋城の内外は騒然たる響《とよ》みにつつまれている。 「われらも仕度を……」  しばらくして、小兵衛が定行にいった。  翌朝……。  厩橋城にあった上杉軍が進発して行った。  朝の霧はそのまま小雨となって軍列を包んだ。  城を出るときは、軽武装で愛馬にまたがっていた上杉謙信も、 「大事の前にござります。ぜひとも輿に……」  宇佐美定行が屹《きつ》となってすすめたため、やがて輿に乗りうつった。  於蝶も、男装の蝶丸であるからには武具に身をかためざるをえない。  新田小兵衛が、 「越後へついたならば、お前のからだに合うような鎧、兜を、わしが仕たててくれよう。ま、辛抱せい」  と、城を去るときにいった。 「叔父さまは?」 「わしも後から越後へ……なれど、その前にすることがある」 「なにを?」 「後ではなそう」 「では、これで……」 「こころをつけいよ」 「叔父さまも……」  小兵衛と別れた於蝶は、上杉謙信の、すぐうしろへつき、他の小姓、侍臣たちの列にくわわった。  男装をして忍びばたらきをしたことは何度もあるが、このようにびっしりと武具に身をかためたことはかつてない。 (なんと重いこと)  於蝶は、ためいきをついたものだ。  それでいて、鍛えに鍛えられた彼女の肉体は、軍列の中のだれにもおくれをとるようなことはなかった。  軍団は、沼田を経て三国峠へ向った。  信州をぬけて越後へ出るのがもっとも近いのであるが、早くも武田軍があらわれて信州の基地をかためているというのではうかつには通れぬ。  戦さをするつもりならよいが、それでは、むしろ武田信玄の術中におちいることになる。  無用の戦闘をさけ、いま上杉軍は故国へ帰りつつある。  だが、上杉謙信も、 (こたびこそは!)  まなじりを決していた。  いままで、何度もくり返されてきたことではある。  謙信が、越後からはるばる関東へ出てくるためには、その間に横たわる信州の地を平定しておかねばならぬ。  けれども信州には、国境を接した甲州の武田家が、むかしから執拗に「くさび」を打ちこんで来ており、いまでは信州における勢力の大半を、武田信玄がにぎっているといってよい。  上杉謙信が越後の山々をこえ、はるばると上州へあらわれると、 「それ!」  たちまちに武田軍が上信二州の諸方へ出没をする。  今度のときのように、遠く小田原まで攻めて行くようなときは、越後・春日山の本城へも、うっかりすると武田軍が押しよせかねないのである。  出て来れば背後をつかれる。  あわてて戻ると、敵はさっさと引き上げてしまう。  こうして、武田信玄と上杉謙信とは何度も戦場にまみえていながら、老獪《ろうかい》な信玄の作戦に、いままでは謙信が引きずりまわされているかたちであったといえよう。  それだけに、 「こたびこそは、武田晴信の首をこの手に討ちとってくれよう!」  謙信は、最後の決戦をいどむつもりらしい。  越後へもどり、軍団を編成し直し、決意を新たにして信州へ打って出るつもりである。  武田信玄のほうでも、 「こたびこそは!」  の決意をかためているようだ。  尼飾の城にも、海津《かいづ》城(長野市松代町)にも修築の手をくわえ、精鋭部隊をぞくぞくと投入しはじめたことが、密使の急報によって謙信にもたらされた。  武田信玄にしても、 「いつまでも上杉を相手にしていることもならぬ」  なのである。  信玄は、上洛の目的をはたし、群雄を切りしたがえて天下をつかむ意欲が、ようやく熾烈《しれつ》になりつつあった。  彼が甲州や信州を後にして、京へのぼろうとすれば、今度は上杉軍がだまってはいない。  つまり、いままでの謙信の立場と逆になるのである。  いままでは、少しずつ地固めをし、攻めとったところを完全に自分の物にせぬうちは手をひろげなかった武田信玄なのだが、今度の出兵の模様を見るとただならぬ決意が看取された。 「つかれはせぬか?」  雨の山道で、上杉謙信が於蝶に問いかけた。 「いえ、大丈夫にござります」  輿の上の謙信は、小具足《こぐそく》姿の上から袈裟《けさ》をまとい、病中で剃刀《かみそり》をあてなかったため、やや黒ぐろと毛髪がおおいはじめたまるいあたまに、灰色の頭巾をかぶっている。  その輿の下に、小姓六名がつき従っていた。 「なれど……そちは、見かけによらぬ強者じゃな。からだも足もつよい。何歳に相なるか?」 「十五歳になりまする」 「ふむ。母も兄弟も……?」 「はい、山上のお城が落ちましたるとき、亡くなりましてござります」 「ふむ、ふむ……」  謙信は、ひどく胸をうたれたらしい。  このようなことに、いちいち感動していたのでは戦国の大名がつとまるまいとおもうのだが、そのような他人の斟酌《しんしやく》なぞに少しもかまうことなく、 「これからは案ずるな。余が、かならず、その身を立ててつかわす」  真実をこめ、謙信はいってのけるのである。  厩橋城を発して八日目に、上杉軍は本城・春日山へ到着をした。  越後・春日山の城址は、信越本線・春日山駅の西二キロの地点にある。  この、駅から城址までの二キロに、上杉謙信の城下町が形成されていたと見てよい。  筆者が、謙信のこの城あとをはじめて見たのは初夏のころであったが……。 「すばらしい!」  おもわず感嘆の声を発したものだ。  いまは、城の櫓《やぐら》のあともない城址ではあるが、海抜一八〇メートルの山城の前面、北から東にかけてひろびろと展開する高田平野の彼方には、信越の山々までか、関東の連山まで、一望にのぞまれるかのようにおもえる。  南方には南波《なんば》、火打《ひうち》の峰々。その峰をこして、ちらりと妙高山のいただきまで見える。  北方には、直江津《なおえつ》港と日本海が指呼《しこ》の間に横たわっているし、秀麗をきわめた米山《よねやま》の遠望をほしいままにすることができる。  そして……。  春日山の背後は、重畳《ちようじよう》たる山岳が、ふかい谷のつらなりをへだてて城をおおい、天険のおもむくところ、まことに複雑な地形をしめし、城を抱きかかえるかのようにまもっているのである。  春日山は、いま、鬱蒼《うつそう》たる樹林の繁茂にまかせていた。  だが、この樹々のころもを脳裡にはぎとって、想いを四百年前に馳せるとき、 「なるほど」  と、春日山城のスケールの大きさ、当時のこの城がもつ威圧感というものが、いかにすばらしいものだったかを思い知ることができる。  後年の城の象徴となった天守閣こそ、謙信の時代には出現していなかったが、何しろ大小の曲輪《くるわ》が合せて百をこえたというのだ。  その曲輪ごとに濠《ほり》が囲み、居館が建ち、蔵や櫓や城門がめぐらされていたことを考えると、その壮大な構築が、この山を一種異様な「生きもの」にさえ感じさせる。  ところで……。  於蝶が、上杉軍の列にあって、この城をはじめてのぞみ見たとき、 (まあ、これが……)  彼女も、これだけの城を、いまもって見たことがない。  大坂城や、姫路城などの壮麗をきわめた名城が出現するのは、まだもっと後のことであった。  於蝶の感動の声を、馬上の上杉謙信は、満足げにきいた。  春日山へ入るころ、謙信の病状も大分に回復してきたものらしい。  正武装に身をかためて、謙信は堂々と帰城した。  春日城には、御主殿とよばれる上杉謙信の屋敷が二つある。  山頂の本丸にあるそれは、この城が敵にかこまれてしまったとき、謙信が移り、指揮をとるためのものだし、通常、彼が住み暮す屋敷は、春日山の東のすそにあり、ここが城の正面でもあるし、大手口でもある。  帰城した謙信は、先ず、この屋敷へ入った。  ふとい材木を切り組んだ剛健素朴な建築でありながら、家具調度などが、すべて京都《みやこ》ふうの洗練をもっているのが於蝶には意外におもえた。  これまでに、上杉謙信は戦火に身をゆだねて寸暇もなかったように見えるが、 「二度も京へのぼられている」  とのことだ。  謙信が、天皇おわす首都の、みやびやかな風物をこのみ、これに強烈なあこがれを抱いていたことは事実である。  後に……。  織田信長が、画師・狩野永徳《かのうえいとく》に命じて、京都の図を屏風に描かせ、これを謙信への贈りものとした。かの有名な「洛中洛外図」の画屏風がこれである。  友好のしるしとして、人質をとったり、金品を贈られたりするよりも、 「みやこ好みの上杉へは、このような贈りものがよかろう」  と、思いたった織田信長のこころのはたらきには、端倪《たんげい》すべからざるものがある。  さて……。  春日山へ帰った謙信は、留守中の出来事をくわしくきくにおよび、 「ふむ……こたびも、信玄と相戦うは川中島になろう」  と、いった。  関東へ出陣していたすきをねらい、武田信玄は越信の国境に近い野尻湖のあたりまで押し出して来たそうな。  そして、割《わり》ガ嶽《たけ》の城を攻め落した。  こうなっては上杉方もだまってはいられず、春日山城の留守をまもっていた部隊をくり出し、みごと、武田軍を追いはらったという。  信州からの密使の報告が、毎日のように入ってきた。 「尼飾の城へは、武田信繁が手兵をひきいて入りました」  さらに、 「海津の城では、夜を日についで戦備をととのえ、柵をひろげ、塀の棟を上げ、甲州からの兵もぞくぞくと到着」  などと知らせて来る。 「信玄は、海津の城を本陣となすつもりであるな」  と、謙信がいった。  そうなれば、両軍の決戦が川中島でおこなわれようということが、だれの目にもあきらかとなった。  川中島とは──信州・更級《さらしな》郡の東北端、千曲川と犀川《さいがわ》が合流する中洲一帯をさす。  川中島は、善光寺平の中央にあたり越後と信州をむすび、それがさらに木曾へみちびかれる要衝《ようしよう》であった。  すでに、謙信と信玄は、川中島において三度の戦いをくりかえしている。  はじめは……。  天文二十二年の八月である。  このときは、川中島の南部へ出兵した上杉軍が、みごとに武田軍の進撃をくいとめた。  一度は兵を引いた信玄だが、 「どうあっても、善光寺平をわが手におさめ、信州をわがものとせねばならぬ」  と、決意し、今度は腰を入れて、信州平定にのり出して来た。  上杉謙信のように、長駆して出陣し、後のこともかまわずに戦い、いちいち越後へ引きあげた後に、せっかく戦いとった城や国が、また取り返されるということを、武田信玄はきらっている。 「余は、攻め取った城を、国を、じゅうぶんにわがものとしてから、次の戦さをはじめるのじゃ」  信玄のテンポはおそい。  おそいテンポで、少しずつ、しかし完全な地がためをしてから次へ手をのばし、やがてこの手を京都までとどかせようというのである。  かくて、二度目の川中島合戦は弘治元年七月におこった。  このとき、上杉謙信は、善光寺(現長野市)境内にある横山城に本陣をおき、武田信玄は善光寺の南方わずか一里半の大塚の地へ本陣をすすめて来た。  このとき信玄は、鉄砲三百挺を甲州からはこび、上杉軍に対したという。  ポルトガルの鉄砲が日本にわたってから、まだ十年ほどしか経てはいない。  武田家の財力の大きさを、 「底が知れぬわ」  と、さすがの謙信が瞠目したものだ。  両軍が、にらみ合うこと数カ月。 「ま、ここのところは、まかせていただきたい」  と、のり出して来たのは今川義元である。  このとき義元は、駿河の大守として名望たかく、まさか五年後に、織田信長に首をとられるなどとは考えてもみなかったろう。  今川義元の斡旋《あつせん》を、長陣にうみつかれていた両軍はうけ入れて、たがいに誓紙まで書いて取りかわしたりしたが、むろん仲直りするつもりはない。  ついで弘治三年の初夏。  またも武田軍の侵略がおこなわれた。  謙信は、たちまち春日山を発してこれを追いはらい、 「おのれ、信玄の首を!」  血相を変えて転戦したのだけれども、信玄はたくみに姿を見せず、謙信が秋になって春日山へ引きあげた後、疾風のごとく信州へあらわれ「あっ」という間に善光寺から戸隠《とがくし》神社まで、わが手におさめてしまった。  しかも武田信玄は、 「もう、よいかげんに上杉とあらそうことをやめたらどうじゃ」  と、すすめてきた足利将軍・義輝に対して、 「はい。そのかわり、わたくしを信州の守護にして下さるなら」  と、交換条件を出し、ついに将軍家から信州守護職の任命をうけてしまったものだ。  約束も命令も、単なる紙きれにすぎぬ戦乱の世ではあるが、 「自分は将軍家から信州を守ることを命ぜられた。これよりは上杉が信州へ入ることをゆるさぬ」  という大義名分を、信玄は得たことになる。  将軍義輝は、 (なんとかして、上杉を京へのぼらせ、将軍家のちからになってもらおう)  と考えて休戦をすすめたのであるが、そこを武田信玄がたくみに利用してしまったことになる。 「まことにもって、武田晴信は、こころいやしき男じゃ」  上杉謙信は烈火のように怒ったが、変幻自在の宿敵には、いつもくやしいおもいをさせられてきていた。  これが、三年前のことであった。 「こたびこそは!」  この、うるさい宿敵の首をどうあっても討ちとらねばならぬ。  春日山へ帰ってからの謙信は、夏のさかりを、城内・本丸にある毘沙門堂《びしやもんどう》へこもり、護摩をたきあげ、軍神にいのりつづけた。  夜も明けぬうちから屋敷を出て、山城の道をのぼり、堂へこもると夜に入るまで出て来ない。  この間、毘沙門堂の近くにひかえているのは、小姓二名のみにかぎられている。  ざわざわと家来たちがそばにいては、こころがみだれるからであろうが、 (これでは、不要心にすぎる)  と、於蝶はおもった。  宇佐美定行のことばが本当ならば、見えざる敵は上杉の家来の中にもひそんでいよう。なにしろ、謙信の食べものにまで毒を混じたというのであるから……。 「蝶丸と小平太が供をせよ」  謙信は、毎日の毘沙門堂通いにつき従う小姓を、於蝶の井口蝶丸と、家来・岡本長七郎のせがれ小平太ときめた。  梅雨もあけた。  むせかえるような木立のみどりにおおわれた城内の道をのぼって行く謙信が、三の丸、二の丸とのぼるにつれて、供の侍臣たちの姿が減じ、毘沙門堂がたてられている小高い一郭《いつかく》へ入ると、於蝶、岡本小平太の二人のみとなってしまう。  もちろん、この一郭をかこむ諸方に警衛の武士がたむろしているわけだが、 (よし、この機会《おり》に……)  と於蝶は、十七歳になるという小平太の横顔をながめているうち、ある考えを実行にうつすことにきめた。  上杉謙信は、身のまわりに、いっさい女性を近づけぬ。  十五人ほどの小姓たちが、着替え、入浴、食事など、主君の日常のこまごまとしたすべてのことを取りしきっているのだ。  小姓たちは、十五歳から十九歳ほどの少年たちばかりであるが、いずれも筋骨たくましい若者で、武術にもすぐれているばかりか、その純真な忠誠を謙信にささげ、 「御屋形様のためにならば、いつにても死ぬる!」  の決意を絶えず燃やしている。  こうした小姓たちの中にあって、 (美しい若者は、小平太どのひとり)  と、於蝶がおもったように、岡本小平太は匂うように初々《ういうい》しく、 (抱きしめてあげたい……)  ほどに、しなやかな肢体と、女の於蝶が顔負けするほどの美貌をそなえている。  小平太の「えりあし」のあたりに、二つ三つほど黒子《ほくろ》が散っている。ぬめやかに白い彼のえりあしに、このほくろを見出すことは、於蝶ですら胸のときめきをおぼえるほどであった。  世のうわさによれば……。 「上杉謙信は女を近寄らせぬというが、むろんのこと、女のかわりをつとむるものがあるからじゃ」  つまり、男色のことをさしているわけだ。  戦国のこのころ、男が美しい少年の心身を愛することはめずらしくない。奇異な事がらでもなかったのである。  新田小兵衛も於蝶も、 「謙信公のそばちかくつかえる小姓たちは、いずれも寵愛をうけているにちがいない」  と考えていたし、 「もし、そのようなことになれば、於蝶の男装は、たちどころに発覚してしまいましょう」  小兵衛が厩橋を発するにあたって、宇佐美定行に問うたところ、 「その心配はいらぬ」  ただ一言。定行は二人の不安をはねつけてしまった。  春日山へ来てみれば、於蝶は、 (これなら大丈夫)  と、おもった。  小姓にたわむれるどころではない。  公用のほかは、ひまさえあれば毘沙門堂にこもり、来たるべき決戦にそなえる作戦をねることにのみ没入しきっている上杉謙信であった。  ゆえに、美少年の岡本小平太に対しても謙信は他の小姓たちへ対するのと同様で、今度の毘沙門堂への供に、小平太と於蝶の「蝶丸」がえらばれたことも、だれひとり嫉妬する者はない。  その日も……。  於蝶は、岡本小平太と二人きりで、毘沙門堂下の草地の腰かけに並びかけ、堂内の謙信が出て来るのを待っていた。  夏のさかりの木洩れ日が、きらきらと光り、蝉《せみ》が鳴きこめていた。  と……於蝶の右手が、そろそろとうごき、となりの小平太の左手へのびていった。  於蝶のゆびが、小平太のそれへふれた。  小平太が、別におどろきもせず、ふりむき、 「何?」  と、いった。  小平太は新参者の井口蝶丸が、まさか女だとは考えてもみない。むしろ、自分より一、二歳年下の少年と見ていて、 (弟ともおもい、仲ようせねば……)  と、おもっている。  小麦色の、いかにも健康そうな、ふっくらとした躰つきの井口蝶丸なのである。  小平太にくらべて、立居振舞も、むしろ於蝶のほうが男らしいし、無口な小平太より何事にもはきはきした物言いをするだけに、 「あの二人は、よい取り合せじゃ。蝶丸に親しみを抱けば、小平太の無口ぶりもいくらか直るやも知れぬな」  と、上杉謙信がいった。  そうした「ふくみ」もあって、二人を毘沙門堂通いの供にえらんだのやも知れぬ。 「何?」  また、小平太がきいた。  於蝶のゆびが、ねっとりと自分のゆびへからみつき、妙に、ちからをこめてきたからであろう。 「小平太どの……」 「何? 蝶丸どの」 「今夜、亥《い》の下刻《げこく》に、西の曲輪へ……」 「え?」 「そっと、出て来ていただきたいのです」  あたりを見まわし、於蝶が岡本小平太へすりよって、耳もとへ唇をつけるようにし、 「小平太どのに、ぜひぜひきいていただきたいことがあるのです」  と、ささやいた。 「蝶丸どの」 「だまって……きいて下さいますか?」 「む……して、何のこと?」 「私は、小平太どのを兄ともおもい、おしたいしています」 「む……」  小平太の面上に、ぱっと血がのぼった。  男同士の愛情が奇異におもわれなかった時代なのである。  とりようによっては、井口蝶丸が自分への愛をうちあけたと考えられぬこともない。  それだけに、岡本小平太の胸が、さわいだ。 「ね、小平太どの。来て下さいますか。ぜひとも……ぜひとも……」 「行く」 「はい」 「亥の刻だな?」 「はい」  そこへ、下の道から人影が上って来た。  これは、上杉謙信と小姓たちの昼飯をとどけに来たものである。  膳番四名がささげ持つ塗桶《ぬりおけ》をかこみ、侍臣十名がつきそっていた。  塗桶の中の食事を、先ず、小平太と於蝶が毒見し、異状なきをみとめてから、侍臣が謙信へさし出すのであった。  御主殿の西の曲輪とよばれる一郭は、上杉謙信が起居する一棟と低い土塀をへだてて西側にある。  ここの庭にも、小さな毘沙門堂や諏訪堂《すわどう》とよばれる一堂などがあり、いかにも信仰に熱中する謙信の居館らしい。  これらの堂が建てられている小高い一隅は、こんもりと木立にかこまれてい、木立をぬけると御主殿をかこむ濠がめぐっているのだ。  小姓たちの起居する一棟も、この西の曲輪にあった。  十五人の小姓のうち、三名ずつが交替で、毎夜、主君の寝間に隣接した部屋へつめることになっている。  だが、小平太と於蝶は日中の毘沙門堂への御供があるので、このところ、夜のつとめはゆるされているのだ。  小姓たちは五名で一部屋をもらってい、於蝶と小平太は部屋が別であった。  風も絶えた暗夜である。  於蝶は、亥の刻になるのを待ち、音もなく部屋をすべり出た。  当時、むろん現代のような時計を、だれもが所持していたわけではない。  日頃、昼夜の時のながれによって練磨された人間の感覚で、時をはかるのである。  たとえ少年といえども、機械文明によって磨滅した現代人のにぶい感官のはたらきとは、くらべものにならぬするどさをもっていた。  於蝶の井口蝶丸が西の曲輪の庭へあらわれたとき、 「こちらだ、蝶丸どの」  一足先に、戸外へ出ていた岡本小平太が低く呼んだ。 「あ……」 「さ、まいろう。御堂のうしろがよい」 「はい」  二人とも白麻の寝衣のままだが、さすがに小刀を帯している。  諏訪堂のうしろの夏草にすわり、 「で、私に何を?」  小平太の声が、かすかにふるえた。 「いえ、別に……」  うつむき、恥じらいつつ、於蝶は小平太に身をよせ、 「ただ、こうして二人きりにて、語り合いたかったまでのこと」 「そ、そうか……」 「小平太どの」 「ちょ、蝶丸……」  前髪だちの美少年ふたり、手を取り合い、ひしと寄りそった。  夏の夜の闇がおもく、熱く、二人を包みこんでいる。  於蝶が、なやましげにあえぎをたかめつつ、小平太の右手をとって、わが胸もとへさそった。 「あ……」  小平太が驚愕《きようがく》の叫びをあげた。  小平太の手の指が、むっちりと脹った於蝶の乳房へ、たしかにふれたからである。 「これは……」  飛びのきかける岡本小平太の腕が、於蝶につかまれた。 「おぬし、お、女か……」 「あい」 「は、はなせ」 「いや」  小平太は必死で逃れようとしたが、杉谷忍びの於蝶につかまれた腕である。十七歳の小平太では太刀打ちできるものではない。 「おぬし、な、何者だ?」 「叱《し》っ。もそっと小さな声で……きこえては、小平太どのも罪に問われまする」 「む……」 「わたくし、決して悪いものではございませぬ。ね、ですから小平太さま……」  つかんだ小平太の腕をたぐりこむようにし、於蝶はえりもとから肩へかけて惜しげもなく「女の肌」を露呈させつつ、 「抱いて下され、小平太さま……」 「ば、ばかな……」 「もそっと強う、わたくしをはなさないで……」 「あっ」という間もなかった。  於蝶のくちびるが、小平太のそれへおそいかかった。 「む……」  もがいた小平太のくびへ、双腕《もろうで》を巻きつけ、於蝶はわれから草の中へ倒れこんだ。 (可愛ゆい若者だこと)  と、於蝶も「忍びばたらき」だけのためというよりも、いまはむしろ、この美少年を誘惑することに熱中しはじめたようだ。  それだけに精魂をこめた術技を思うさま駆使しつつ、 「小平太さま、早う……」  もみあううち、たちまちに於蝶はしどけない姿となり、蔓草《つるくさ》のように岡本小平太へからみついた。  こうなると、もう小平太は一種の催眠術にかかったようなもので、 「は、はなせ。い、いかぬ……」  はなせといい、いかぬといいつつ、しだいに無我夢中となり、於蝶がいざなうままに、生れてはじめて掻きいだく女体へおぼれこんでいった。  闇がゆれ、二人のあえぎがたかまり、そしてどれほどの時がすぎたろう……。  岡本小平太は、於蝶からはなれ、草の中へすわりこんだまま、茫然としていた。 「小平太さま。こうなったからには、もはや二人は一心同体ですよ」 「どうしたらよい。私は、ど、どうしたらよい」 「わけもないこと。これからはなにごとも、わたしのいうがままにうごいていて下さればよい」 「いったい、おぬしは何者なのか?」 「ただ、御屋形さまのために、命をかけてはたらくもの、とだけ申しあげておきましょう」 「な、なれど……」 「今夜のことが、もしも御屋形さまのお耳に入ったなら、わたしも小平太どのも、きっと打ち首になりましょう。このことを、しかと忘れぬことですよ、よろしい?」 「わ、わかった」  於蝶が岡本小平太を「わがもの」としたのは、女忍びとして当然のことであったといえよう。  このように「共通の秘密」をもった味方を、たとえ一人にせよ得たことは、これからの於蝶の活躍を容易にすることになる。  上杉謙信が、二人の秘密を知ったなら、 「おのれ!! 余をあざむきし上、主の目をぬすみ不義をはたらくとは、もってのほかのことである」  何よりも虚偽をきらい、異常なまでに潔癖《けつぺき》をこのむ謙信の激怒がどのようなものか、それは岡本小平太自身が知悉《ちしつ》している。  数日を経た夜ふけに……。 「元気でおるか?」  四人の小姓とまくらをならべてねむっている於蝶に、声がかかった。 「あ、叔父さまか……」 「西の曲輪で待っておる」 「はい」  小姓たちの健康そうな寝息をいささかもみだすことなく、二人は、部屋を出て、西の曲輪へ出た。 「於蝶よ。お前が身につける具足など、すべて入れ替えておいたぞよ」 「それは、ありがとうございました」 「当座、こまることはないな?」 「あい」 「わしは、宇佐美定行様の家来としてつかえることになったが……当分は、諸方へおもむいてはまた戻るということだし、お前にも会えまい」 「御屋形さまのお命をねらう曲者たちについては?」 「まだ、わからぬ」 「叔父さま……」 「なんじゃ。妙なやつ……何がおかしい」 「ひとり、味方をつくりました」 「男か?」 「あい。岡本小平太と申す御小姓にて……まこと可愛ゆらしい……」 「ま、仕方もあるまいが……男の肌身におぼれるでないぞ」 「心得ておりまする」 「では、これで……急ぎの用あるときは宇佐美様の御寝所へ行けい」 「はい」  新田小兵衛は、一陣の風のように闇の中へ溶けてしまった。  この翌日。  上杉謙信は毘沙門堂へおもむかず、早朝から「御主殿」の奥ふかくにこもっていたが、夕刻になり、麾下《きか》の部将たちをあつめ、 「こたびの陣立てを申しわたす」  厳然として、上杉軍の編成をいいわたした。  約半月にわたって毘沙門堂へこもり、神気を凝らし、 (これでよし!)  ようやくに、なっとくができたのであろう。  謙信は、会津の芦名盛氏《あしなもりうじ》と、出羽《でわ》の大宝寺《だいほうじ》義増にも、出兵を依頼し、家臣の山本寺《さんぽんじ》定長《さだなが》、斎藤|朝信《とものぶ》をもって越中(富山県)への押えとすることにした。 「春日山の城は、越前殿におまかせいたす」  上杉謙信がいった。  謙信の留守をあずかる長尾越前守|政景《まさかげ》は、謙信の一族で、南|魚沼《うおぬま》郡・坂戸《さかと》の城主であり、謙信の姉を妻にしている。  先陣は……。  村上義清、井上昌満など信州の武将たちである。  これらの武将は、武田信玄の信州侵略に対して長い間、頑強に抵抗しつづけて来た上、ついに信玄に追われて上杉家へたよるようになった豪族たちである。  同じ信州の武将でも、真田一族のように武田信玄にしたがって領国を確保しているものもある。  上杉、武田という二大勢力によって「信州」の国はあらそわれているのだ。  信州の小勢力は、このむとこのまざるにかかわらず、この二大勢力のどちらかへ味方せねばならないのである。  ゆえに……。  村上義清以下、信州の六将は上杉軍の先陣として、まっさきに突きすすみ、武田軍にうばわれた旧領を取りもどすべく、決死のはたらきを要求されているわけだ。  同時に、信州の諸方において、まだ去就《きよしゆう》をきめかねている小豪族たちを味方にひき入れるべき役目をもおびているといってよい。  先陣、二陣、後備、遊軍などから、旗本の陣立て、軍奉行、小荷駄(輜重隊《しちようたい》)奉行、総大将の謙信がひきいる御手回りの部隊をふくめ、総軍・一万四千(一万八千ともいわれる)。 「出陣は、八月十四日」  と決まったのは、それから十日後のことである。  諸将とも、すでに準備はととのえてあった。  春日山城下は、にわかに活気を呈しはじめる。  大がかりな陣ぶれだけに、諸人の目をあざむくことはならぬが、いちおうは、越中平定のための出陣とふれ出させておいた。  だが、古府中《こふちゆう》(甲府市)にあった武田信玄は、 「謙信もいよいよ打って出るか」  たちまちに、このことを知り、陣ぶれをおこない、八月十六日に軍をひきい、甲州を発している。  もちろん、春日山城下に住む町民の中には武田方の忍びや諜者が潜入しているので、城下の模様は、甲州へ筒ぬけになってしまう。  けれども、上杉謙信は、 「余の戦さぶりは、眼前に敵を見てよりはじまる。その前のことを、けがらわしき忍びの者が、いかにさぐりとろうとも意にかけぬわ」  と、いいはなつ。  したがって謙信はスパイや忍びをつかい敵情をさぐりとらせることなど、まったくする気もない。  もっとも、戦場へのぞむ場合は別のことではあるが……。  軍師としての宇佐美定行のみが、ひそかに間諜網をあやつっているのであった。  明朝は、春日山を出発という前日の夕暮れに、 「井口蝶丸はおるか?」  と、小姓たちの部屋へ、謙信の侍臣で大池主膳という士があらわれた。 「はっ、これにおります」  小姓たちも仕度にいそがしい。  於蝶をのぞいた小姓たちは、それぞれ、城下に親もとの屋敷があるのだけれども、主君が女を近づけぬため、侍女の役目をもつとめなくてはならぬ。  日常の仕度から、出陣の仕度まで、すべてを御主殿にととのえてあり、かたときも謙信のそばをはなれまいとしているのだ。  この不世出の英雄に、そばちかくつかえる名誉と栄光を、 「いつにても死んでみせるぞ!」  と、少年たちは胸を張ってうけとめていた。 「蝶丸。御屋形様のおゆるしをいただいた。すぐに宇佐美定行様お屋敷へ行け。おぬしの父御が信濃より戻ってまいられたそうな。先刻、宇佐美様よりの使いがまいってな」 「では……」 「ゆるりと別れを惜しむがよい」 「はあ……」  於蝶は、御主殿を出て、宇佐美邸へ急いだ。  すでに、越後の国へは秋が来ていた。  日中の陽ざしはまだ強いが、夕暮れの空は冷ややかに澄みわたり、 (いつの間にやら、夏がすぎてしもうた……)  あれから、西の曲輪の草の上で、 (いくたび、小平太を抱いたことやら……)  於蝶はにんまりと笑いつつ、宇佐美屋敷の門をくぐった。  宇佐美邸は、御主殿の南の濠に面した一郭にある。  これは春日山における邸宅だが、十五里ほどはなれた琵琶島の領地には、小さな城をもっているし、ここには長男の宇佐美|実定《さねさだ》がいて、ほとんど父のかわりをつとめている。  その実定も手兵をひきい、琵琶島からすでに春日山へ到着していた。  宇佐美邸内の奥まった一室へ、於蝶が通されると、そこに老軍師・定行と新田小兵衛がいた。 「ほほう」  と、定行は目をほそめ、早くも軽武装に身をかためてあらわれた於蝶を見て、 「蝶丸どのよ。あっぱれ武者ぶりじゃな」 「おそれいりまする」  小兵衛が、ひざをすすめ、こういった。 「このことを申しつけておく。信濃・安茂里《あもり》の城主、小柴見宮内《こしばみくない》殿は、武田方の将なれども、われらと意を通じておる。よいか、よいな」  於蝶は、うなずいた。  叔父・小兵衛が、わざわざここへ自分を呼び出していいふくめたからには、それだけの理由がない筈はないのである。 [#改ページ]  川 中 島  八月十四日朝に春日山を発した上杉軍は飯山街道を経て、現・飯山市を通過し、千曲川に沿って南下。  闘志をひそめた強行軍で、十六日の夜には、早くも善光寺へ入った。  すなわち、あまりにも有名な現・長野市の善光寺である。  善光寺は、いつごろに建てられたものか……。  おそらく七世紀の末ごろに建てられたものであろう、ということだ。  この寺の本尊は善光寺如来で、つまり「あみだにょらい」のことであろう。  善光寺如来への信仰がひろまり、鎌倉時代に、源頼朝が信州の武士たちに命じ、善光寺の堂宇を立派に建て直させてから、やがて門前町も栄えるようになった。  けれども、現代の善光寺と長野の市街の繁栄ぶりとくらべては、まったく問題になるまい。  戸隠《とがくし》、飯縄《いいづな》の山なみを背負ったこの寺院の境内の丘には、横山城と称する上杉方の城砦もかまえられていたのである。  上杉謙信は、善光寺の仏像などを、 「武田方にうばいとられてはならぬ」  と、これを春日山へうつし、いまの直江津市の近くに善光寺を建てて、ここへ仏を安置しておいたそうである。  で……。  上杉軍は、先ず横山城へ入った。  小さな城へ入りきれぬ大軍であるから、善光寺境内をうめつくし、さらに寺の外まわりへ陣営をつらね、大量のかがり火と「たいまつ」の炎は天をこがしたといわれる。  このとき武田信玄は、ようやく甲府を発したばかりで、出発に先立ち、 「尼飾城の兵は、山を下って海津城へ入るべし」  との命令が、甲府からとどいた。  この信玄の命令は、上杉軍が春日山を出発すると同時に、甲府から発せられ、騎馬の使者が昼夜兼行で駆けつけて来たものである。  上杉軍出発を知った武田方の間者は、越後の山々から、烽火《のろし》の信号をもって、つぎつぎに、山から山へつたえながし、これが甲府の烽火山へとどくまでに、二刻(四時間)とはかからなかったとつたえられる。  さて。  尼飾城にいた武田軍三千余は、ただちに城を下って、すぐ目の前の海津城へ入り、合せて五千の兵力となった。  これは、上杉軍が善光寺へ入った同じ日の夕暮れであった。  海津城は、いまの長野市松代町にある。  善光寺平、川中島、千曲川をへだてて、善光寺と南北に向い合い、さしわたしにして、わずか三里(十二キロ)の近間《ちかま》なのだ。  海津城の武田勢は、たいまつの火をつらね、陸続と善光寺へ集結する上杉の大軍を、かたずをのんで見まもった。  十七日の朝となった。 (あれが、旭山《あさひやま》の城か……)  夜明けと共に、於蝶の井口蝶丸は、善光寺の城の矢倉にのぼり、木立と平原の民家のつらなりの彼方にそびえる旭山をながめた。  さしわたしにして、半里(二キロ)の近さに旭山城はある。  もとはこの城の主であった小柴見宮内は、宇佐美定行にいわせると、 「すでに、味方である」  なのだそうだ。  しかし、小柴見宮内は、善光寺へ着陣をした上杉謙信のところへあいさつに来たわけでもない。  いま、旭山城は上杉のものとなっている。  六年前に……。  武田信玄が信州へ押し出して来たとき、善光寺の堂主であった栗田氏は、信玄に味方して旭山へ立てこもり、頑強に抵抗をしたものだ。  そのころ、小柴見宮内は、この城の主であったといわれる。  だが、三年後の弘治三年に、上杉謙信が善光寺を手におさめたとき、小柴見宮内は旭山を上杉方へあけわたし、この山城を下って安茂里の領地へ帰った。  領地といっても、安茂里は旭山の南ふもとにある。  このあたり、いまも「小柴見」の地名が残されているのは、なつかしいことだ。  安茂里にある小柴見宮内の城は、善光寺から一里とはなれていない。  旭山につらなる峰の中腹にある「小さな城」なのである。  その城に、宮内は三百ほどの手兵をひきい、じっと、上杉・武田両軍のうごきを見まもっているのだ。  むろん、上杉謙信は、このような小豪族などは蚊が飛んでいるほどにも考えてはいない。  だから、小柴見の城を攻めようともしない。 (……小柴見どのは、どこまでも武田軍に味方をするかたちをとっている。そうして、武田信玄を安心させておき、いざというときに、こちらの味方となる。なるほど……)  と、於蝶にもなっとくがゆく。  そうしておけば、小柴見宮内も武田方の武将として作戦会議の席へもつらなることだろうし、宮内の知らせにより、上杉軍が敵のうごきを知ることもできる。 「なれど、御屋形の御耳へは、このことを、まだ入れてはおらぬ」  と、宇佐美定行は新田小兵衛にいった。 「余は、そのような裏切り者の口から、武田方のうごきを知ろうとはおもわぬ!!」  謙信は、かならずや怒気を発し、宇佐美軍師の苦心なぞには耳もかすまい。  あくまでも、 「わが太刀をもって信玄の首を討つ!!」  ただ、その一事──その決意を行動にうつすための作戦が、只ひとり、総大将の謙信自身の胸にのみ、たたみこまれているのだ。 「蝶丸よ、ここにか……」  矢倉へ、のぼって来た人の声がした。  宇佐美定行であった。  定行が目顔で、矢倉にいた物見の武士を下へ去らせ、 「蝶丸、何をいたしておる?」 「旭山を、ながめておりました」 「味方の城をか」 「はい」 「いま、旭山は、わが手のもの。あの山城が武田方のものとなっていたころは、御屋形様も、どれほど、くやしいおもいをされたことか……」 「あの城に、立てこもるときは、いかな大軍をもってしても攻め落すことは、なかなか……」 「おぬしにも、わかるかな」 「はい」  ふっと、定行は沈黙をした。  美しい白髪を肩までたらした、この老軍師も、いまは軽武装に身をかためている。  眼下にひろがる上杉軍の全容は、戦旗のつらなり、軍馬のいななきをもってしても、あますことなく敵にながめられている。  作戦の秘密も何もない。  三里の彼方、海津城の武田勢に、 「余は、これだけの軍容をもって、お前たちと戦うぞ」  と、上杉謙信は堂々と明示しているのだ。 「蝶丸……いや、於蝶よ」  ややあって、宇佐美定行が、ひとりごとのように、 「今夜、おぬし、小柴見宮内の城へ忍び入ってくれぬか」  と、いった。 「え……?」 「わからぬか?」 「では……?」  於蝶は、まじまじと老軍師の顔を見つめ、 「小柴見どのが、こなたへ内応のこと、まだ、はっきりとしてはおりませぬので?」 「それがの……」  定行の、おだやかな顔貌が、かすかにくもった。 「小柴見宮内へは、善光寺の堂主を通じ、こなたの味方へ引き入れてはある。その上、厩橋を発するにあたり、新田小兵衛へたのみ、小兵衛をひそかに宮内の城へ忍び入らせ、わしの言葉をつたえ、宮内もまた、かならず、いざともなれば上杉方へ味方することを誓った」 「叔父は、なんと申しましたか?」 「なんと申しても、口と口、胸と胸との約束であるし……たとえ、宮内が誓紙をしたためたとしても、いまの、この戦乱の世に……」  定行は笑った。  戦国の世には、証文なぞ何の役にもたたぬというのである。 「宮内の城へ忍びこみ、宮内の本心をたしかめてもらいたい」 「それは、なれど、御屋形さまが……」 「それは、うまく、わしがはかろうてつかわす。井口蝶丸は、この善光寺の城へ残すことにしよう」  善光寺と旭山の両城には、上杉軍の後備として、およそ三千の部隊が残ることになっている。  わが小姓たちも、その半数を、 「ここへのこせ」  と、謙信みずからが命じているのだから、於蝶を残すことはわけもない。  この城の物見矢倉から見わたすと、東から南へかけて、善光寺平を一望のもとに見わたすことができた。  平《たいら》とは、山間の平地をさす。  ここから見わたせる善光寺平は、東西四里(十六キロ)南北三里にわたっている。  その南北三里の彼方、保基谷《ほきや》、高遠《たかとお》の山なみにつつみこまれるようになって見えるところが、松井ノ郷(現・長野市松代町)である。  武田信玄が、この松井ノ郷にきずいた海津の城は、山城ではない。  千曲川は、両軍|対峙《たいじ》する盆地のあたりで犀川と合流し、なおも北上して越後へ入る。  二つの川が合流するところ、そのひろい中洲が「川中島」だ。  千曲川の岸ぎわの崖上にきずかれた海津城のあたりも、相手が、こちらをのぞみ見るのと同様、手にとるようにながめることができた。  城をまもるためには、山岳などの天険を利用した山城にくらべて、海津城のような平城《ひらじろ》が不利なことはいうまでもない。  そのかわり、軍隊や物資の出入りが自由だし、大軍が陣をかまえるのには非常に便利なのだ。  武田信玄は、あえて、この平城に本陣を置こうとしているらしい。  ということは……。  川中島一帯に大軍をくり出し、今度は正面から宿敵・上杉謙信に立ち向おうとしていると見てよい。  去れば侵し、もどれば逃げるという信玄の謀略に長けた戦さぶりには、 「おのれ、ひきょうな!」  何度も、くやしいおもいをさせられている謙信であったが、 「こたびの戦さでは、余も思いきったる手をうとうぞ」  すばらしい闘志にみちみちていた。  小田原攻め以来の病気も、ほとんど快癒したらしく、たくましい食欲を見せているのが、小姓たちの目にも看取された。 「こたびの戦さは、上杉も武田も、たがいに大将の首を討たんの戦さじゃ」  と、新田小兵衛も於蝶にもらしていたが、その小兵衛は、いま、どこにいるのか。  春日山を発して以来、小兵衛は於蝶の前に一度もあらわれていない。 「こたびの戦さは、よういならぬ。それだけに、わしは何としても御屋形に勝っていただきたい。そして、この信州の国を、しっかりつかみとっていただきたいのじゃ」  と、宇佐美定行の声が熱をおびてきはじめた。 「勝っていただきたい。勝っていただかねばならぬ」  つぶやきつづける定行の、平常は細く、やさしげな両眼が、はりさけんばかりにみひらかれ、らんらんと光り、 「あの城へ……」  と、彼方の海津城の方向へ、定行はゆびをあげつつ、 「あの城へ、やがて入って来る一人の男も、このわしが御屋形の勝利を祈っておることと同様に、武田信玄の勝利を必死のおもいをこめ、祈っているにちがいない」 「一人の男……?」と、於蝶。 「いかにも」 「たれでございます?」 「その男の名か……」 「はい」 「山本勘助という」 「……?」 「おぬし、知らぬか?」 「存じませぬ」 「ふむ……甲賀の忍びたちの耳へも、名がきこえてはおらぬ男じゃが……」  定行が、ふといためいきを吐き、 「おそるべき男じゃ、おそるべき……」 「その山本勘助とは?」 「わしと同じよ」 「では……」 「武田信玄へ影のようにつきそっている軍師じゃわえ」  小兵衛や於蝶が「忍びの術」をもって、戦国の世にはたらくのと同じように、軍師は、「兵法」をもって戦争を勝利にみちびくための学問と技術と経験をもって、主とあおぐ大名のためにはたらく。 「こたびの戦さは、御屋形と信玄の戦さであるばかりではなく……この定行と山本勘助との戦さでもある。わしも勘助も、かつて今まで、このようにひろびろとした戦場において、互いの智略をかたむけつくしたことはなかった……」 「宇佐美さまは、山本勘助をごぞんじなのでございますか?」 「うむ……」  うなずいた定行の視線が晴れわたった朝空へ向けられた。  定行の表情は、何か、ものなつかしげな、夢見るような和やかさに変っている。 「若きころのわしが、諸国を流れ歩いていたころ、勘助もまた同じように放浪の身の上じゃった……」 「では、その折に?」 「一年ほども共に暮したことがある。たがいに、よき主をえらび、おのれの兵法をぞんぶんにはたらかせてみたいという、はげしいこころを燃え上らせつつ、二人は旅をつづけていたものじゃ」 「さようでございましたか……」 「おそらく、勘助が、武田信玄にしたがって甲州を発したのは、昨日であろう」  するどい宇佐美定行の直感は、的中していた。前日の十六日に信玄は甲府を発している。 「念には念を入れねばならぬ。わしは、どうあっても小柴見宮内を味方につけておきたい」  ふたたび、定行が於蝶をかえり見た。  上杉謙信は、尚《なお》も三日を善光寺に滞陣した。  そして八月二十日の未明。  朝霧がただよう善光寺平へ、一万余の軍団をひきいてすすみはじめたのである。  武田信玄は、まだ到着をしていない。  尼飾城をまもっていた信玄の弟・武田信繁は、部隊を海津城へおさめるや、みずから五十余の手兵をしたがえ、上田まで出迎えに駆けつけている。  で……。  いま、三千の兵をひきいて海津城をまもっているのは武田信玄の嫡子・太郎|義信《よしのぶ》であった。  このとき、太郎義信は二十四歳。  のちに、父・信玄にそむき自殺をとげてしまう義信なのだが、このときは、勇気りんりんたる若大将で、上杉の大軍の移動を眼前にしても、 「なにごとも、父上の御指図を待てばよい」  海津城にあって、平然としていた。  だが、その太郎義信も、 (や……?)  城の物見矢倉へのぼって来て、瞠目せざるを得なかった。  上杉軍は、犀川と千曲川の合流点のあたりから、川をわたって、まっすぐに海津城を目ざし進んで来るではないか……。 (攻めかけて来るつもりなのか……?)  そうなっては、とてもかなうものではない。  平地の城に三千の兵がいたところで、四倍の強敵を相手にできるものではない。 「すわこそ!」  というので、城内の武田勢に緊迫のいろがたちこめた。 「ほら貝」が鳴る。  あわただしく、伝令が走りまわる。  城外にいた兵たちも、いっせいに城へ収容された。  すでに、霧もはれあがっていた。  事実このとき……。 「わけもなきことにござる。海津城をもみつぶしてくれましょうず」 「あの城を、攻め落しておけば、武田信玄も本陣をかまえるにかならず迷いがおこりましょう」  麾下の武将たちが馬を馳せて来て、しきりに謙信へ進言をしたのだ。  けれども上杉謙信は、「余に、ついてまいれ」  と、いうのみである。 「御手回り」の一隊にかこまれ、軍列の先頭に立ち、謙信はゆうゆうと進む。 「あっ……」  海津城では、武田太郎義信の顔色が変った。  上杉軍が、突然、山かげへ入りはじめたのである。  すなわち、候可《そろべく》の峠をこえて、海津城のまうしろへ出て来たのだ。  城へ攻めて来るのなら、わざわざ、うしろの山へ上ることもあるまい。  海津城の武田勢は、眼を白黒させているより他に、なすべきことを知らぬ。 「ともあれ、このことを父上に……」  武田太郎義信は、二名の騎士に、 「急げ!」  と、命じた。 「ははっ」  二名の急使は、馬に飛び乗って西へ走り出た。  千曲川は、山なみに沿って西から南へうねっている。  南へ約十里。  そこに、上田がある。  武田信玄の本軍は、先ず上田へ到着することがわかっていたから、急使は、まっしぐらに上田へ向って馬を走らせた。  武田信玄は、この日の夕暮れに上田へつき、この知らせをうけとったが、 「上杉政虎は、海津の城を攻めはすまい。余があらわれるのを待ってから仕かけてくるつもりであろう」  笑顔でこたえ、そのまま、上田へ滞陣してしまった。  それはさておき……。  昼ごろになると、候可の峠へあらわれた上杉軍が、今度、まっすぐに山を下りはじめたではないか。 「来る、来る……」 「せ、攻めかけて来るぞ!」  またも、海津城は色めきたった。  上杉軍は、ぐんぐんと山を下って突き進んで来る。 「それ!」  武田勢三千余は、またも応戦準備に狂奔した。  上杉の先頭が、ついに山を下りきった。  旗本にかこまれて先頭を進む上杉謙信の姿も、城から、はっきりと見える。  具足の上から、むらさきの法衣をまとい、頭巾をかぶった謙信のそばには、平山又十郎、虫倉新助の二名が旗手となり、紺地に日の丸の旗と、白地に「毘」の一字を書いた旗のぼりを高だかとかかげて進む。 「謙信じゃ!」 「おのれ!」  城中の武田勢は、意気込んだけれども、まさか、大軍の中へ飛び出して行くこともならぬ。  それに、 「余の下知あるまでは、かならず城を出て、戦さを仕かけてはならぬ」  と、武田信玄が命じて来ている。 「うぬ。こともなげなふるまいを……」  太郎義信は歯がみをした。  わずか千五百メートルほどの彼方を、上杉軍は通過しつつある。 「どうだ、手も足も出まい」  と、いいたげに、ゆうゆうとして進んで来る。  と……。 「あっ……」  城の中では、またもおどろいた。  攻めかけて来ないのだ。  上杉軍は、横目に海津城をながめつつ、城のすぐうしろを西へ進みはじめた。 「ど、どこへ行くつもりなのだ」  おもううちに、またも上杉軍が山へのぼりはじめた。  海津城のうしろの山も平地も、上杉の旗のぼりと進軍の響に、おおいつくされたといってよい。  上杉軍は、海津城の南から西へ、ふたたび山なみを通り、ついに、妻女山《さいじよさん》へとどまった。  このとき、空は血のような夕焼けとなった。  妻女山は、海津城の西方わずか半里(二キロ)のところにあり、海抜五百四十余メートルといわれるこの山は、文字通り目と鼻の先に、敵の本陣がかまえられたといってよい。  いまも、海津城の址《あと》に立って妻女山をのぞむとき、はじめてここをおとずれた人は、両軍本陣のあまりの近さに目をみはることであろう。  山頂から中腹、さらには山すその前衛の陣地にかけて、上杉軍の旗、のぼりが林のごとく押しならんだのである。  夜に入った。  妻女山は、かがり火と松明《たいまつ》のかがやきにつつまれ、 「ううむ……」  武田太郎義信は、物見矢倉にのぼったきり、夜になっても妻女山をにらみつづけている。  こうなってみると、さすがに武田軍であった。  妻女山からの威圧にも、びくともせぬようになってきている。  城の東方にある皆神山から、 「御大将、上田へ御到着」  の烽火《のろし》信号が打ちあげられたからである。  これは、信玄到着と共に、上田の北方にある東太郎山から打ちあげられた烽火信号が、数カ所の中継を経てとどいたからだ。  このことをもってしても、信州の大半は武田の勢力下にあるといってもよい。  それでなければ、火を打ちあげる山々へ信号所をもうけておくことはできぬ。  こうして縦横に連絡をたもちつつ、武田信玄は、 「これからは、どうなるやも知れぬ。明日いっぱいは、ゆるりと兵をやすませよ」  といい、 「敵は、わが腹中へ入った」  つぶやいた。  まさにその通りである。  善光寺と旭山へ、少数の部隊を残したのみ、上杉謙信は武田軍の海津城と上田の信玄本陣とに、はさまれたかたちになった。  しかし、 「腹中に入った」  と、いいつつも武田信玄の顔に笑いはない。  ときに、信玄は四十一歳。  武田家は、源義光が甲州(山梨県)を朝廷からたまわり、その領主となってから三百年もの間、この山国をまもり、おさめてきた。  それから十九代目の領主が武田晴信で、晴信が僧籍に入ってあたまをまるめ「信玄」と号したのは、二年前のことであった。  何も坊さまになったからといって経ざんまいに暮すわけではない。信玄もまた謙信と同様に、全力をつくして、日本の諸国にひしめき合う戦国大名を制し、天下の大権をわが手につかみとろうという決意をかためたまでである。 [#改ページ]  小 柴 見 城  こうして、八月二十日の夜はふけていった。  善光寺の城にある上杉の残留部隊に入った於蝶の井口蝶丸は……。 「わたしの姿が見えなくとも、あわてなくてもよい」  城の外の山林の中へ、小姓の岡本小平太をさそい出し、 「たれかにきかれたら、うまく、いいくるめおいてほしい」  小平太を抱きしめ、その頬のあたりをくちびるで愛撫しつつ、 「よいかえ?」 「でも……」 「なにが、でも?」 「こわい」  小平太は、かすかにふるえつつ、それでも生まれてはじめて知る成熟した女体のにおいにむせび、もう夢中になっている。 「なにが、こわい?」  於蝶は、小平太を押えつけるように、上から抱きしめている。  まるで、こうしたときの男と女の位置が入れかわったようだし、前髪の小姓姿の井口蝶丸が、くつろげたえりもとから、ふくよかな乳房をあらわし、これを岡本小平太が母親にあまえる子どものようにつかんでいるのであった。 (このようなところを、あの謹厳な御屋形さまがごらんになったら、どのようなお顔をされることか……)  ふっと、そうおもい、於蝶は笑いがこみあげてきた。 「蝶丸どの。なにが、おかしいのだ?」  と、小平太も言葉だけは同僚に対するそれであった。 「いえ、別に……」 「ああ……こわい」 「なにが、こわい?」 「いったい、蝶丸の正体はなにか?」 「知らぬでもよい」 「でも……」 「前に申したように、わたしは御屋形さまのためにはたらくもの。それだけを、しかとおぼえておけばよい」 「だいじょうぶなのか?」 「よいか、小平太どの。わたしは、明朝までに、ここへ戻るつもりなれど……もしも帰らぬときは……」 「え?……ど、どこへ行く?」 「どこでもよい」 「なれど……」 「もしも帰らぬときは、できるだけ、お前さまひとりで、わたしがおらぬことを隠してもらいたい」 「かくす?」 「隠しきれなくなったときは、妻女山の御本陣にある宇佐美定行さまのもとへまいったと、このように申せばよい」 「宇佐美様へか?」 「そう。宇佐美さまの下で、わたしは、はたらいている。そのようにおもうて下されてもよい」 「そ、そうか。そうであったのか……」 「さ、しばしの別れゆえ、もっと強う抱きしめてたも」 「こ、こうか……こうか、蝶丸どの」 「あ……子犬のように歯をたてては、痛いではないか。もっと、やさしゅう……」  そこは、善光寺・本堂のうしろをながれる湯福川の堤の下のこんもりとした林の中であった。中に、小さな古びた地蔵堂がある。  この堂の中へ、於蝶は軽武装の身仕度のすべてをかくし、かねて用意の衣類に着替えた。  すでに、岡本小平太は城砦へ帰してある。  衣服といっても、このあたりの里人が着るようなものだ。例のごとく、この上から甲賀の墨流しとよばれる一枚の黒い布をまとい、要所を「ひも」でしめると、身軽で、しかも黒の忍び装束を着たのと同じような効果がある。  さらに……。  於蝶の腰には左右へ一個ずつ、革の袋がつけられた。これには小さな忍び道具がしまいこまれている。  そして束ねた鉤縄《かぎなわ》が一つ。  もちろん、この場合も男装であった。  春日山を発するとき、叔父の新田小兵衛が、 「善光寺境内、本堂うしろの林の中の地蔵堂を見よ」  こういって、鍵を一つ、わたしてくれたものである。  ここへ来て、その通りにした。  鍵をつかって堂の扉をあけると、下に敷かれた大きな石があり、この石の中が空洞になってい、そこに桜材の木箱が入っていた。  木箱の中には、当座の間、於蝶が「忍びばたらき」するために必要な品が、つめこまれてあったのである。 (よし!)  地蔵堂を出た於蝶は、黒い風のように走り出した。  湯福川を、一飛びに飛びこえた。  本堂のあたりから惣門、境内はいうまでもなく、門前町までも、上杉軍の警衛がきびしく、かがり火が燃えて、番卒が往来している。  軍紀がきびしい上杉軍だけに、味方とはいえ少しのゆだんもならぬ。  しかし、於蝶はたちまちに善光寺をはなれた。  すぐに、田畑がつらなり、農家が散在しはじめる。現代の長野市とはくらべものにならぬさびしさだ。  それでも、このあたりは麻や紙の名産地で、これを買いあつめに来る商人たちが、定期の市がひらかれる日には諸国からあつまり、非常なにぎわいとなるらしい。  善光寺から、あの小柴見宮内の城がある安茂里の村までは、およそ一里ほどあった。  於蝶の足ならば「あっ」という間についてしまう。  村は眠っていた。  村の背後の山の中腹に、小柴見の城があり、村人は、この山のことを「お城山」とよんでいるようだ。  この城に、小柴見宮内は、三百の兵をひきい、じっと息をころしているのである。  彼は、何を考えているのであろう。  城といっても……。  小柴見城のようなものは、現代に、われわれが見るところの「城」のように立派でもなく、美しくもない。  戦国のころは、まだ天守閣も生まれてはいぬし、石垣にしても、後半の大坂城、江戸城その他、現代まで生きのこっている城址のそれとはくらべることができぬ。  そうした城の建築技術が発達するのは、当時よりも十数年を経たのちのことである。  石垣のかわりに、石と土をまぜてかためた城壁や堤によって「城」はかこまれ、中に木造の質素な建物がならび、矢倉がもうけられている。  春日山城だとて、そうした形式を大規模にひろげたにすぎぬし、海津城も、甲府の武田信玄の城も同様であった。  まして、小さな小柴見の城。  それでも、城内は、本丸・二ノ丸・三ノ丸から四ノ曲輪まである。  そして、北ノ曲輪とよばれる一郭は城内のもっとも高所にあって、いまここに小柴見宮内はたてこもっているのだ。  大手口は南に面し、約半里をへだてて犀川をのぞむところにあり、ここに城門がある。  城門の両がわ一帯が「さむらい屋敷」なのだが、いずれも「わらぶき」か「板ぶき」の屋根で、家来たちの大半は、戦争がないときなど、田畑へ出て百姓仕事をしている。  そのころの小さな「殿さま」の家来なぞは、およそ、こうしたものなのである。 (なれど……小柴見宮内というお人は、よほどに領民たちを可愛ゆくおもっているらしい)  安茂里の村へ近づきながら、於蝶は、そうおもった。  村人が逃げた様子もない。  そればかりか、村のまわりに、かがり火をたき、警戒もきびしい。  これは、村人たちが領主の小柴見宮内と共に、はたらこうという意気があるからと見てよい。  城の外まわりにも番卒の見張りが厳重だ。  けれども……。  城の中は暗い。  ひっそりと暗く、静まっているのである。  於蝶は、城門からはなれた「さむらい屋敷」の間の小道へ駆けこんだ。  番士たちにも出合ったが、於蝶にとって、このような小城へ忍びこむのはわけもないことだ。  墨流しに身をつつみ、むしろ、番卒の背中すれすれに微風のごとくに通りすぎて行く。  例の「整息術」によって、於蝶は夜の闇にとけこんでしまっている。一見、らくらくと警戒の眼を突破しているようだが、呼吸をつめているので、於蝶自身は、かなり苦しいのだ。  於蝶は、山道をわざと迂回して、三ノ丸の城壁へ出た。  空濠《からぼり》が城壁をめぐっている。  彼女の腰から鉤縄が蛇のようにうねって飛び、城壁の裏側へ引っかかった。  於蝶の躰は、その鉤縄に手《た》ぐりこまれるように、三ノ丸の城内へ消えた。  於蝶が、三ノ丸の城壁内へ躍り入ったとき、 「あっ……」  ちょうど、曲輪内の土塀の通路から出て来た二名の武士が、 「くせもの!」  ひっさげていた槍をかまえて、 「くせものじゃ、出合え!」  叫びつつ、於蝶へ突きかけて来た。 「む!」  地面へ貼りついたかとおもわれるほどに身をしずめた於蝶が、頭上へかわした武士の槍の下から、むささびのように飛びついて行った。  武装に身をかためた相手だけに、思いきったこともせねばならぬ。  腰の短刀をぬきはなちざま、於蝶は武士の太股を突き刺し、はねのくと共に、飛苦無を別の一人へ二箇、投げ撃った。 「ああっ……」 「ぎゃっ……」  城士二人が、もんどりうって転倒する。 「どこだ!」 「出合え!」  わめきつつ、数名の城兵が龕灯《がんどう》の光と共に土塀の中から駆けあらわれたときには、於蝶の姿は、土塀の上を右手と両足をつかって横ざまに走りはじめている。  猫のごとく走りつつ、於蝶の左手は腰の革袋をさぐり〈散らし〉をつかみ出していた。 〈散らし〉には大小あるが、いま、於蝶が所持しているものは、長さ五寸ほどの小さな竹筒であった。  この竹筒に仕かけた〈ひも〉をひきぬくと同時に彼方へ投げやると、竹筒はするどい音を発する。  こちらへ集中する敵の目を、別の方角へ散らすための忍び道具なのである。  於蝶の投げた〈散らし〉は、負傷してもがいている二人の城士の頭上をこえ、いま、於蝶が潜入した城壁の彼方へ、音の尾を引いて落ちていった。 「逃げたぞ!」  と、於蝶に傷つけられた二人が叫んだほどであるから、他の城兵が、いっせいに三ノ丸外へなだれ出ていったのは当然といえよう。 (よし……)  にんまりと、於蝶は笑った。  土塀づたいに、彼女は、二ノ丸との境の空濠へ達している。  二ノ丸から、本丸へ……。  さして大きくもひろくもない城であるし、 「曲者潜入!」  のさわぎがおこって、城兵の注意は、三ノ丸から城外の山林へそらされてしまっている。  本丸の空濠をのぼりきって、北ノ曲輪との境にある番所のすぐ傍を、於蝶は平然と通りすぎた。  番所の前には二人の兵が立っていたのだが、夜気にとけこんだかのような女忍びの気配に、彼らが気づかなかったとしても、とがめるべきではないだろう。  間もなく、於蝶は、小柴見宮内の居館の床下へ、すべりこんでいた。  わらぶきの小さな居館であった。  戦さがないときは、城の下にある居館に暮している小柴見宮内も、非常の時ともなれば、山上の北ノ曲輪の居館へ入る。  部屋数も五つほどで、ここに、宮内は奥方や二人のむすめと共にうつって来ているのだ。  宮内は、まだねむってはいなかった。  奥の「おやすみどころ」とよばれる板じきの一間で、彼は、重臣の深沢万右衛門と向い合っている。  ここは城主の居館であるから、廊下にも外まわりにも、きびしく、番士が見張りをしている。 「くせものが、潜入いたしたそうな……」  と、小柴見宮内が深沢万右衛門にいった。 「おやすみどころ」には、この二人きりで、人ばらいがなされている。  宮内は、四十そこそこの年齢であろうか……。  ほっそりとした躯つきの、なかなかの美男子であり、眼もとが、いかにもやさしげであった。  ととのった鼻の、左の小鼻のわきに大きな黒子《ほくろ》があり、一すじの毛が、この黒子からたれ下っている。  小柴見宮内は、この黒子の毛を大切にしているらしい。  ゆびさきで、その毛をそっといじりながら、 「その、くせものは何者であろうか?」  と、いう。  深沢万右衛門は、こたえない。  万右衛門は宮内の母の弟だから、叔父ということになる。年齢も六十に近いし、家来たちは「御年寄り」とよんでいるらしい。 「どちらにせよ……」  と、宮内がいいかけて、ふといためいきをつき、 「どちらにせよ、すでに旭山の城をはなれた、この小柴見宮内を味方に引き入れたところで、このたびの大戦さには何の役にもたたぬのにな……」  万右衛門は、まだ、こたえない。やせきって骨が鎧をつけているような躰を苦しげに、かすかにゆりうごかしながら、土気色のくちびるをかみしめたまま、うつむいているのであった。 「あ、ああ……」  宮内が、うめいた。 「わずか、三百のわが家来どもなぞ、なんのちからもあるまいに……旭山にいたころの強い兵たちは、みな散り散り出てゆき、武田や上杉をたより、わしを捨てて行ってしまった……」 「いかにもな……」 「なぜ、わしをそっとしておいてくれぬのかな。わしはな、何も大きなのぞみを抱いているわけではないのだ。信濃の国の片隅に細々と息をついている安茂里の村の主として、平穏に暮して行ければよい。ただ、それだけの、のぞみもならぬというのか……」  このとき、深沢万右衛門が、腹の底からしぼり出すように、 「その、ささやかなのぞみをはたすためにこそ、武田か上杉か……そのどちらかへ与《くみ》せずばならぬこと、殿は、よくわきまえておられる筈ではござらぬか」  と、いった。  すでに、於蝶は二人が坐している真下へ、ひそんでいる。  低い二人の話声が、けだものの聴覚をそなえている於蝶には、明瞭にききとれる。 「むずかしい」  またも、小柴見宮内が嘆息をもらした。 「こたびの大戦さでは、かならず両軍の勝敗が決まろう」 「いかにも、信玄の首か、謙信の首か……その、どちらかが……」 「いままでのごとく、上杉が攻め来れば上杉へ、武田が侵し来れば武田へ、というような……その場その場のぐあいよきようなふるまいもできぬ」 「かと申して、このまま、この城にとどまって形勢を見ているわけにもまいりますまい」 「勝ったほうへ味方するのではおそい。それは、ひきょうになる。勝つとおもうほうへ、先ずもって味方しておかねばならぬ。そうして、こたびの大戦にはたらき、わが城を、わが領地を安堵してもらわねばならぬ」  またも、宮内のためいきなのである。  於蝶は、小柴見宮内が気の毒になってきた。  諸国には、宮内のような小豪族が数えきれぬほどにいるのだ。  戦国のあらそいは、しだいに大勢力にしぼられてきているし、やがては、その代表選手ともなった大勢力同士が最後の決戦をおこない、勝ったほうが日本の天下をつかみとる。  そのゴールへ向って、諸国の大名、武将たちのうごきは急速をくわえつつある。  いったい、だれが勝ちのこるのか……。  信州の豪族たちにしても、当面の問題として、武田・上杉の二大勢力のどちらかへ入りこまねば、自分の土地も城も維持してはゆけないのである。  現代でいえば……。  将来、会社の大幹部ともなるべき人材が、その大幹部になる前から取り入っておかねば、わが出世にも格段の差がつくのと同じことで、人間のいとなみの根本は、四百年もむかしのそのころと現代とくらべて、いささかの変りもないのだ。 「殿。武田勢は、信玄公の出陣をいまだ見ませぬが……上杉政虎公は早くも今日、善光寺を発ち、なんと、妻女山へ本陣をかまえましたぞ」 「信玄公は、もはや、どのあたりまで?」 「こうして、この城に引きこもっていては、何もわかりませぬ」 「むむ……」 「先ごろより、上杉方の軍師・宇佐美定行殿の使者として、井口伝兵衛と申す者が二度ほどあらわれ、上杉へ内応のことを、しきりにすすめまいりましたが、あのときは味方すると、おおせになったそうで」 「当然ではないか!」  急に、小柴見宮内が怒鳴った。 「あのとき、味方をすると誓っておかねば、いまごろはこの小城一つ、上杉軍に、もみつぶされ、わしもおぬしも、早や、首を打ち落されて、この世のものではなかった筈じゃぞ」 「いかさまな……」  深沢万右衛門は、苦しげに、うなった。どうやら病気もちらしい。  於蝶は、なおさらに二人があわれになってくる。 (このような、さむらいたちがいたのかしら……)  なのである。 「だが、上杉へ味方して、もしも上杉方が敗北したなら……」  と、まだ宮内は煮えきらぬ。 「明日中には、こなたも決心せねばなりますまい。武田信玄公が、この川中島へあらわれてからでは、おそすぎまするぞ」 「なれど、上杉の密使には、わしは、こういってある。ともあれ、武田公へ味方しておき、いざともなったときに寝返るとな……」 「さよう」 「そうか、よし……」 「おこころが、きまりましたか?」 「どちらにせよ、いちおうは武田方へ、海津城へ入ろうか、な……」 「それを、万右衛門も申しあげたかったので……」 「なれど、むずかしいぞよ。いったん武田の城へ入ったからには……いざというときに……もしも上杉勢に勝目があらわれたときにじゃな、うまく寝返ることが出来るであろうか……」 「何しろ、武田信玄公のお眼をくらますことゆえな……」 「それも、三百そこそこの手勢をもって、何が出来よう」  だが、小柴見宮内は、ようやく意を決したらしい。 「やむをえぬ。明朝、海津の城へおもむこうぞ」  といった。  間もなく、於蝶は小柴見の城からすべり出た。  まだ夜は明けぬ。  善光寺境内の地蔵堂へもぐり、鍵もって堂扉をひらくと、 「於蝶か……」  叔父の、新田小兵衛の声が立ちのぼってきた。 「お久しゅうござります」  もう一人、下忍びの九市であった。合鍵をつかって堂内に入り、二人は於蝶の帰りを待っていたものらしい。 「おお、九市も来たか……」 「於蝶よ。どこへ行っていた?」 「小柴見の城へ」 「そうか」  於蝶が、すべてを語り終えるのを待って、 「それでよいのじゃ」  密使・井口伝兵衛として、小柴見城へおもむいた小兵衛が、にんまりとうなずいた。  そして、小兵衛はきっと面を引きしめ、 「於蝶。小柴見宮内がことは、これより、すべてお前にまかそう」  と、いったのである。 「まかす……?」 「宇佐美定行さまが、なぜに、あのような心の弱い小さな豪族にのぞみをかけていられるのか……それが、わかるか?」 「こころ弱きゆえに……?」 「出来た。その通りじゃ」 「宇佐美さまは、小柴見宮内が戦場で寝返ることをのぞんではおられぬ?」 「その通りとも」 「では……」 「宇佐美さまはな。小柴見宮内によって、いざ決戦というときの武田信玄の胸の底ふかく秘められた軍略を知りたいのじゃ」 「はい」 「これは、前もってわかることではないぞ」 「決戦まぎわに……」 「うむ。お前がさぐりとるのじゃ」 「はい」  於蝶は、いささか興奮してきた。 (大好きな上杉謙信公のために、わたしは、このように重い役目をはたすことになったのか……甲賀の女忍びとしても、このような大役を果たしたものは、あまりあるまい。うれしいこと……)  であった。 「で、叔父さまは?」 「わしか……わしは、お前にかまってはおられぬ」 「え……?」 「わしはな、善住房《ぜんじゆぼう》さまと共に、することがある」  甲賀・杉谷の頭領、杉谷信正の弟で、坊さまの身ながら新兵器・鉄砲の名人といわれる善住房光雲も、信州へ姿をあらわしているのだ。  この善住房と新田小兵衛の二人が組んで、どのような忍びばたらきをしようというのか……。  叔父がすすんで明かさぬかぎり、於蝶も問おうとはせぬ。  けれども……。 (叔父さまと善住房さまは、もしや、武田信玄の首をねらうおつもりではないか……)  と、直感をした。  これは、いかな甲賀忍びといえども必死のはたらきとなること、いうまでもない。  九市と共に善光寺を去る新田小兵衛の姿を、於蝶は万感をこめて見送った。  やがて、武装に着替え、於蝶は善光寺の城の陣所へ帰り、ねむっている岡本小平太のそばへ寝ころび、 「だれにも気づかれなんだかえ?」 「おお……帰ったか。心配で心配で、ようねむれなんだ」 「すまぬ」 「蝶丸。�くち�を吸うてよいか?」 「よい。そっとな……」  その翌朝……。  小柴見宮内は百余の兵を城へ残し、二百ほどの手兵をひきい、川中島をわたって海津の城へ入って行った。 [#改ページ]  戦  雲  小柴見宮内が、手兵をひきいて海津城へ入った翌々日。  すなわち八月二十二日……。 「そろそろ、まいろうかな」  上田に滞陣していた武田信玄が、腰をあげた。  信玄が古府中(甲府)を出発したときは五千の軍勢であったが、後続部隊も到着をしたし、信州の諸豪族も上田へかけつけ、合せて一万二千余の大軍となっている。  これと、海津城内の武田太郎義信がひきいる三千。城外に陣をかまえる武田信繁の手兵二千と合せた五千を加えると、武田軍の総兵力は約一万七千余ということになる。  さて……。  上田から川中島へすすむ武田本軍は、先ず、空もくらいうちに先鋒隊八百が騎馬で出発をした。  これは、総大将・信玄の進路の安全をたしかめるもので、いずれもりりしく武装に身をかため、槍の穂先をつらねた一種の騎兵隊である。  朝霧がただよう街道を、この一隊がすさまじい速度で疾駆して行ってから半刻後に、信玄の弟の武田信綱が三千余をひきいて上田を出て行く。  さらに半刻後。  こんどは信玄の本隊・七千が上田を発した。これより半刻後に最後の約二千が出て行くことになっている。これには輸送部隊もふくまれている。  すでに朝の陽はのぼりきっていた。  武田信玄は、軍列の中央の輿《こし》に乗っていた。  輿の屋根からは薄布がたれてい、信玄の姿を隠してはいるが、そのうすい幕をすかして、特徴のある坊主あたまと肥やかな躯が緋色の法衣につつまれ、ゆらゆらとゆれている。  この輿のすぐうしろに、これも坊主あたまの五十がらみの武士が、黒い鎧をつけ、黒地に金で鴉《からす》の群れ飛ぶさまをえがいた陣羽織を着て、つきしたがっていた。  この武将の左眼はつぶれている。  眼球はむろんのこと、まぶたから眉のあたりまで無惨な深い切傷がきざまれていたが、堂々たる風采で、もし、この武将を宇佐美定行が見たら、 「おお、山本勘助……」  おもわず声をあげたろう。  山本勘助は、たしかに信玄がもっとも信頼する軍師であったが、宇佐美定行のあくまでも上杉謙信のかげにかくれて事をおこなうのとちがい、いざともなれば勘助は手兵をひきいて戦闘にも加わるし、軍議の席においても堂々の発言をする。  そのかわり、彼は領地も城も信玄からもらっていない。  立場こそちがえ、この二人の軍師は、それぞれの主《あるじ》が天下をつかみとるまで、一命をかけてこれを助け、戦陣に勝ちぬいてゆこうとする情熱において、退けをとるものではなかった。  武田信玄の本隊が、上田をはなれて三里半ほどもすすむと、かつて信玄に反抗し、いまは上杉軍へ加わっている村上義清の本城であった葛尾《かつらお》の城の下へ出る。  だが、このあたりは武田の勢力下に入ってから年月も経ているし、信玄にとっては、わが領国を進軍しているようなものだといってよい。  初秋の陽ざしがつよい。  左手の崖下には、千曲川がうねっている。  右手は、葛尾の山城つづきの山腹であったが……。 「や……?」  突如、輿のうしろにしたがっていた山本勘助が、屹と山腹に突き立つような杉の山林を見上げ、 「輿を……」  と、叫んだ。  だあん……。  鉄砲の音が空気を引裂くように鳴りひびいたのは、このときである。 「わあっ……」  輿をかついでいた足軽十名が、わめき声をあげて、走り出した。  その走り出す輿の中から、緋色の法衣につつまれた武田信玄がころげ落ちそうになった。 「くせもの!」  どっと、軍列がみだれたつ。  山本勘助が馬を煽って馳《は》せ寄り、輿の中の信玄を押えようとしたが間に合わぬ。  武田信玄が、もんどりうってころげ落ちた。 「それっ!」  たちまち、槍の穂先をきらめかせつつ、士卒が山腹の林へ駆けのぼって行った。  街道へころげ落ちた武田信玄は、すぐまた輿へかつぎあげられ、 「早く、早く……」  輿は、山腹へ馳せあつまる士卒の間を縫うようにして走り出した。  輿の中で、信玄は血の泡を口からふき出し、すでに息絶えている。  武田軍は大さわぎとなったが、 「かまわずにすすめ!」  山本勘助は全軍に命を下し、しゃにむに軍をすすませた。  この武田軍一万二千余が、屋代《やしろ》のあたりから千曲川をわたり、妻女山の西方二里のところにある茶臼山へ布陣し終えたのは、この日の夕暮れであった。  ところが……。 「鉄砲を打ちかけられたとな」  なんと、武田信玄が本軍を出迎えたのである。  輿の中にいて、殺されたのは信玄の影武者の一人で本法寺忠右衛門という中年の武士であったことが、このとき、はじめてわかった。  輿の中が影武者だということを知っていたのは山本勘助、武田信綱ほか数名にすぎない。  信玄は、夜明けと共に上田を発した八百の先鋒隊の中の一人として馬を走らせていたのだ。  そのころ、茶臼山へ入る武田軍を鳥坂《とつさか》峠の森の中から見つめていた二人の甲賀忍びがいる。  その甲賀忍びは……。  新田小兵衛と、善住房光雲である。 「やはり、影武者であったな……」  善住房が、がっかりしたようにつぶやく。  甲賀にいたときと同じような坊主姿で、早くも鉄砲さえどこかへかくしてしまったらしく、何気ない風体《ふうてい》なのだ。  新田小兵衛も、このあたりの村人そのものの見事な変装ぶりで、 「なれど、善住房さまの腕前、さすがでござった」 「いうな」  舌うちをならし、 「いくら打ちとめても影武者では仕方がないではないか」 「なれど……するだけのことはしたのでござるよ」 「うむ。全軍を四つにわけて上田を発した武田軍のうち、どれに狙いをつけるかといえば……先ず、あの輿の中。それよりほかに、ねらいのつけようがないゆえな」 「いかにも」 「わしもな、甲賀を出てより甲斐の国へ入り、旅僧となって古府中城下をさぐり、二度も三度も、信玄|館《やかた》へしのびこんでみたなれど、信玄の所在がつかめぬ」 「ははあ……」 「夜、どこへねむるのか……それがわからなんだ。それに、忍びのまもりもかたいぞよ。おそらく伊那谷の忍びが信玄のもとへ多く入っているにちがいあるまいが……どうしてどうして、わしひとりの忍びばたらきではどうにもならぬ」 「ははあ……」 「わしはな、今朝、鉄砲を切ってはなち、輿の中から相手がころげ落ちるのを見たとき、これはいかぬと思うた」 「信玄なれば、むざところげ落ちますまいな。ふ、ふふ……」 「どうも残念じゃ」 「なに、われらとしては出来るかぎりの……」 「ま、そう思うて、あきらめるよりほかはなかろう」 「それにしても、信玄は茶臼山へ陣をかまえ、妻女山の上杉軍をはさみ討つ、つもりでござろうか?」  その通りであった。  妻女山は、善光寺平の盆地の南端二里をへだてて、茶臼山の武田本軍と向き合い、さらに東方半里に海津城の武田軍をうしろにまわすことになってしまった。 「わからん、わからん」  善住房は、いつもの愛嬌たっぷりな笑顔を忘れたかのように、 「こうなれば、小細工はなるまい」 「いかにも」 「わしも、そろそろ甲賀へ引きあげねばならぬ。近江の観音寺城へもどらぬと、またうるさい」 「いかにも」 「あと、大丈夫か?」 「こうなれば、武田方の軍略(作戦)をさぐり出すことのみ。そのことにちからをそそぐより仕方はございませぬな」 「そうだ。於蝶も謙信公のそばへつけておいたほうがよい。武田方も忍びをつこうておるぞ」 「そのことも考えておりますが……」 「これはな……」  善住房光雲は、茶臼山と妻女山の両軍陣営をながめやりつつ、 「長びこうぞよ」  と、いった。 「やはり、そう思われますかな?」  と、新田小兵衛。 「いかにもな……こたびは武田信玄も小細工をせぬとおもう。双方ともに、たがいの息の根をとめずにはおかぬ決心と見えたわ」 「はい」 「となれば……信玄も謙信公も、たがいに相まみゆる戦陣においてこそ、打って出なくてはならぬ。その戦機を、たがいにじゃな、とらえるのがむずかしい。この、にらみ合い、長びこうぞよ」 「いさましいことではござるが……あの、織田信長が今川義元の首討ったるほどに、手早くどちらかが手を打てぬのも、いささか歯がゆいことで」 「そう申すな、小兵衛。織田や今川とは、くらべものにならぬわえ」 「なにが、でござる?」 「見よ、武田も上杉も……両軍の陣がまえには一分の隙もない。わしもな、諸方の大将が戦さするのを何度もこの眼でながめてきたが……武田と上杉の陣ぞなえを見ただけでわかる。この両軍こそ、日本最強の兵といえよう。これにくらぶればじゃな、織田信長なぞ、それは信長ひとりは大変な男じゃが、軍勢の力において比ぶべくもないぞよ。もし信長が、この両軍のどちらでもよいから相手にして、この川中島に戦うとなったら、とてもとても、かなうまい」 「ふ、ふふ……」 「なにを笑う?」 「織田信長は、そのようなまねをいたしますまい」 「いかにもな。勝てぬ戦さはせぬ男よ。それにしても……」  と善住房が、ふといためいきをもらし、 「この両軍が一つになったらなあ」 「それがしもいま、そのことを考えておりました」 「天下をとることなぞ物の数ではないのになあ。信玄と謙信、二人きりで酒でものみ、めしでも喰うたら仲ようなるのとちがうかい。あは、はは……」 「ほんに、考えて見ればつまらぬことで」 「な、小兵衛よ」 「は……?」 「もし、この戦さで、信玄か謙信、どちらかの首がはね落ちてしまえば片もつこうが、双方ともに生き残ったとなれば、多くの兵と軍力をうしない、共倒れにもなりかねまいて」 「これ、善住房さま。なればこそ、われらは上杉方に味方し、信玄の首をねろうているのではござらぬか」 「ほい、そうじゃったな。ときに……於蝶は元気か。ひと目、会うて行きたいものじゃな」 「わけもないこと。夜まで、ここにお待ちなされ。すぐに、九市を走らせましょう」 「そうか、では、たのむ」  新田小兵衛は夕闇にまぎれて峠を下り、すぐに妻女山の上杉本陣にいた下忍びの九市を、善光寺へ走らせた。  於蝶が、鳥坂峠の山林へあらわれたのは、戌《い》の下刻(午後九時)をすぎたころであったろう。 「善住房さまは、そこにか?」 「おう、ここじゃ、ここじゃ」  うるしのような闇がたれこめている山林の中でも、二人の眼はきたえぬかれてい、たがいの表情のうごきまでもよみとることができる。 「おう、まだ女にはならぬか」 「あい」  於蝶の男の土民姿を見やり、 「ようできた。それなら穴虫《けつちゆう》さまも、ほめてくれよう」 「ありがとうございます」 「ま、ここへすわれ」 「あい」  二人は、草の中へならんで腰をおろした。  茶臼山の方角は山林の彼方になって見えぬが、すぐ前の木立の切れ目から、千曲川をへだてた向うに妻女山の上杉本営の「かがり火」が派手やかにつらなっているのがのぞまれた。 「善住さま。信玄の首は、いつごろにとれますのか?」 「さあて……とれぬうちに甲賀へもどらねばならぬ。何やら急の用事らしく、頭領どのから使いがまいってな」 「まあ……」 「わしもな、この両軍の決戦、ぜひにも見物したいのじゃが、それもならぬわ。なにせ杉谷忍びは人手が足らなくて困るなあ、おい」  善住房は、今朝、信玄の影武者を撃ったことなどは於蝶に語ろうともせず、 「どうじゃ、たれかを抱いたかえ?」 「あい。小姓の岡本小平太と申す少年を可愛がっております」 「そうか、味はどうじゃな?」 「初心な少年ゆえ、とてもとても、かわゆい」 「こやつめ……どうじゃ。わしを可愛がってくれぬか」 「だめ」 「どうして?」 「おばばさまにしかられますもの。それに善住房さまは口先ばかり。決して女の肌身にはおぼれぬお方ではございませぬか」 「いや、女の肌身によるぞよ。お前ならおぼれてもよい」 「だめ」  於蝶が用意して来た食べ物と冷酒を出し、二人は酒もりをはじめた。  甲賀の頭領・杉谷信正や、あの「ねずみのおばば」の実弟ながら、善住房光雲は、まことに愉快な人物であり、於蝶は、叔父の新田小兵衛に対してよりも心やすく口もきけるし、たわむれることもできる。 「於蝶よ。こうしてながむると、武田の忍びは、とても妻女山へはもぐりこめまい。上杉謙信公が毒をもられるとすれば味方のうちに敵がもぐっていることになる。じゅうぶんに気をつけい」 「あい」 「ああ、腹がいっぱいじゃ」 「今夜のうちに甲賀へ発たれますのか?」 「うん。残念じゃが……」  いいつつ、善住房が於蝶の手をとって、 「於蝶よ。四十をこえたわしだが、好きな女ごは、お前ひとりじゃぞよ」  と、いった。  於蝶が、だまっていると……。  善住房は彼女の手を引きよせ、わが髭面《ひげづら》へこすりつけるようにして、 「ああ……ああ……」  まるで、少年のように切なげなためいきをもらす。  ふざけているのではない。 「ぜ、善住さま……」  於蝶も、あわてて、 「そりゃ、まことのことでございますか?」 「ああ……ああ……」 「いつもいつも、わたしをごらんになるたびに、わたしを弄《いろ》うておいでになったくせに……」 「ばか」 「え……?」 「わしは、お前を慕わしゅうおもうていた、そのこころをかくしていたのじゃ。かくしきれなくなったとき、お前を弄うていたのじゃ。ああ……ああ……」  身をもみ、於蝶の右手のゆびを、わが口の中へいれて、 「お前が杉谷の女でなかったならのう」  と、善住房光雲は、かなしげにかきくどくのである。  甲賀の頭領たちは、それぞれに掟《おきて》をつくり、抱え忍びたちを取りしまってい、それは、どこの家でも同じようなものなのだが、杉谷家では、 「おなじ杉谷の忍び同士の男女が情をかわすことはならぬ」  かたい掟がある。  もっとも忍び同士でなければ、おなじ杉谷家につかえるものでも情を交そうが夫婦になろうが、かまわぬ。これは於蝶の両親の場合もそうであった。 (善住さまは、また、わたしを弄うておいでなさるのか……?)  思ってみたが、やはりちがう。  杉谷信正の実弟で、忍びの名手でもあり、鉄砲の名人でもあり、しかも僧籍に入っている四十男の善住房が、まるで母親の乳房をねだる幼児のような純真さで、於蝶への思慕をうちあけているのだ。  闇の中で、汗のにおいをまじえた善住房の健康な中年男の体臭が、香ばしく於蝶の鼻腔《びこう》へただよってくる。 「ほんとうか、善住さま……」 「ほんとうじゃ。うちあけたとて、どうにもなるものではないが……いつか一度、うちあけずにはいられなんだのじゃ」 「ま……」 「というのはなあ……」  善住房が於蝶の手をはなし、両手で、しっかと彼女のまるい肩を押え、凝《じつ》とこちらを見すえ、 「於蝶よ。このたびの戦さの中で忍びばたらきは命がけだぞ」  と、押しころしたような声で、 「新田小兵衛も死ぬつもりでおるらしい」 「それは……」 「あのような陣をかまえ合った武田と上杉。この両軍の間には、われらがこそこそと忍びばたらきをする場所がない。なにもかも、このひろい空の下で、かくすものとて何一つなき軍勢のちからを堂々とたがいにさらし合うている。むだじゃよ、むだじゃよ」  なるほど、その通りやも知れぬ。  秘密のある場所があればこその忍びである。  こうなれば、あとは互いの作戦をさぐりとり、決戦の寸前に機先を制したほうが勝利をおさめることになろう。  また、それをさぐりとるのもむずかしい。  城とか居館とか、そうした人間の日常の暮しがいとなまれている場所へ忍んで行き、敵の秘密をさぐりとるというのなら、忍びにとってもやりよい。日常の暮しにはどうしても「ゆるみ」が出るからである。  しかし、善住房が指摘したように、善光寺平を決戦場とし、そのひろびろとした平原をのぞみつつ、信玄も謙信も双方の全兵力をあからさまに見せ合っているとなれば、四人や五人の忍びがうごいたところで、どうにもなるものではない。 「於蝶は善光寺の城へ残してもよい」  と、だから宇佐美定行も新田小兵衛にいったのである。  上杉謙信が妻女山にあるかぎり、 「わしが、おそばにおれば大丈夫じゃ」  定行もいったし、 「小田原攻めのときのような乱戦にならぬかぎりは……」  小兵衛も、こたえた。  野陣には、反《かえ》って余計な者のつけ入る隙がない。  しかも、軍師・宇佐美定行の眼が光っていれば、謙信の命をねらう敵の忍びの手も容易には近寄れまい。  ただ一つ、小田原のときのような毒殺のおそれをくり返してはならぬので、このほうにも定行と小兵衛が入念に手をまわし、謙信が口へ入れるものを調理する場所には、甲賀の九市か小兵衛が絶えずつきそっているらしい。  決戦前の忍びばたらき……。  それが、どのように恐ろしいものかは於蝶も知っている。  つまり、戦さの火ぶたが切られようとする直前の緊張がみなぎっているところへ、忍びさぐりに出て行くのだから危険は層倍のものとなるのだ。  清洲のときのように……。  家来たちは、負けるものとあきらめて城から出て行き、織田信長ひとりが捨身の決意をもやしていたときとは全くちがう。  武田も上杉も、この一戦にすべてをかけていると見てよい。  だから、 「命がけだぞよ」  と、善住房が念を入れたのである。  つまり、これで於蝶とも会えなくなるやも知れぬとおもい、たまりかねて、善住房は胸底にひそむ「おもい」をうちあけてしまったのか……。  於蝶も無言であった。  善住房光雲は、ややあって身をひき、 「あ……これで胸の中が空《から》になってしもうた」  つぶやいたとき、於蝶が今度は善住房の腕をつかみ、 「かまいませぬ」 「ど、どうするのだ」 「だれにも知られなければよいではありませぬか」 「え……?」  善住房の手のゆびさきを、わが乳房のふくらみにひきつつ、 「善住さま、抱いて下され」  と、於蝶がささやいた。 「あっ……」  善住房は、おどろきの声をあげ、 「い、いかぬ」 「善住さま……お手が……お手が、ふるえていなさる……?」  手ばかりではない。  善住房の躰全体が、小きざみにふるえはじめた。 「ま、まさか……?」  於蝶は瞠目をした。  四十をこえて尚、善住房光雲は、女の肌身を知らぬというのか……。 「善住さま、もっと、しっかと、わたくしを抱いて下されませ」 「あ、いかぬ……」  口先では「わしに一度、抱かれてみる気はないか」とか「おぬしは、もう何人の男の腕に抱かれたのかよ?」なぞと、みだらな冗談を平気でいってのけた善住房が、いざとなると、若い於蝶の前に手も足も出ない。 (やはり……?)  於蝶もこうなると、善住房の「童貞」がことさらいとおしくなってき、 「かまいませぬ。この場で、二人だけしか知らぬこと」  もろ腕を善住房のふといくびへまきつけ、やわらかなくちびるをひたと、相手の唇へ押しつけてやった。 「う、うう……」  善住房は、もがき、そのうちに、たくましい腕へ、ちからをこめて、於蝶を草の上へ抱き倒した。 「うれしい、善住さま……」 「於蝶……」  そのとき、善住房は大きく身ぶるいをして、突然に於蝶から離れて飛び退った。 「善住さま」 「於蝶よ……」  早くも、木立の彼方の闇の中へ走りこみつつ、 「さらば」 「待って……」 「やはり、いかぬ。掟を破ってはならぬ。人に知られぬからというて……わしのこころに、いや、わしの躰にいったん火がついたからには……わしはもう忍びばたらきも出来なくなる。兄上にもそむくことになる」 「もう一度、ここへ戻って下されませ」 「いかぬ。ああ……わしほど、甲賀忍びの中でも心の弱い男はあるまい」 「待って」  於蝶が追えば、それだけ善住房は逃げた。 「さらば……さらば。死ぬな……死ぬなよ……」  ついに、於蝶もあきらめざるを得なかった。  何か気のぬけた、うつろなこころを持てあまし、しばらくは草の上にすわって気を静めていた於蝶であるが、やがて、山を下りはじめた。  山すその塩崎の部落を駆けぬけ、平原を走って、千曲川のほとりへ来たのはまたたく間といってよい。  着物をぬぎ、前髪だちの頭にくくりつけ、裸体となって、於蝶は川をわたりはじめた。  このあたりの千曲川は中ほどへ来ると、急に深くなり、水は於蝶の喉もとへ達する。  千曲川の深みに達したとき、於蝶は、そのまま、うごかなくなった。  このあたりは、川が屈折しているので、ながれも速い。  いま、於蝶が川水の中に身を沈めている前方半里の彼方、雨宮《あめのみや》の部落のあたりには、妻女山の上杉軍の陣地がある。  総大将の上杉謙信は、妻女山の中腹にある平地にいるが、これを中心にして山の峰々一帯に将兵が陣をかまえ、山すその諸方にも、陣ぞなえがしてあった。 (来た……)  於蝶は、泡をかんでながれる川の中へ顔の下半分まで沈めた。  対岸の北の方から、人影が近づいて来る。  黒い、その二つの人影の足のはこびを於蝶が見れば、ひと目で、 (忍びの者……)  と、わかる。  河原の草に、虫が鳴きしきっていた。  黒い影は、於蝶が沈んでいるすぐ前の河原まで、するするとやって来て、そこにうずくまった。  うずくまったまま、あたりを見まわしている。  さいわいなことに、於蝶は川の中に沈んでいるのだから、彼女の体臭も、気配も、川音と川水とが、まったく消してしまっている。 (味方ではない)  かなり大胆に、於蝶は両眼を見ひらき黒い影を注視した。 「おそいな」 「やがて、まいる」  二人が声をかわし合った。  川音もかなりつよいのだが、於蝶の鋭敏な聴覚は、五間の向う岸にいる二人のことばをはっきりと、とらえた。  気取られぬのはよいが、そのかわり、 (水がつめたい……)  於蝶は苦笑した。  当時の八月下旬は、現代の九月下旬にあたる。  いかに忍びだとて、冷たいものは冷たいのだ。  と……。  対岸の堤に馬蹄の音がきこえた。  黒い影は、ぴたりと草に伏せる。  馬蹄の音がやんだ。  しばらくして……。  堤の上に、人影が一つ。  月もない曇った夜空の下に、この人影が浮いて出たとき、於蝶は、 (あっ……)  目をみはった。  この男は、上杉謙信の侍臣で、高井孫九郎というものであった。  孫九郎は、上州の地侍《じさぶらい》で、のちに長野|業政《なりまさ》(箕輪城主)につかえ、長野の将となったが、やがて浪人し、春日山へ来て謙信に召しかかえられたらしい。  中年の、なかなか立派な武士だし、誠実なつとめぶりを謙信も大いに買って、侍臣にとりたててやったのが去年の夏のころだという。  高井孫九郎は堤を下りて来て、立ちどまった。  あたりを見まわしている。  このとき、伏せていた黒い影のうち一人が立ちあがって、 「高井どの」  声をかけた。 「お……」  武装の高井孫九郎が近寄って来て、 「信玄公、御着陣の夜、この場所へとの約定《やくじよう》にてまいった」 「御苦労に存ずる」  二人は礼をかわし合っている。別の黒い影は、まだ地に伏せている。  これは、二人の密談に対する忍びの備えというもので、彼は地に伏せたまま、あたりの気配を全神経をこめてうかがっているのだ。  こういうところは、甲賀忍びと同じやり方なのだが、 (この忍びたち、武田信玄のもとではたらいていることはたしかなれど、甲賀のものでもなく伊賀のものでもあるまい)  と、於蝶は直感した。  黒の忍び装束も、彼女が見なれぬものであったし、言葉づかいにも聞きなれぬ「なまり」がある。 「ところで……?」  と、黒い影が問うや、高井孫九郎が、くびを強くふって、 「このような野陣にては、謙信につけこむ隙がござらぬ」 「いかにもな……」 「それに」 「それに?」 「ちかごろは、例の軍師・宇佐美定行の眼がきびしゅうござってな。この前、小田原陣の折、謙信の汁の中へ投じた毒ぐすりでは……」 「あの毒ぐすりは、熱きものに混ぜねば用をなさぬ。なるほど、それでは、な……」 「謙信の食事は、宇佐美が新たにやとい入れたる男がととのえておるのだが、この男、ただものではない」  と、高井がいったのは、甲賀の九市を指したものであろう。 「ほほう、そのような男が、な」 「ぼんやりとして見ゆるが、なかなか気ばたらきのするどいやつ。汁も飯も、謙信の口へ入るものはすべてがこのやつめが……」 「ふうむ……そりゃ、どこぞの忍びやも知れぬ」 「え……?」 「おそらく宇佐美のはたらきであろう。今朝もな、信玄公の輿へ鉄砲を打ちこんだものがござる」 「えっ!」 「いや、大丈夫、信玄公にぬかりはござらぬ。影武者をな……」 「なるほど」 「高井どの。気を張っておつとめなされい。こたびの戦さにて、上杉謙信をほうむったとなれば、そこもとも一国一城のあるじに御取立てになられる」 「なれど、このままにては、うかつに手が出せまい」 「いや……」  黒い影が、ふところから何か小さな紙包みを取り出して、高井孫九郎にわたした。 「これは?」 「あ、開けてはならぬ。中は黒い粉が少しばかり入っているだけでござる」 「くろい、こな、とな?」 「ウエロシムキ、と申す毒ぐすりでござるよ」 「そりゃ、どのような?」 「遠く海をわたって我国へもたらされた異国の毒ぐすりでござる」 「ほほう」 「高価なものゆえ……いや、その一包みだけの品ゆえ、くれぐれも大切に、な」 「うむ……」 「それならば、さっと汁の中へ……」 「うむ。食事を差し出すは、われらの役目ゆえな」 「さようか」 「われらが膳番のものより受けとり、これを小姓へわたす。小姓どもが謙信の前へ……」 「ならばよし。うまくなされ」 「承知。このように手がるき毒ぐすりなれば、いつにても」 「その毒ぐすりを混じ、小姓へわたしたなら、すぐさま、山を下られ、雨宮より、この場所へ駆けつけられい。われらのみか、山本勘助さま手勢が、ここまで出張って、そこもとを引取り申す」 「おう……で、いつがよい?」 「明日の夕餉《ゆうげ》のときに」 「心得た」 「もし、その折に機会なくば、明後日に……それ以後は、迎えの兵を出せるか出せぬか、受け合いかね申す」 「大丈夫じゃ。かならず」 「では、な……」 「ごめん。山本様によろしゅう」 「心得申した」  高井孫九郎は、ふたたび、堤の彼方へ姿を消した。  やがて、馬蹄の音がおこり、遠ざかって行った。  黒い影は、まだしばらくの間はかがみこんでいる。 「よし」 「うむ……」  あたりの気配に異状なしと見きわめたものか、二人は立って矢のように走り去った。 「ああ……冷えきってしもうた」  於蝶は、ようやく川岸へあがり、全身をゆるやかにうごかして血のめぐりを戻してから、 (こうしては、いられぬ)  急ぎ、頭上にくくりつけてあった着物をまとい、これも着物の中に入れておいた「忍びわらじ」をはくや、まっしぐらに善光寺へ向って走り出した。  約四里を半刻(一時間)のうちに走破し、善光寺境内の地蔵堂へ入り、武装に着がえていると、 「もどったか?」  扉の外で、叔父の新田小兵衛の声がして、 「善住房さまは?」 「甲賀へ、おもどりなされた」  於蝶は、入ってきた小兵衛に、いま、千曲川の河原で目撃したことをすべて語ると、小兵衛はうなずき、 「わかった。こうなると、お前にも妻女山へ来てもろうたほうがよいな」 「あい。いちいち、行ったり来たりせねば叔父さまに会えぬのは、めんどうで……」  翌朝……。  宇佐美定行の指令があり、於蝶の井口蝶丸と岡本小平太の二小姓が、大胆にも海津城と茶臼山の武田両軍の間を突破し、騎馬で妻女山へ駆けつけたものである。  上杉謙信は、妻女山・本陣から、二人の小姓が平原を、千曲川をこえて駆けつけるのをながめ、 「あれは、何者じゃ?」  と、かたわらの宇佐美定行に問うた。 「井口蝶丸、岡本小平太の両名にございます」 「よびよせたのか?」 「はい。御身まわりの御小姓の数も、不足とおもいましたので」 「ふうむ……それにしても無謀な……」 「武田勢とて、たった二名の小姓に手出しをしては天下に笑われましょう」  二名のみで敵の間をぬけて来るほうが安全だと、この老軍師はいったのである。  謙信は、二人が妻女山のふもとの陣地へつくまで、身じろぎもせずに見まもっていた。  於蝶は平気である。  しかし岡本小平太は、顔面蒼白となり、全身は「あぶら汗」にぬれつくしていた。 「小平太どの……」  と、於蝶が山道をのぼりつつ、 「おそろしかったのか?」 「いや、おそろしくはない」 「私の前で遠慮なさるな。ほれ、ようやく顔に血の色がさしてきた」 「笑うな。蝶丸。おぬし、女のくせに……」 「しっ! 山道には上杉勢の軍兵が往来している」 「だが、いったい、おぬしは何者なのだ?」 「小平太どの。それを申さぬ約束。そのようなことを考えると、いまに、あなたと私は離ればなれになる」 「いやだ、いやだ」 「そればかりか、二人が、こうした……」  と、於蝶がぎゅっと小平太の手をにぎりしめ、 「こうした間がらになったことも、御屋形さまのお耳にきこえてしまいます」 「こ、困る」 「ならば、しばらくの間は私の申す通りにしていること。わかりましたか?」 「うん。わかった」  あたりを見まわし、於蝶は人影がないのをたしかめてから、すばやく小平太の耳たぶに軽く歯をあてて、 「かわゆいこと」  にっと笑った。  間もなく、本陣へついた。  謙信の居所には、簡単な板屋根の小屋が出来ており、まわりに幔幕《まんまく》を張りめぐらせ、ここから四方へかけて二段、三段に警衛の番所がもうけられてあった。  新田小兵衛が武装で二人を迎え、 「御屋形様がおよびじゃ」  と、いった。 「父上。馬が見えませぬな」 「みな、ふもとへおろした。岩野村のあたりにな」  本陣は、おもいのほかの静かさであった。  いくつもの番所をすぎ、謙信の居所へ通った。  上杉謙信は、松林の中に秋のつよい陽ざしをさけ、床几《しようぎ》にかけていた。 「両人とも、元気のようじゃな」  と、謙信は二人をさしまねき、 「よびつけられたそうな。途中、おそろしゅうはなかったか?」  にっこりときく。  厩橋の城で、はじめて於蝶が謙信を見たときとは、くらべものにならぬ精悍《せいかん》な風貌になってい、健康もよいらしい。  青ぐろく、むくんでいた謙信の顔も、肉がそげたように引きしまり、陽に灼けて、笑うと歯が白かった。  この日。上杉謙信は紺糸おどしの鎧に白絹の陣羽織をつけ、頭巾はかぶっていない。  小豆《あずき》長光《ながみつ》の太刀を腰に横たえ、凜然《りんぜん》として床几にうちかけている謙信を見た瞬間、 (あ……織田信長など、およびもつかぬ立派な大将……)  と、於蝶はうっとりとなった。  去年の夏、今川義元へ決死の奇襲をかけんと清洲の城をただ一騎で駆け出て行った織田信長の鬼神のように凄壮な姿も見てきている於蝶であるが、いま、ここに見る上杉謙信は、あのときの信長のように突きつめた気迫もないかわり、 (こたびの戦さには、かならず勝つ!)  その自信に、みちみちているようであった。  女性を遠ざけ、ひたすら、戦さの中に自己を没入させている姿は、立場こそ違え、同じように女を絶ち「忍び」の道にはげむ善住房光雲を於蝶に想わせる。 (なにも女まで絶つこともなかろう)  と、現代に生きている人たちは考えようが、上杉謙信や善住房のような、人一倍、神経のはたらきもするどく、感情のうごきも烈しい人物は、女の肌身を知ることによって、 (それだけのことでは、すまされまい)  と、思いきわめているのである。  ただ単に、女の肌身をなぶって性欲をみたすだけで、あとは知らぬというのなら、それも出来たろう。  上杉謙信は生涯において、三度ほど恋にやぶれているという。  真偽はわからぬが、一人は死に、二人は手のとどかぬ場所へ去った。  そのときの心の苦しみを、多感な謙信は忘れきっていない。  また、父亡きあとの家を、兄と血みどろな争いをくり返したのちにつぐことを得た謙信だけに、 「わしが家のあとは、わしが血をわけた子でなくともよい」  いいきっている。  妻と子。肉親のきずな。そうしたものに自分の眼が狂うことをのぞんではいない。  また、さらに、 「わしはな、物ごころついてより、ただの一日も……」  ただの一日も、今日は躯の調子がよい、と思ったことはないという謙信であった。  その病身を、ただおそるべき気力によっておぎない、 「戦さ神ともなって天下を平定せん」  との祈願をこめているのである。  男の禁欲が、大きな仕事一つに向けられるときのちからを現代人は笑うであろう。  上杉謙信の澄みきった双眸を、このときほど、於蝶は美しいと感じたことはないし、 (あの御屋形さまの御眼の美しさは、それから後も、くもることがなかった)  と、後にもらしている。  この日から、於蝶の井口蝶丸と岡本小平太が当番となって謙信のそばにつき従った。  当時は、まだ一日三食という習慣はない。  朝と夕の二食が、日本人の食事習慣である。  於蝶たちが妻女山へ到着したとき、すでに第一食は終っている。  夕食の時刻となった。 「おぬしはおそばをはなれるな。御屋形さまの夕餉は決して他人にまかしてはなりませぬ、よいか。私か、おぬしか、そのどちらかが御手もとへ差し出すのじゃ」  と、ひそかに於蝶が小平太へ念を入れた。  秋晴れの夕空を、あくことなくながめている上杉謙信へ、 「御夕餉にござります」  侍臣の高井孫九郎が告げ、幔幕の向うから、あらわれた。 「おお」  謙信が、床几にもどる。  まわりには侍臣五名、小姓五名がひかえていた。  幔幕がめくりあげられ、膳番の武士二人が、黒ぬりの大きな三方《さんぼう》のようなものをはこび入れて来た。この二人の膳番は新田小兵衛や九市が念には念を入れておいた者たちであるから、心配はない。  一つの三方には、朴《ほお》の葉をしいた上に、にぎりめし三個。  一つの三方には、塩昆布、干魚少々に汁の椀であった。  これを謙信のそばにひかえていた侍臣二人がうけとり、さらに小姓二人へわたす。  小姓が謙信の前へ差し出す、というのが戦陣、平時にかかわらずの「しきたり」であった。  高井孫九郎と、山口|主水《もんど》の二人の侍臣が幔幕まで歩み寄って三方をうけとった。  孫九郎がうけとったのは、汁わんの載《の》った三方である。  於蝶と岡本小平太は、謙信の前方二間のところへ出て、三方をうけとるため、片ひざを立てた姿勢で待っている。  於蝶は、両眼をわざとうつろにひらいていた。そうすることによって眼の光りを消えさせている。  高井孫九郎が、三方をささげて彼方から近寄って来た。  と……。  そのとき、孫九郎が、ふっとよろめき、三方が腰の太刀の柄頭《つかがしら》に軽く当った。 「これは……」  孫九郎が苦笑し、うつ向いて三方をささげ直した。  だれも、このことに格別の注意をはらっていない。  上杉謙信も無関心であったし、於蝶も視線をそらしていた。  夕餉の三方を前に、床几から下りた上杉謙信は、板楯《いたたて》二枚をならべ熊の皮をしいた席へすわって合掌《がつしよう》をした。  食事に対する「礼」をおこなったのである。  先ず、白湯《さゆ》を口にふくみ、これをしずかにのみこんで、汁わんをとり、箸をとった。  まさに、謙信が汁わんへ唇をつけようとした瞬間であった。 「しばらく」  ぴたりと、謙信に寄りそうかたちになって、於蝶の井口蝶丸が声をかけた。 「何か?」  と、謙信が於蝶をかえり見る。 「しばらく、御待ちを……」 「なに?」 「ごめん下されましょう」  いうや、於蝶が両手をさし出し、 「あっ……」という間に、謙信の手から汁わんを取りあげてしまった。 「なにをいたす?」  この謙信の問いにはこたえず、於蝶がじろりと、高井孫九郎を見やった。  息をつめて二間の向うに片ひざを立てていた孫九郎は、於蝶のするどい一べつに、はっと眼をそらした。 「蝶丸。いかがした?」 「ごめんを……」  於蝶は汁わんを持ったまま、 「高井孫九郎殿」  よびかけた。 「む……」  孫九郎は、けんめいに胸底の動揺にたえつつ、 「何でござる?」 「この汁わんに何ぞ入れましたな」 「何!」  孫九郎も、周囲の家来、小姓たちも、俄然色めきたった。 「拙者が、何をしたと申すか」  孫九郎が突立ち、於蝶へつかみかかろうとするのへ、 「待て」  上杉謙信が手をあげて、とどめた。 「はっ」 「蝶丸。もそっとくわしゅう申せ。何が、あったというのじゃ?」 「おそれながら……」 「うむ。申せ」 「高井孫九郎殿、汁わんの三方を持ち、こなたへすすみまいったるとき、何やらにつまずきよろめきましたが……その折、なにやら黒い粉のようなものを汁わんの中へ混じ入れましたので……」 「ふむ。余の眼には見えなんだが……」  孫九郎が顔面を火のように赤くして、 「だまれ、だまれ。おのれ、この孫九郎を御屋形の前にておとしいれんとするか!」 「いや。貴殿の刀の柄頭に三方が打ち当ったとき、刀の縁《ふち》金具のあたりから黒い粉が……」 「だまれ、だまれ!」 「では、貴殿の刀を見せていただきたい」 「ぶ、ぶれいな!」 「ならぬとあれば、このわんの中の汁を毒見されよ」 「む……」  高井孫九郎は、ぐっとつまったが、 「御屋形。井口蝶丸、あまりにもぶれいにござる」  と、今度は謙信にうったえた。  上杉謙信は凝《じつ》と、孫九郎を見返した。  孫九郎の両眼のちからを、いや全身のちからをみな吸いこんでしまうかのような深い深い謙信の双眸に、ひたと見つめられて、 「む……むう……」  孫九郎は、うめき声を発し、見る見る顔色が青ざめてゆく。 「蝶丸。孫九郎に毒見させよ」  と、謙信がいった。 「はい」  孫九郎に近づき、於蝶がさし出した三方の汁わんを、 「おのれ!」  突如、孫九郎が右腕をあげて叩き落した……いや、落したと見えた転瞬であった。  ふわりと、於蝶が三方を外した。  孫九郎の拳《こぶし》は空を打った。 「うぬ!」  あわてた孫九郎が一歩退って、太刀をぬき放たんとする。  このとき、於蝶は三方を地におき、栗鼠《りす》のごとき素早さで孫九郎へおどりかかった。 「あっ……」  孫九郎は股を蹴られてよろめき、そこへ、侍臣たちがおどりかかって押えつけてしまった。  その場で、高井孫九郎は縄をかけられた。 「たれにも知らすな」  と、謙信は幔幕の外へ飛び出して行きかける小姓たちをとどめた。  於蝶が、 「御屋形様。孫九郎の御糾明を……」  すすめるや、謙信は、 「それにはおよばぬ」 「なれど、孫九郎は、もしや武田方にあやつられた間者《かんじや》では?」 「そのようなことはどうでもよい」  にっこりとして、 「これ、孫九郎よ」 「は……」 「そちが、余がもとへころげこんで来てより、余はそちを信じ頼み、引きたててきたわけじゃが、そちも、余のこころはわかっていよう」 「………」 「むだなことはきらいじゃ。そちのいま、あかしをたてる道は只ひとつ。この汁を食べて見せよ」  孫九郎を責めて、武田方の間者《スパイ》網をさぐり出そうとおもった於蝶なのだが、謙信は、そのような小細工をこのまぬらしい。 (男らしいこと)  於蝶はうっとりと謙信の横顔をながめている。  孫九郎が死人のような顔つきになり、うつ向いてしまった。 「蝶丸。孫九郎に、その汁を食べさせてやれ」 「はい」  於蝶が左手に汁わんを持ち、高井孫九郎の顔へ近づけたとき、 「ぶ、ぶれい……」  わめいた孫九郎が烈しく顔とくびをふって汁わんをたたき落そうとした。  その、くびのつけ根を於蝶の右手がぐいとつかんだ。 「あ、ああ……う、う……」  くびのどこをつかまれたものか、孫九郎は他愛もなく顔をふり向け、わずかにうめきつつも身うごきができない。  人間の神経や筋肉は、意外なところとところをむすび合せている。  たとえば……人間の眼の神経の一部は、足のうらへつながっているのだ。  忍びの術の中には、こうした人間の肉体の構造を熟知することもふくまれていることはもちろんで、うまく急所を押えたときには、於蝶のような若い女の指ひとつで、高井孫九郎ほどの豪の者も身うごきできなくなってしまう。  仰向いて、あんぐりと開けた孫九郎の口の中へ、於蝶の左手のわんの中の汁がそそぎこまれた。  そのまま、尚も於蝶は孫九郎のくびから右手をはなさぬ。  息をのんで幔幕の中の人びとが二人を見つめている。  夕空が淡く淡く夜のにおいをただよわせはじめた。  ごくり……と、孫九郎の喉もとがうごき、確実に汁が彼の腹中へ入った。  やがて……。  ひくひく、ひくひくと、孫九郎の下半身がふるえはじめたとき、於蝶が彼のくびから手をはなし、さっと退いて上杉謙信のうしろへ寄りそうた。  たちまちに、はげしい痙攣《けいれん》が孫九郎の全身におこりはじめ、彼は、おのが喉もとをかきむしるようにし、大きくあえぎをたかめたかと思うや、どっと口から血を吐き出し、 「うーん……」  すさまじい声を発して、前のめりに伏し倒れた。  幔幕の外へも、この異常な空気を知って駆けつけた者がいるけれども、 「何事もござらぬ」 「おひきとりあれ」  侍臣二名が出て行き、引き取らせたようである。 「孫九郎の死体を裏の松林へうめよ」  と、謙信が命じ、 「蝶丸よ」 「はい」 「ようも見やぶったぞ」 「おそれ入りたてまつる」 「年少の者に似合わぬ眼力。いささかもゆだんなき心がまえ。ほめとらす」 「ははっ」 「これをつかわす」  謙信が、手にしていた金地に朱で日の丸をえがいた扇を出した。この扇は、彼が父の為景からゆずり受けた由緒ある品であった。 「ありがたき仕あわせにござりまする」 「これからも、余のもとをはなれるなよ」 「ははっ……」  小姓・岡本小平太は於蝶が「女」であることを知っているだけに、ただ茫然として於蝶を見つめているのみだ。 [#改ページ]  そ の 前 夜  八月二十九日の未明……。  茶臼山の武田本陣が、うごき出した。 「すわこそ!」  と、妻女山の上杉軍は緊迫したけれども、上杉謙信は、 「信玄は、海津城へ入るつもりであろう」  と、いった。  その通りであった。  武田信玄は茶臼山を下るや、妻女山の前方一里ほどのところをゆうゆうと通過し、海津城へ全軍をおさめた。  海津城の北面、その崖ぎわを洗う千曲川はうねりつつ西へ……上杉軍が集結する妻女山の山すそへながれている。  海津城から見る妻女山の上杉本陣は、まる見えのかたちなのだが、武田信玄は築城する前からあった樹林を利用し、さらに城の西側の濠《ほり》の堤の上へ板塀を高く張りめぐらし、妻女山からの展望をふせいでしまった。 「海津の城はな、かならずや山本勘助の設計《なわばり》によるものにちがいない」  と、宇佐美定行が於蝶にいった。 「むかしな、わしが勘助と共に諸国を放浪していたころ、同じような牢人で角隅右京という軍師がいての、これが唐土《もろこし》流の築城の術にくわしかった。わしも勘助も、むかしは右京によって城の築きようを教えられたものじゃ。そのとき教えられたものが、みな、あの海津城に仕くまれているような気がする」 「なるほど」 「城のまわりは、幾重にも陣所がつらなり、忍び入るのもよういなことではあるまい?」 「はい。すきがございませぬ」 「やはり、な……」 「先夜も、こっそりと近づいて見ましたが、武田方にもすぐれた忍びが何人も出ておりますゆえ……」 「こなたは、お前と新田小兵衛、九市など、四、五名にすぎぬ」 「陣所の見張りもきびしく、なかなかに入りこめませぬ」  あれ以来、上杉謙信の於蝶に対する信頼はふかまるばかりで、何事にも、 「蝶丸をよべ」  ということで、他の小姓たちも表にはあらわさぬが、少々は於蝶の井口蝶丸へ軽い嫉妬をおぼえているらしい。  甲賀の九市は相変らず妻女山にいて、謙信と於蝶からはなれぬが、新田小兵衛の「井口伝兵衛」は、このところ姿を見せぬ。  おそらく、山を下って海津城へ近づき、何とか潜入する手段を講じているらしい。名はきかぬが、甲賀から二名ほど「下忍び」が来ていて、小兵衛をたすけているらしい。  九月に入ると、信州の朝夕は冷気がきびしくなった。  当時の九月は現代の十月にあたる。  上杉謙信は、朝から鼓《つづみ》をうちならし、於蝶に舞わせてたのしんだりしている。将兵たちへも時折は、 「酒をゆるす」  と、いうことであった。  それは九月七日のことであった。  於蝶と岡本小平太が夕刻から他の小姓と交替し、妻女山中腹の営所へもどって来ると、 「蝶丸」  木立の中から新田小兵衛があらわれ、にこやかに呼びかけた。 「これは、父上か」 「いささか、はなしたいことがある」 「はい。では……」  於蝶は小平太を先に帰し、木立の中へ入って行った。木立といっても、あたりには上杉軍の将兵がたむろしているし、二人は声をあげて密談するわけにもゆかぬ。それでも、二人の「くちびる」は間断なくうごきつづけている。これは現代の聾唖《ろうあ》者がつかう読唇《どくしん》術と同じようなものだ。 「今夜は、このあたりの村の女たちが酒や食べものをもって海津城の武田陣営へおもむくらしい」  と、小兵衛のくちびるがうごく。 「まことですか、叔父さま」 「うむ。わしがさぐり出してきたことゆえ、まちがいはない」  よくあることであった。  戦陣が長引くと、村の男女が物売りにも出かけるし、売女たちもゆるされれば陣所へ入って将兵をなぐさめることもある。軍規のきびしい武田軍にしてはめずらしいことだが、あまりに上杉軍との対峙が長引いているので、「ゆるし」が出たものらしい。 「わかりました」  すぐに、於蝶はうなずいた。  叔父は、於蝶が村の女になって酒か食べものを売りながら敵陣へまぎれこんで、潜入の手がかりをつかめといっているのだ。 「よいか、たのむ」 「はい」 「仕度は、山裾の岩野村外れの森の中に、九市がととのえてある」 「で、叔父さまは?」 「今夜は、この本陣にいる。お前が留守のことを見やぶられてはならぬゆえな……」 「はい。では……」  於蝶は、夜の闇が下りるのを待って、岡本小平太に、 「るすをたのむぞや」 「ど、どこへ行く?」 「きかぬ約束ではないか」 「でも……」 「御屋形が、もしも私をおよびになったときは、うまくたのむ」 「うむ……」 「たぶん、明け方までにはもどれよう。そうしたら、きつくきつく可愛がってあげるぞえ」 「うむ、うむ……」  はげしく、小平太のくちびるを吸ってやると、小平太は大きくためいきをもらして切なげに、 「何をするのか知れぬが、あぶないまねはしてくれるな」 「あい、あい」  武装のまま、於蝶は山を下った。どの番所でも、於蝶は見とがめられることはない。上杉謙信気に入りの小姓の一人に彼女はなりきってしまっている。  岩野村にも、上杉の陣所が楯《たて》と幔幕をつらね、あかあかと「かがり火」が燃えたっている。  於蝶は、叔父の指示した村外れの森の中へ消えた。  森の中に、九市が待っていた。 「これを……」  差し出す包みをひろげ、中のものを於蝶は取り出すや、すばやく武装を解き、裸体となった。この鎧は叔父がこしらえてとどけてくれたものだから、脱衣着衣にも便利で、しかも女の於蝶が軽く身につけられるようにできている。 「あっ!」という間もなく、於蝶の裸体を村の女の衣類がおおった。  戦陣のことだから、髪も、むぞうさにたばねてあるだけだし、これをいったんときほぐし、これも九市が用意してくれた女の「たばねがみ」の先を布でつつんだものを、くくりつけると、たちまち於蝶は本来のすがたによみがえった。 「にごり酒」と木の実を入れた手桶を肩へかつぎ、わずかな忍び道具を入れた革袋を腰にさげ、於蝶は森の中から出て行った。  森を北へぬけると、そこはもう千曲川の岸であった。  股のあたりまでの川水をわけてすすむ。  川をわたると、いちめんの葦原となる。  上杉の陣営は、千曲川をさかいにして妻女山をかこむかたちになってい、葦原をぬけると川中島の小高い平原となり、点々と農家も散っている。  闇の中に、女たちの声がゆれうごき、近づき、遠ざかって行く。  いずれも於蝶のような農婦のすがたをして、酒、食物を入れた桶や籠をかつぎ、海津城のある松井ノ郷の方向へすすんでいるらしい。  於蝶も、彼女らとつかずはなれずに歩んだ。  月のない夜であった。  冷え冷えと夜風がわたる。  虫が河原にも草むらにも鳴きしきっていた。  海津城の「かがり火」を半里の彼方にのぞみつつ、川中島を北から東へまわり、城の位置を一度は通りすぎ、女たちは、柴村あたりから千曲川をわたり、松井ノ郷へ近づいて行った。  そのあたりへ来ると、男の声もまじり、このあたりに住むものとは思われぬ白粉のにおいをまきちらしながら、売女たちもぞろぞろと歩いている。  前方に、武田軍の前線が見えた。  松明《たいまつ》や「かがり火」がつらなり、兵士たちが歓声をあげて、 「おい、早う来いよ」 「酒はあるかや?」 「ほう……ぷんぷんと匂うわえ、女の匂いがな」  許可が出ているから、よろこんで迎え入れてくれた。物売りたちが通行をゆるされた番所は、ここ一箇処であるらしい。  番所には、武装の士数名が腰掛にかけて、いちいち通行の男女の風体をあらため、入って来る者の人数をかぞえている。出て行くときに照合するらしく、通行証の木札をわたす。 「よし」  じろりと、するどい眼で於蝶を見やった武士がうなずくと、番卒が木札をわたしてくれた。  番所をぬけるや、 「おう、若いぞ、若いぞ」 「酒はあるか」  足軽らしいのが二人、於蝶の腕をとらえ、ぎらぎらと欲望を露呈した眼をすえて、いきなり木陰へ引きこんだ。  敵の本陣を半里の近間にのぞみながら、海津城では今夜のような「気ばらし」を兵士たちにあたえている。  まさに余裕しゃくしゃくたるものだが、それでいて、たとえ二人三人の家来にしろ、わが手に抱えているほどの武士は、いささかも緊張をゆるめることなく各陣所をかためているし、妻女山にそなえる見張りの眼も厳重をきわめている。 「おい女。われは可愛ゆい顔をしているな」 「さ、ここへ来い。ここへ寝ろ」  銭の入った革袋を於蝶につかませ、二人の若い兵士は、只もう、がむしゃらにつかみかかってくる。 「ま……待って下され。先に、この……この酒をのんで下され」  於蝶は、うまく二人をあしらい「にごり酒」をのませてしまった。  のんだら最後である。  強烈な「ねむりぐすり」が白い酒の中へ混入されていたから、二人の兵士は他愛もなく草に伏しころげてねむりこけた。  物売りの者と売女が出入りをゆるされた時間は、わずか半刻(一時間)にすぎない。  それも場処が限られているのだ。  海津城の東方、寺尾村の陣所の一部がそれにあてられ、許可を得た兵士は、みなここへあつまって来ている。 (さ、急がねばならぬ)  於蝶は「墨流し」の黒布を出して、身にまとい、しずかに、しかも素早く、木立の闇をぬってうごきはじめた。 (まず、小柴見宮内の陣所をさがし出さねば……)  で、あった。  このあたりから海津城にかけて、武田軍の陣所が波状につらなっている。  見張りの士卒が絶間なく巡回しており、 (こ、これは、きびしい……)  さすがの於蝶も呼吸がつまるようなおもいがし、木立の中で身をすくめた。  半刻は、またたく間にたってしまい、物売りたちの引上げを命ずる太鼓の音が鳴りひびきはじめた。  於蝶は、舌うちをした。 (こうなれば……)  おもいきって、やってみるより仕方はない。  木立から走り出した於蝶は、腰の鉤《かぎ》なわを引きぬき、小道をへだてた彼方の竹林へ投げつけた。  鉤なわの先端の「おもり」が丈高い竹の一つにからみついた。 「うむ!」  これを、ちからまかせに引き、竹がしなってまがりきったところで、於蝶は地を蹴った。  びゅっ……。  夜の闇をはげしく切りさいて、竹がはね返った。  その反動を利した於蝶の躯は怪鳥《けちよう》のように宙へまいあがり、途中で鉤なわを手ばなした於蝶は、くるくると回転しつつ、竹林の向うの古寺の屋根へ落ちこんでいった。  寺の屋根は、わらぶきであった。  その「わら屋根」の上に身をおこしたとき、けたたましい板木《ばんぎ》の音がきこえ出した。  これは、入った物売り女の一人が出て来ないため、番所の士卒がおどろいて、非常警戒の板木を打ち出したものである。  板木の音は、番所から番所へつたわっていった。  もとより、於蝶は覚悟の前であった。  木立の中にねむりこけている兵士二人も、間もなく見つけ出されることであろう。  於蝶は寺の屋根の向う側へうつった。  この古寺も陣所の一つになってい、中庭には「かがり火」が燃えていたし、何やら叫びかわす兵の声もきこえる。 「くせものが忍び入ったらしい」 「なに……では、殿へ申しあげねばならぬ」 「よし。おれが行く。あたりの見張りをきびしく、な」 「心得た!」  寺の内外が騒然となってきた。 (今夜は、どうにもならぬ)  於蝶は、屋根に伏せたまま身うごきもならず、必死に考え、考えぬいた結果、 (よし、こうなれば……)  ついに、ある決意へ到達した。  伏せたまま、彼女は、ふところの短刀を出して使いはじめる。その鋭利な短刀の刃は屋根の藁をえぐり、切り取ってゆく。  切り取りつつ、於蝶の躯が少しずつ「わら屋根」の中へうずもれていった。  間もなく、彼女は自分の眼と鼻と口のみを天空に向けて仰向けに横たわり、まったく、厚いわら屋根の中へうもれきってしまったのである。 (忍びばたらきするは、明日の夜……)  と、おもいきわめたからであった。  むろん食糧も持ってはいないし、のみ水もない。  於蝶を探索する松明《たいまつ》は、一夜中、走りまわっていた。  やがて、夜が明けた。  九月八日の朝がきたのである。  晴れわたった秋の朝空が明るみを増してゆくのを、於蝶は仰向けになったまま、ながめている。  昼になった。  つよい陽ざしが、彼女の顔へ真向から落ちかかってくる。  空をながめたまま、 (何やら、この陣所にも緊迫の色がただよいはじめたような……)  と、於蝶は感じた。  屋根にうもれたまま身うごきもせぬのだから何も見たわけではないが、この寺へ出入りする士卒の足音や、声などによって、 (これは、私をさがしまわっているのとはちがう、別の急事がおこったらしい)  と、感じたのである。  夕暮れ近くになり、さらに於蝶をおどろかせ、よろこばせることがあった。  寺の内から中庭へ出て来たらしい、この陣所の部将ともおもえる人物の声がきこえたのだ。  その声のぬしは、 (まさに、あの声は、小柴見宮内……)  於蝶は興奮した。  小柴見城内へ忍び入り、彼の声をきいてから、まだ二十日足らずだし、於蝶がその声を忘れることはなかった。  小柴見宮内は、あの「年寄り」の深沢万右衛門をともない、供の士卒若干を引きつれ、馬に乗って陣所を出て行った。  海津城の武田本営からよばれたものらしい。  八日の夜が来た。  小柴見宮内は、まだ海津城からもどって来ない。 (これは、きっと城内において、重大な軍議がひらかれているにちがいない)  於蝶の胸はおどった。 (よし。何とかして城内へ忍び入ろう……)  その前にすることが一つある。  それは……昨夜、竹林へ投げた鉤なわを取りもどしておくことである。昨夜はこの屋根へ落ちた瞬間から身うごきもならなくなってしまったので、鉤なわは竹に巻きついたままであるはずだ。  只の縄ではない、甲賀忍びの道具なのである。 (武田の忍びに見つけられたら、あぶない)  竹林へもどって、取りもどして来ねばならぬし、城内へ潜入するとなれば、どうしても鉤なわが必要となってくる。  わら屋根の上へ、にじみ出すように於蝶の全身が浮き上った。  彼女の全身には気力がみちみちている。食物は食べていないが、甲賀忍び特有の携帯食を口にしていたからだ。これは「よくいにん」や「耳無草」なぞをまぜ合せた梅の実ほどの丸薬で、これを一日に一個、口に入れておけば、まず一カ月は屋根の上からうごかずにいられる。もちろん、それだけの丸薬は持ってはいなかったけれども……。  今夜も月がない。  夜になると曇天になり、冷えこみも強かった。  そろり、と於蝶がうごきはじめたときであった。 (あ……?)  於蝶は息をころした。  寺の裏手の竹林の中に異様な気配がたちこめていたからだ。  屋根に伏せたまま、竹林の闇を凝視すると、その闇の中に、ひたひたと黒い影がうごき、そのいくつもの影が次第に、この寺へ向って進んで来るのがわかった。 (しまった……)  於蝶は、くちびるを噛んだ。  まさに、武田方の忍びが、竹林にたれ下っている於蝶の鉤なわを発見したのだ。  鉤なわを見つけられたことは、鉤なわの使用目的を発見されたことになる。  となれば武田忍びの眼が、この寺の屋根へのびてくることは当然であった。  思いのほかに、きびしい警戒網が武田陣一帯に張りめぐらされている。このため、忍びばたらきをしている忍者も相当の数だと見てよい。  於蝶は、屋根を這って中庭の端にそびえる杉の大木へ飛びうつった。  中庭には武装の士卒が槍をひっさげて十人ほど立っていたが、かまっていられるものではなかった。  おもいきって、於蝶は身を低め、杉の木の根もとから地をかすめるように走って中庭を横切った。さすがに物音ひとつたてない。  士卒たちは、まったく気がつかなかった。  くずれかかった土塀を飛びこえる。  そこにも兵士たちがたむろしている。  草の中を蛇のようにくねりつつ、於蝶は小柴見の陣所からぬけ出した。  墓地があった。  墓地の向うに、別の陣所の「かがり火」が燃えていた。  しかし、墓地の其処此処《そこここ》からは、すさまじい殺気がふきあげ、於蝶を待ちかまえていたのである。 「うごくな」  と、墓地の闇の底から、おもく沈んだ声が、 「女忍びじゃな。ようもここまで入りこんだものよ」  於蝶は、こたえない。あたりの気配に神経をくばりつつ、じりじりと腰をおとし、かがみこんだ。 「むだじゃ。逃がれ得ぬわえ」  声に妙な「なまり」がある。だが、その「なまり」は、どこの国のものか於蝶には見当がつかなかった。 (これが、武田の伊那《いな》忍びなのか……?)  信州・伊那谷一帯に発達した「忍びの術」をつたえる伊那忍びが大量に武田家へつかえているとの「うわさ」は耳にしているけれども、その術の特徴が、どのようなものか、於蝶には経験がない。  闇が、急にうごき、於蝶を押しつつんできはじめた。 (もう、いかぬ……)  はげしい絶望が、於蝶の五体を抱きすくめた。  身につけた武器といっては、わずかに短刀ひとふり。それに若干の飛苦無と例の「散らし」などで、おそらく七、八名はいようとおもわれる忍びの敵を相手にして闘えるものではない。 「斬れ」  と、あの声が低く命じた。  転瞬、於蝶の左がわから、むささびのように黒い影が襲いかかって来た。  同時に……。  地を蹴った於蝶も、この敵を迎え撃つため、宙に躍っている。  二つの影が空間に飛びちがって……。 「う、うう……」  地に転倒した武田忍びが苦痛のうめきをあげた。  飛びちがいざま、於蝶の左手の短刀が、この忍びの左眼を突き通したのである。  しかし……。  敵の眼球を突刺した短刀を引きぬく間はなかった。  突刺して短刀から手をはなし、飛びぬけて、墓地の土塀下へ落ちた於蝶も、相手がなぎはらってきた忍び刀を左肩先に受けた。 (斬られた……)  と感じつつも、於蝶は、早くも右手につかんだ飛苦無を三方の闇へ投げ打ち、殺到して来る敵を牽制《けんせい》しておいて、 「む!」  左手を大きくまわして地に突き、その反動で、またも空間に躍り上った。  闇を切裂いて、敵の手裏剣が於蝶を追ったが、みごとに彼女の躰は低い土塀の向う側へ落ちこんでいる。  落ちて、草に片ひざをついたとき、はじめて傷の痛みが背すじをはしった。 (浅手だけれど……、もう、いけない)  だが、甲賀忍びは最後まで闘わねばならぬ。  最後まで闘うことによって「死への恐怖」を忘れねばならぬ。死を待つよりも、死へいどみかかる、このほうがむしろ死への苦痛がすくないと於蝶は教えられていた。  走り出した於蝶の前面に、松明《たいまつ》をかざした番卒五名が小道をまわってあらわれた。  通常の者ならば、新手《あらて》の番卒たちを見て、危機の増大をおぼえたであろうが……。  番卒は「忍びの者」ではない。  背後から疾風のように追いかけて来る「武田忍び」にくらべれば、赤子の腕をねじるようなものだし、彼らを、むしろ楯にして於蝶は逃げようと決意し、 「何者?」 「そこをうごくな!」  わめきつつ槍をかまえた番卒たちの中へ物もいわず走りこんで行った。  いっせいに突き出した番卒の槍の穂先は、いたずらに空間を疾《はし》った。  はずみをつけて宙に躍り、一回転した於蝶の両足が一人の番卒の胸板を蹴って彼方へ飛びぬける。 「あっ……」  叫んだその番卒が腰に帯していた刀を於蝶はぬき取り、ひと太刀あびせておいて、ななめ横に転じ飛びつつ、さっと左がわの木立の中へかくれた。 「おのれ!」 「逃がすな!」  わめき合い、やたらに走りまわる番卒たちの前へ灰色の忍び衣に身をかためた「武田忍び」七名が駆けつけ、 「じゃまな!」 「どけい!」  めんどうになったのか、味方の番卒どもへ当身をくれたものだ。  五名の番卒が、ばたばたと打ち倒れた。  これも「目ばたき」するほどの間であったが、於蝶にとっては、かなり時をかせいだことになる。  木立を走りぬけ、たった一つ残っていた「散らし」の小さな竹筒へしかけた「ひも」を引きぬき、自分が走るのと反対の方角へ投げ飛ばした。  するどい笛の音のように、音の尾を引いて彼方へ飛んだ「散らし」は、かなりの効果があったようだ。武田忍びたちは、このような忍び道具を知らなかったらしい。  道をこえ、また別の木立へ飛びこむ。  於蝶は、夢中に走ったが……。 (やはり……いかぬ)  やがて、凝然と立ちすくんだ。  木立は、包囲されていた。  木立の四方から、急に松明の火影がつらなり、こちらへ輪をせばめて来る。 (こ、これまでじゃ)  番卒からうばいとった刀をかまえ、於蝶が走り出そうとした瞬間であった。 「於蝶どのよ」  なんと……地の底から低い声が這いのぼってきたのである。 「だれじゃ?」 「私の声をお忘れかえ」  一間ほどの向うの土がうごき、地中から黒い人影が浮きあがった。 「あ……もやどのか?」 「あい」  於蝶と同じ杉谷忍びの中でも数少い「女忍び」のひとり、もや女なのである。 「もやどの。いつ、ここへ……?」 「新田小兵衛どのの指図によって、お前と同じ夜に……」 「そうでしたか……」  もやは、三十をこえていたが、忍びとしての技倆は於蝶よりも劣る。しかし、彼女の豊富な経験には於蝶とても一目おかざるを得ないところだ。 「もやどの。なれど……」 「於蝶どの。くだくだしゅう語り合うている場合ではない。さ、早う、ここへ……」  もや女は、木立の中の土へ穴を掘り、土と草でおおった板片で頭上へ蓋をし、土中に埋もれて、これも海津城内潜入の機をねらっていたと見てよい。  彼女が甲賀から出張《でば》っていたことを小兵衛は全く於蝶の耳へ入れておかなかった。入れてしまえば、自然「忍び同士」が他力をたのむことになって気力が弛緩《しかん》する。杉谷忍びはこれをおそれる。 「早う!」  もや女が於蝶を穴の中へ突き落し、蓋をかぶせ、土と草を足で寄せつつ、 「於蝶どの。さらば」  いうや、於蝶から受け取った刀をかまえつつ、じりじりと木立の中を移動して行く。  武田忍びも、もや女の存在には気づいていない。もや女は於蝶の身がわりになって死ぬ覚悟なのである。  これは後輩への単なる同情ではなかった。自分が残っていたほうが「効果」ありとおもえば、もや女も平然として於蝶を見殺しにし、穴の中に息をひそめていたろう。  だが、 (いまは、於蝶どのが生き残るべきだ。なぜなら、小柴見宮内の顔も声も知っているし、すべてにおいて、私は於蝶どのよりも躰のうごきがにぶいゆえ……)  とっさに、決意し、穴の中から声をかけたものである。  松明の火が木立の中へふみ入って来たとき、 「えい!」  もや女は声を発し、左手に飛苦無を投げ撃ちつつ、猛然として木立の中から駆けあらわれた。  番卒どもの悲鳴があがった。  もや女の白刃がひらめくたびに血が疾り、絶叫があがり、松明の火が乱れ立った。 (出来るだけ、於蝶から離れて死にたい)  この一事であった。  女ながら、男装して「戦さ忍び」にも何度か出たことがあるだけに、もや女の武技は甲賀でも評判のものである。  たちまち七、八名の番卒を斬り倒し、木立から、かなり離れた畑の中へ、もや女は駆け入った。 (ここまで来れば……)  畑の中にかがみこんで、呼吸をととのえつつ、もや女は、来るべきものを待った。  武田の士卒を相手にするのなら、楽に逃げのびることも出来ようが……。 (来たな……)  もや女は、死を前にした力闘にそなえ、血あぶらにぬれた刀の柄をにぎり直した。  畑の四方から、黒い影がいくつも、もや女に迫って来つつあった。松明の灯のつらなりは、これを遠巻きにしている。 (火薬玉でもあれば、一泡ふかせてもやれようけれど……)  苦笑をもらし、もや女は肉薄する武田忍びを迎え撃つべく起ちあがった。  農婦姿の甲賀のもや女が、武田忍びの刃をうけて息絶えてから二刻(四時間)ほどを経た。  もや女の死体は、おそらく綿密な点検をうけたにちがいあるまい。おそらく甲賀の忍びだということも知れたのではあるまいか。  だが、彼女の死は無意味ではなかった。  あたりの警戒網は、ほとんど解かれたといってよい。武田忍びが闇に溶けての警戒は依然つづけられているであろうが、木立の地中にひそむ於蝶の存在を知ることはない。  かがみこみ、ほとんど躰いっぱいの狭い穴の中で、於蝶は左肩の傷を布でしばった。さいわい血がとまってくれた。 (もやどのとても到底、逃げきれはすまい。いまごろは……もやどのの死をむだにしてはならぬ)  と、於蝶も血相が変っていた。  かなり体力も消耗していることだし、長引いては「忍びばたらき」がにぶることになる。  思いきって、於蝶は穴の中から這い上った。  間もなく、於蝶は小柴見宮内の陣所の古寺の屋根へ引返していた。  屋根から屋内へ……。  寺の僧たちも少しは残っているらしいが、寺の内部は小柴見の武士たちの寝息が充満している。  奥まった一室に眠っている小柴見宮内を、於蝶は、わけもなく見出すことを得た。  この部屋をかこむ廊下には宮内の侍臣たちが武装したまま眠っている。疲れているらしく、寝息も大きい。  於蝶は、宮内をゆり起すと同時に、宮内の口を左手で押えた。 「小柴見さま。わたくしは上杉の手の者にござります」 「む……」 「おしずかに。しょうこはこれに……」  右手で肌につけていた刀の目貫《めぬき》を取出して、宮内に見せた。立模様の獅子を彫りこんだ立派な細工のもので、新田小兵衛が前に小柴見城をおとずれた折、 「われらの密使をさし向けましたときの証拠となるべき品をたまわりたし」  と、いったところ、宮内はこの獅子彫りの目貫をわたしてよこしたのである。 「ねむり灯台」の、かすかな光りに、この目貫を見た小柴見宮内が、うなずいた。  於蝶が宮内の口から手をはなし、 「ひくいお声にて……」 「わ、わかった」 「いつ、城からもどられましたのか?」 「し、知っておられたのか……や、おぬしは女性《によしよう》ではないか……」 「はい」 「先刻、捕えられた忍びの者は……?」 「わたくしと同じ甲賀のものにござります」  といってから、於蝶はわざと、 「わたくしどものような上杉の忍びが先夜から二十余名も、このあたりから海津の城にかけて入りこんでおります」  宮内をおびやかした。 「ふうむ……ま、まことか……」 「はい、で……お城では軍議がございましたのか、そうでござりまするな?」 「うむ……」 「その模様をおはなし下さりませ」  宮内は、一瞬ためらったが、切迫した表情になったのを於蝶は見のがさなかった。 「小柴見さまは、上杉の御味方でござりますな」  つよく於蝶が念を入れた。 「む……いかにも」 「もしも、この場において上杉との約定《やくじよう》をおやぶりあそばすと、小柴見のお城にのこしおかれた奥方さまはじめ御子さまたちも、今夜のうちに捕えられてお首を打ち落されましょう」  宮内がうめき声をあげた。 「それでも、よろしゅうござりますのか?」 「ま、待て。わしは何も上杉公にそむくつもりはない」 「よろしゅうござります。みごと、小柴見さまが御役におたち下されましたあかつきには、この戦さはかならず上杉の大勝利。小柴見さまを旭山城のみか、善光寺ならびに大峰城のあるじに迎えたしと上杉謙信公の御意にござりまするぞ」 「えっ。そりゃ、まことか」 「いかにも」  宮内は、せわしなく小鼻のわきの大きな黒子に生えている一すじの毛を指先でいじりまわしつつ、 「申す」  かすれた声でいった。  於蝶が耳をさしよせた。  宮内は、ささやいた。  長いささやきではない。  すぐに、小柴見宮内が於蝶の耳から口をはなしたとき、於蝶の両眼は火のように燃えかがやいていた。 「では、明夜?」  問い質《ただ》した於蝶に、もう決意したものか、宮内が大きくうなずいて見せる。  気の小さな武将だけに、小柴見宮内は、こうなると嘘がつけぬ性格らしい。  まして補佐役の深沢万右衛門もおらぬ一人きりの寝所へ潜入されて問いつめられただけに、宮内としては於蝶にほんろうされきってしまっている。 (これがまことなら……)  於蝶も、さすがに顔色が変った。  武田信玄は、いよいよ戦さをしかけるための軍議をおこない、明夜を期して作戦行動に出るというのだ。  その作戦とは……。  武田の全軍を二手にわける。  一手は小柴見宮内を先鋒として約八千の大軍を海津城代の高坂昌信《こうさかまさのぶ》がひきい、山づたい(上杉軍が通った道)に妻女山の上杉本陣へ襲いかかる。  そうなれば、上杉謙信は戦闘に不利な山戦《やまいくさ》をきらい、勝敗いずれになろうとも当然、山を下って川中島の盆地へ出て陣形をととのえよう。  そこが武田信玄の「ねらいどころ」である。  信玄は早くも一万余の本軍をひきいて川中島に待ちうけ、あらわれた上杉軍へ突撃する。  そこへ、妻女山から上杉軍を追って下った高坂勢が背後から襲いかかり、上杉謙信を「はさみ討ち」にしようというのだ。  これを後世に「きつつき」の戦法などとよんだりしている。 「きつつき」という鳥は、くちばしで木をたたき、木の幹に穴を掘って住む虫を追い出し、これを穴の口に待ちかまえて食べてしまうそうな。  大決戦にのぞむ武田信玄の最後に到達した作戦が、これであった。  明夜……といっても、すでに当日の午前二時となっていた。  小柴見宮内の口から、ついに武田軍の作戦をききとったからには、一時も早く、これを妻女山の上杉本営へ急報せねばならぬ。 (なれど……これからが、むずかしい……)  於蝶は、ためいきをついた。  宮内も、おもいは同じだったようである。 「これから、いかがいたす?」  寝床の上に半身をおこし、 「ぬけ出るのが大変だが……」 「はい」  武田陣営を脱出するのが難儀であることは、いうをまたない。  たとえ何とか脱出し得たとしても、その脱出したことを知られてはならぬ。ここがむずかしいのである。  上杉方の忍びが脱出したことがわかれば、武田信玄はかならず、決定した大作戦をおこなうに躊躇《ちゆうちよ》するであろう。  作戦をさぐりとられたか……の懸念があるからだ。  作戦決定となったいまは、陣営内の警戒は、ことさらにきびしくなっていようし、武田忍びも全力をつくし、一匹の虫の出入をもゆるさぬにちがいない。  ながい沈黙の後に、小柴見宮内が、 「ところで……?」  口をきった。 「は……?」 「おぬしがぬけ出すことはさておいてじゃが……これで、いよいよ戦さになったとき、わしはどうしたらよいのかな。謙信公からの御指図でもござってか?」 「いえ……なれど小柴見さま。あなたさまはいま、何事にもかえがたい御手柄をおたてあそばしました。武田方の軍議の秘密を私におもらし下さいましたことのみで、じゅうぶんにござります」 「左様か……」 「謙信公は、この一事のみで、あなたさまを決して粗略にはおあつかいになりますまい」 「よしなに、たのむ」 「しかと申しつたえまする」 「なれど、わしは妻女山攻めの先鋒ゆえ、いざともなれば戦うことをさけるわけにはゆかぬが……」 「知れたことではございませぬか。あなたさまは、どこまでも武田方のさむらいとして、おはたらき下さらねばなりませぬ。そのことは、こなたにても充分わきまえておりまする」 「そうか。よろしゅうたのむ」 「はい」 「で……おぬし、これより、いかがするな?」 「いま、こころがきまりました」  於蝶が何事かささやくと、小柴見宮内はふかくうなずき、 「うむ。わしも、その一手よりないとおもう」 「おたすけ下されましょうか」 「かくなれば、な。やってみるより仕方はあるまい」  夜が明けるころ、於蝶のすがたは、どこにも見えなかった。  あくまでも秘密裡に出撃の仕度がととのえられてゆく。海津城の内も外も、この作戦を知るものは一隊をひきいる武将のみといってよい。出撃の仕度といっても武装の滞陣なのだから別に大仰なことではない。兵たちは、今夜に全軍の出撃があるなどとは、思ってもみなかったらしい。  九月九日は、朝から霧のような雨がけむり、夕刻になって雨はやんだが躰がひきしまるほどの秋の冷気が信州の山野にみちみちた。  夜の闇が下りた亥の刻(午後十時)ごろ、城外に陣をしいていた武田軍が、ひそやかにうごきはじめた。  うるしのような闇の中の行軍であったが、松明の火も極度に減じ、先導は熟練した武田忍びの一隊がおこない、つづいて先鋒の小柴見宮内が手兵をひきいてしたがった。この後から高坂昌信が指揮する八千の軍団がうごき出す。  進路は、松井ノ郷の南端に集結を終えてから「多田越え」の山道へかかり、大きく迂回して妻女山の南方の尾根へ出て、一気に攻撃をはじめようというのだ。  粛々とすすむ小柴見部隊の足軽組の中に、於蝶はまぎれこんでいた。  むろん男装で、陣笠をふかくかぶって顔をかくし、武装に身をかため槍をかついでいる。  このことを知るものは、小柴見宮内のみといってよい。  あれから……。  於蝶は宮内の寝所の床下へもぐり、夜の来るのを待っていたのである。  足軽の身仕度も、宮内がみずからはこんで来てくれたし、食事も半分をわけてくれ、肩の傷にぬる薬もさがして来てくれた。家来たちにさとられぬようにするのだから、宮内も苦労なことであったろう。  出発と同時に、於蝶は床下をぬけ出し、何くわぬ顔で足軽隊の列へ入った。 「言葉をかわしてはならぬ。どこまでも無言にてすすめ」  という軍令が出ており、闇夜のことであるから見とがめられることはない。  軍馬は一頭も出さなかった。  山岳戦であるし、海津城、妻女山、川中島をむすぶ戦場一帯は約一里四方にすぎぬ。  軍団が多田の山越えにかかろうというときになって、ふっと、於蝶の姿が消えた。  すでに武田陣営をはなれて行軍に移っているし、番卒に見とがめられるおそれはない。  闇夜の木立と細い山道をすすむのだから、人知れず姿をかくすことなど、於蝶にとってはたやすいことであったが……。 (さ、急がねば……)  於蝶は必死の形相となった。  山裾の畑道を、於蝶は全力をこめて走った。  いま、妻女山の背後にせまる敵襲を、上杉軍はまったく知らぬのである。  清野の部落をすぎると、前方に味方陣地の「かがり火」がのぞまれた。  そこへ……於蝶は夢中で飛びこんで行った。 「何者!」 「あやしい奴め!」  上杉軍の士卒がわめく声の中から、 「おお、戻ったか……」  新田小兵衛が飛び出して来るのを見て、 「あ……」  於蝶は安心のあまり、目がくらむおもいで、ひしと取りすがりつつ、 「叔父さま」  口の中で、かすかにいった。 [#改ページ]  決  戦  於蝶からすべてをきくや、新田小兵衛は、すぐさま於蝶を伴って宇佐美定行の陣所へ駆けつけた。  老軍師は、このことをきいて、 「でかしたぞよ、でかしたぞよ」  歓喜の声をあげ、駆けよって、ひしと於蝶を抱きしめたものだ。 「小兵衛、於蝶……おかげをもってこの定行、こたびの決戦に軍師のめんもくが立ったわえ」 「それよりも早う……宇佐美さま。武田勢はすでに多田越えをして、この本陣のうしろから……」 「大事ない。見ておれ」  定行が、新田小兵衛に耳うちするや、そそくさと陣所を出て行った。  上杉謙信が眠っている仮屋へ馳せつけたのであろう。 「於蝶。傷は大丈夫か?」 「あい」 「ようしてのけた。ほめてくりょう」 「叔父さまが、ほめて下さる?」 「おう」 「ま、うれしいこと」 「もはや、お前のつとめは終った」 「え……?」  小兵衛が、金の入っている革袋を出し、この姪にわたしてから、こういった。 「途中、好みのところをゆるゆる見物し、あそびながら、甲賀へ帰っていよ」 「帰れと……?」 「いかにも、これよりは謙信公と武田信玄の合戦じゃ。われら忍びに用はない」 「叔父さまは……?」 「わしか……わしはな、戦さ忍びに出るつもりだわ」 「なれど、そこまではせずともよい筈《はず》」 「うむ……」  にんまりと、新田小兵衛が笑い、 「わしはな、お前同様、上杉謙信公というお方が好きになってしもうたらしい。謙信公はな、わしとお前を、山上家の遺臣と信じきって、あくまでも、われらのめんどうを見て下さるおつもりらしい。物事にうたがいをかけることの大きらいな大将よ。立派ではないか」 「あい」 「だまし合い、化かし合い、肉親の血をおそれげもなく流して戦い合わねば、いまの武士が生きて行けぬというに、な……」 「はい。それゆえにこそ……」 「心配じゃと申す?」 「これからの謙信公のことが……」 「よいわ」  豪快に声をあげて小兵衛が笑った。 「先のことよりも、いまの戦さじゃ。わしも久しぶりに戦場を駆けまわってみたい」  妻女山をつつむ闇が、ひそやかにうごきはじめたようだ。  宇佐美定行と小兵衛は、かねてから、こうしたときの用意をしていたものとみえる。  山の峯々から山すそにつらなる「かがり火」はそのままに、幔幕も食糧も置きすてたまま、上杉軍は小半刻(三十分)もかからぬうち、全軍、妻女山・本営を離脱することが可能なように手くばりをととのえていたのである。 「さ、於蝶。甲賀へ帰れ」  小兵衛が陣所から山道へ出て行きかけて、もう一度いった。 「叔父さま」 「うむ?」 「わたくしも……」 「ならぬ、女の戦さ忍びなど、もってのほかじゃ。謙信公もおよろこびになるまい」 「このまま、謙信公のお顔も見ずに甲賀へ去れ、と申されますのか」 「こころのこりがするのか?」 「あい」 「もしや、岡本小平太に女のこころをうつしたのではあるまいな」 「まさかに……」  於蝶は苦笑し、 「あのような子供を……ただ可愛ゆくおもうただけのこと」 「帰れ」 「いいえ……わたくしは戦場にては、はたらきませぬ。このあたりの村の女ともなって、そっと……そっと、謙信公や叔父さまのおはたらきを見物させていただきたいのです」 「あぶないことを……」 「ふ、ふふ……甲賀・杉谷の於蝶にございますよ」 「むう……」 「ね、叔父さま、おねがい」 「仕方のないやつ」 「こたびは後世に名をとどめるほどの大合戦となりましょうゆえ、ぜひとも、この眼で見ておきとうございますもの」 「よし」  めんどうになったのか、小兵衛は、 「勝手にせい、なれど、くれぐれも謙信公そのほかの人びとに顔を見られまいぞ。井口蝶丸は行方不明ということにしておきたい」 「はい」 「さらば」 「では、甲賀にてお待ちしております」 「先へ帰り、頭領様にすべてを申しあげい」 「こころえました」  そのころ、上杉謙信は「居所」に宇佐美定行を引見している。  定行は、この情報を於蝶がさぐり出したことを洩らさなかった。 「それがしの手の者が武田方陣営へ忍び入り、うまうまと小柴見宮内殿との連繋をとって、さぐりとりましたのでござる」  と、いった。  謙信は、うたがわぬ。 「その者の名は?」 「山口綱四郎と申します」 「身分のかるいものか」 「はい」 「これへ」 「おりませぬ。ただちに引返し、海津城に残る信玄本陣をさぐりに出ました」  後になって、架空の人物、山口綱四郎は戦死ということにすればよい。  ここで於蝶の正体を判明させては、 (あくまでも井口蝶丸という少年だと信じきっておられた御屋形の純真なこころを傷つけることになる)  とおもい、定行は嘘をつき通すつもりになっている。 「よし!」  凜然として立ちあがり、上杉謙信がいい放った。 「晴信(信玄)の首は、余が討ち落してくれよう。小柴見宮内への恩賞を忘るな」  上杉軍が妻女山を離脱したのは午前零時をまわったころであろう。  それにしても、実にすばやい離脱であった。  もっとも全軍が山上にいたわけではない。一万余の総軍のうちの三分の二が山の中腹から山裾にかけて陣張りをしていたのだ。  山上にも、へんぽんとして旗差物や旗のぼりがつらなり、かなりの大軍が陣をしいているように見えたが、これは戦旗のみをひるがえしていただけのことである。  軍馬の「くつわ」には、布を巻き、舌をしばって、その|いななき《ヽヽヽヽ》をとめ、士卒はすべて口中に枚《ばい》をふくんだ。 「枚」というのは……夜討ちの軍勢などに声をたてさせぬため、兵の口中へ箸状の道具を横にくわえさせ、これを首にむすびつけたものだ。 「かがり火」のつらなりは、そのままである。  わざと軍馬の三分の一をのこしておいた。  そのころ……。  武田信玄も海津城を出ていた。  これも城にのこした兵は、わずかに二百余。  城の内外の灯や「かがり火」もそのままであった。  武田軍も上杉軍同様に馬のいななきをとめ、兵は枚をふくんでいる。  山づたいに妻女山を襲う別手の軍勢は、高坂昌信、飯富《おぶ》兵部、小山田《おやまだ》昌辰、馬場民部などがひきいる八千(一万余ともいう)。  武田信玄みずからひきいる本軍は、わが子の太郎義信や弟の武田信繁をはじめ、穴山|信君《のぶぎみ》、諸角昌清《もろずみまさきよ》、原|昌胤《まさたね》ら十二隊の編成による総勢一万(八千ともいう)であった。  この信玄本軍には軍師・山本勘助も加わっていた。  信玄の武田本軍は、ゆっくりとすすみ、午前三時ごろには広瀬の渡しから千曲川をわたり、川中島平へ出て、八幡原《はちまんばら》へ陣をかまえた。  別手隊に襲われ、川中島へ出て来るであろう上杉軍を、ここに待ちかまえて殲滅《せんめつ》しようというのだ。  その武田別手の軍は、山道をうねりつつ妻女山へ肉薄している。  といっても、相手に知られてはならぬので、その進行度はきわめておそい。それでも、いま少しで上杉本営へ攻めこもうという地点まで来て、 「見よ」  高坂昌信は、樹林の間から、彼方につらなる、妻女山の「かがり火」を指し、 「謙信め、何も知らぬわ」  と、うそぶいた。武田の智将と自他ともにゆるす高坂昌信だが、まさか妻女山の「かがり火」が「ぬけがら」のそれと気づいていない。  そのころ……。  上杉謙信は、雨宮の渡しをわたり、川中島へ進み出ている。  謙信は、妻女山の山すそに、村上義清、高梨政頼、井上清政など五隊をのこしておいた。武田別手隊をふせぐためのものである。  謙信は、本軍を四段にわけ、みずからは旗本隊をひきいて第三陣に入った。  さらに遊軍として、軍師・宇佐美定行が指揮する五隊がある。  新田小兵衛は、この宇佐美遊軍に属していた。  下忍びの九市も足軽の軍装で、小兵衛につきそっている。  於蝶の身がわりとなって死んだもや女のほかに、二名ほどの男忍びを小兵衛は海津城のまわりへ潜入させておいたが、これらは、闇の中を絶えず往来し、 「どこどこに、武田方の忍びが見張りに出ております」  とか、 「どこどこに、間者が入りかけましたぞ」  とか、知らせてくれる。  小兵衛は、宇佐美定行に進言し、これをふせごうと考えた。 「うむ。敵も味方も、明日の朝の光りが、この川中島へさしこむまで、たがいのうごきを知られてはならぬ」  定行は、妻女山を下ったとき、すぐさま上杉謙信に申し出ると、 「もっともである」  謙信はうなずき、 「蟻のはいりこむ間もなきようにせよ」  で……。  思いきって本庄繁長、新発田《しばた》長敦《ながあつ》、色部長実《いろべながざね》らの五隊、三千にちかい軍勢を、千曲川を全軍がわたった地点から、川のながれに沿い、ひしひしと配置して、武田方の見張りが潜入することにそなえた。  しかも、妻女山の山裾にも五隊数千の守兵が固めている。  いかに武田忍びでも、これでは近寄って来ることができぬ。 「上杉軍は何も知らぬげに、うごきませぬ」  と、彼らは武田信玄へつたえ送った。  また、事実、妻女山につらなる「かがり火」を見ては、彼らも信じてうたがわなかったろう。  まれに、妻女山近くへ潜入した間者たちは、すべて新田小兵衛指揮する一隊に捕えられてしまったのである。  で、信玄も、 (作戦うたがいなし!)  と断じ、八幡原の本営にあって、 「勘助。上杉軍が別手勢に追われて川中島へ出るは何時《なんどき》になろうか」 「さよう」  山本勘助はしばらく眼を閉じて考え、 「卯《う》の刻《こく》(午前六時)前ということはありますまい。いずれにしても朝の光りがみなぎりわたってからのことでござりましょう」  と、こたえた。  勘助の老顔には、満足の色がある。  上杉の軍師・宇佐美定行に対して、 (勝ったぞ!!)  わが作戦の成功をうたがわなかった。 (むかし、共に旅をして歩いたころ、おぬしとわしとは……この後、軍師として名のある大将の下ではたらくようになり、もしも敵味方に分れて、功名をあらそうことになったらおもしろいではないか……などと語り合うたことがあったな。その通りになった。そして長い年月を、おぬしとわしとは武田、上杉の命運にかけてあらそいつづけて来たのじゃ。……そして、わしと信玄公がいつも、おぬしと謙信公に煮湯をのませつづけてきたものよ。じゃが……じゃがな、定行。まともに大軍をぶつけ合うは、こたびがはじめてじゃ。はじめてで最後……どうやら、このわたしの勝ちじゃな)  と、勘助は宇佐美定行に胸の中でよびかけていた。  午前四時……。  上杉本軍は三手に分れて大きく迂回しつつ、川中島盆地の篠《しの》ノ井《い》の先から北国街道に沿った地点へ集結を終えた。  ときに永禄四年(一五六一)九月十日の未明である。  武田本陣とは、さしわたしにして一里(四キロ)弱の地点へ、うまく進出し得たわけである。  この地点は、武田本陣の八幡原から見て西にあたる。  ところが妻女山は南にあたるわけだから、武田信玄も山本勘助も全軍の陣形を南に向けて配置してあった。  手すきの横手へ、上杉軍が早くも集結していることなど、夢にも思わぬ。  そのころの九月十日は、現代の十月下旬にあたる。  まだ、いちめんの闇だ。  闇の中に霧がたちこめている。  集結を終えた上杉軍は、総勢約八千ほどであったろう。  宇佐美定行の遊軍が前方に出た。 「たのむ」  と、定行が新田小兵衛にいった。  小兵衛はうなずき、九市ほか二名の杉谷忍びに三名ずつの伝令をつけて斥候《せつこう》に出した。  畑と、ひくい丘のつらなりと雑木林と、ほそい幾すじもの川のながれと、いちめんの葦原と……。  川中島平のそうした地形の中を九市たちは風のようにすすんだ。 「九市……かえ」  すすむ九市の足もとの葦原の中で女の声がした。  九市は、手の者を遠ざけ、 「於蝶さまか……」 「あい」  早くも農婦のすがたに身を変えた於蝶が、葦の中にかがみこんでいた。 「甲賀へ、おもどりでは?」 「叔父さまにことわってあるわえ」 「さようで」 「武田本陣は八幡原ぞ」 「なるほど」 「さぐるにはおよばぬ」 「え……?」 「わたしが、すべてさぐりとって来た」 「これはありがたい」 「うふ、ふ、ふ……信玄めは南をにらんでいるぞえ。こなたは手うすじゃ」  と、於蝶は武田の陣形をつぶさに九市へつたえてやり、 「叔父さまに、御無理せぬようにと、つたえてたもれ」 「はい、はい」 「さ、行きなされ」 「於蝶さまは?」 「見物じゃ。というても、大好きな謙信公のため、何かと、な……」 「いやもう、こたびの於蝶さまのおはたらきは大したもので」 「死んだ、もやどののことを忘れまい」 「あ、いかにも」 「さ、早う」  於蝶の「さぐり」なら、さぐり直す必要はみじんもない。  九市たちは、すぐに新田小兵衛のもとへ取って返した。  武田軍の陣形が判明するや、 「尚も、しずやかに迫るべし」  と、上杉謙信の命が下った。  上杉軍が、濃い霧の中をうごきはじめる。  この日。  上杉謙信は紺糸おどしの鎧に萌黄《もえぎ》どんすの胴肩衣をつけ、金の星兜《ほしかぶと》の上から白の「ねり絹」をもって行人包みにするという武装であった。  ときに謙信は三十二歳である。  右手に、例の青竹の指揮杖をつかみ、放生月毛《ほうしようつきげ》とよばれる愛馬にまたがり、 (これならば、みずから信玄本陣へ打ち込めるであろう)  と、謙信は闘志を満面にみなぎらせていた。  朝の気配がただよいはじめてきたが、乳白色の霧がいちめんにたちこめている。 「御屋形……」  と、宇佐美定行が馬を寄せて来て、 「この霧、天祐《てんゆう》にござりますな」  老顔をほころばせた。 「むむ……」  謙信もうなずいたが、すぐに、 「駿河守は戦さするにおよばぬぞ」  つよい声でいった。 「はあ……」  定行は、あいまいな笑顔を見せただけだ。 「駿河に死なれては困る」 「死にませぬ」 「かくなればもはや、突き進むのみじゃ。勝つか負くるか……どちらにせよ、その後始末をそちにとってもらわねばならぬ」 「やはり、御屋形さまは……?」 「見ていよ。信玄の首は余が討つ」 「あえて、おとどめは申しますまい」 「一期《いちご》の大戦さゆえな」 「はい」 「ときに……」 「は?」 「あの井口蝶丸な……」 「どこへかくれましたものやら……」 「まだ行方が知れぬか?」 「はい」 「井口伝兵衛も案じておろう」 「さて……」 「どこへまいったものか……蝶丸は戦さをおそれるような臆病者ではない筈」 「はあ……」  宇佐美定行が話に乗ってこないのを、謙信は不満におもったらしい。 「小平太、小平太!」  かれはまわりをかこむようにしている徒立《かちだち》の小姓組へ振り返って、岡本小平太をよびつけた。 「ははっ」  と、小平太が駆けつけて来る。 「そち、蝶丸の行方につき、まだ、こころあたりはないのか?」 「ござりませぬ」 「もし戻り来たらば、余はとがめぬ。そのつもりでおれ」 「はいっ」  小平太も、うれしげに面をかがやかせた。  上杉軍は、すでに武田本陣へ半里の近間へせまっていた。  山も野も、川も村も、ふかい霧におおわれていた。  武田信玄は、八幡原の本営を中心に諸隊を配置し終えたが、 「もはや、攻めかけてもよい時刻じゃが……」  と、傍の山本勘助へ洩らした。  妻女山は霧の彼方に埋没しているけれども、別手部隊が攻めかければ、その戦闘のどよめきがつたわってこぬ筈はないのだ。  妻女山とは、さしわたしにして一里ほどの近距離なのである。  山本勘助も不安そうな表情で、 「物音ひとつ、きこえませぬ」 「物見の兵から、何ぞ申し送っては来ぬか?」 「はい。なにぶんにも、この霧では……」 「霧か……この霧だけは勘定に入れておかなんだわ」  信玄は苦笑をうかべた。  武田信玄はこの日、坊主あたまへ諏訪|法性《ほつしよう》の兜をいただき、黒糸おどしの鎧の上に緋色の法衣をまとい、軍扇をかるくにぎって巌のごとく本営の床几にかけたまま、身じろぎもせぬ。  このとき武田信玄四十一歳。 「妙じゃな」  またも信玄が勘助へよびかける。 「妙でござります」  勘助も、たまりかねたかのように立ち上った。  少しはなれ、地形図をかこんでいる部将たちも、妻女山での戦闘のどよめきがきこえぬのを、 (もしや……?)  何か、意外の出来事のために作戦が齟齬《そご》を来たしたのではないかと思いはじめているらしい。  霧の色が白く浮き上り、霧のながれが、はっきりとわかるようになってきている。  朝が来ているのである。  本営には、武田信玄を中心に、小人中間衆・二十人衆など撰りすぐった侍臣たちが居ならび、一万の武田本軍は、この本営の両側へ南方の妻女山をのぞんで展開していた。  風に、霧のながれがはげしくなった。 「しずかじゃ」  信玄が急に、床几から立ち上ったときである。  斥候が馬蹄の音をひびかせ、本営へ駆けこんで来た。  斥候は二名で、 「申しあげまする。戸部、北原のあたりへ上杉勢が押してまいりました」 「十二ケ瀬の河原のあたりにも、何やら上杉勢らしきものが……」  口々に叫んだものである。 「何と!」  山本勘助が、いきなり斥候のひとりの肩をつかみ、 「そりゃ、まことのことか」 「まことにござる。戸部のあたりでは、こなたの西がわから少しずつ輪をせばめるようにして押してまいりまするぞ」  勘助が、虚脱したような双眸《め》を信玄に向け、 「これは……いったい、これは……」 「よいわ」  武田信玄は、ふたたび床几へ腰をおろすと、もう、いささかの動揺もない声で、 「さとられたのであろう」  と、いった。  さっと、武田本陣に緊張が疾《はし》ったが、信玄は悠々として、 「敵も一万、こなたも一万……」  つぶやいた。  上杉軍が妻女山のすそに数千の部隊を残していたとは信玄も知らぬ。 「よし、一刻ほど持ちこたえれば、妻女山へのぼった別手組が、今度は上杉軍のうしろから攻めかかるであろう」  信玄の軍扇が、わずかにあがり、 「すぐさま迎え撃て」  と、下知をした。  低い、おちつきはらった声である。  たちまちに、本営の内外がどよめきはじめた。  馬がいななく。  伝令が諸方へ飛ぶ。  何よりも先に、南方へ向っている陣形を、そのまま西へ向きを変えねばならぬ。  もはや陣形の全部を組み直す時間がないからだ。  これによって、陣形の最後部にあった信玄本陣は最右翼となって上杉軍を迎え撃つことになった。不利をきわめている。  ぐんぐんと霧がながれていた。  草が、土が、芒《すすき》の群が、次第にそのかたちを霧の幕の中からあらわしはじめた。  武田軍が向きを変えつつあるとき……。  わあーん……。  彼方の、千曲川に近いあたりで両軍激突をしたらしい戦闘の響《とよ》みがきこえはじめた。  これは、武田方の山県・穴山の両部隊へ、上杉方の先鋒・柿崎和泉守《かきざきいずみのかみ》の部隊が突き込んだのである。 「兜を伏せよ、顔を上げるな! 敵勢を見ずに突きかかれ。戦うは敵勢の中へ飛び入ってからにせよ!」  と、柿崎和泉守は命を下し、 「おう」 「えい、えい」 「おう、おう」 「えい、えい」  上杉軍は、うすれかかる霧の下から気合声をかわしつつ、猛然として突撃した。  両軍の銃声が、ひとしきり鳴りわたって開戦を告げる。  霧がはれていくにしたがい、川中島平いちめんに上杉軍が結集し、それが一丸となって烈しく回転しつつ、錐《きり》をもみこむように突き入って来るのを見て、 「むう……」  さすがに、武田信玄もうめいた。  意外の近距離にまで、敵はせまっている。  この信玄本営は低い丘の上にあり、南方一帯への眺望はきくけれども、西がわには丘陵のつらなりや、木立が多く、どうも観戦には不便となった。 「御屋形」  と山本勘助がひざをすすめ、 「御本陣をうつしまいらせては?」  しきりにすすめたが、信玄は、 「もはや、うろたえうごいてもはじまらぬ」  にこりとして、 「別手組が妻女山を下るまでのことじゃ。まさかに押しこまれもすまい」  と、おのれの作戦計画がはずれ、うなだれている老軍師を、 「勘助。余もこたびはうまくゆくつもりでいたのじゃ。気に病むな」  と、なぐさめた。  上杉軍は、これまでのゆるい速度をかなぐり捨てた。  喊声《かんせい》をあげ、槍の穂先をつらねて、突貫して来るすさまじい攻撃に直面し、陣形の向きを変えるのが精いっぱいの武田軍は、そのまま釘づけになったかたちで応戦しはじめる。  とても、総大将・武田信玄の本営を包み護る間はなかった。 「一刻たてば、こなたの勝利じゃ。妻女山の味方が上杉軍のうしろへまわるまで持ちこたえよ」  との信玄の声をつたえる伝令が、馬を馳せて諸部隊へかけつける。  それまで持ちこたえられてはたまらないのが、上杉軍である。  それだけに兵士たちまでが決死の形相も物凄く、たちまちに信玄本営の前へ出ていた望月部隊を突きくずした。 「これはいかぬ」  本営から、これを見た信玄の弟・武田信繁は直ちに手兵をひきい、猛然と打って出た。  上杉謙信は物見の兵の報告をきくや、 「よし!」  馬上に会心の笑みをうかべ、 「一同、ここを先途《せんど》と思え!」  青竹の指揮杖を放り捨てるや、小豆《あずき》長光の陣太刀をぬきはらった。  宇佐美定行が馬を煽って駆けつけて来て、 「御屋形。まだ早うござりますぞ!」 「何と」 「いま、信玄本陣の在処《ありか》をさぐらせておりまする」 「うむ」  謙信がうなずくのを見て、定行は、 「御一同、御屋形をたのむぞよ!」  と叫んだ。  謙信のまわりには、旗本隊三百ほどと、二十名ほどの侍臣・小姓たちのみだが、ここまで武田軍が反撃して来るのは容易なことでない。  新田小兵衛の「井口伝兵衛」は、九市たち甲賀忍びとは離ればなれになり、単独で信玄本陣の在処をさがしまわっていた。  上杉軍せまると知ったとき、山本勘助は本陣のまわりに林立する旗のぼりなどを、みな取り外させ、本陣の在処を敵に知られまいとした。戦局が有利になってから戦旗をかかげるつもりであった。  つまりは、それほどまでに上杉軍の肉薄が意外であり、すさまじかったことになろう。  騎乗の新田小兵衛は、信玄本陣の南方にある丘の上へ出たとき、下の葦原から武田信繁部隊の数名にかこまれた。  小兵衛は一人であった。  黒の鎧、小星兜の武装に身をかためた小兵衛は、いま甲賀の忍びというよりも上杉軍の武士であった。  それが、小兵衛にはうれしい。 「来い!」  馬上に槍をふるい、たちまちに三名の敵を突き倒したとき、 「叔父さま」  丘の木立の中から駆けあらわれた於蝶が、 「ごめん」  さけぶや、鳥が舞いたつかのように小兵衛の馬へおどり上った。  於蝶を背中へつかまらせておいて、 「えい!」  新田小兵衛は槍を縦横につかいこなし、敵をはねのけつつ後退する。  上杉勢が丘の上へあらわれ、葦原へ進み出て来る武田勢をもみしだくように突きまくった。 「於蝶。まだいたのか」 「叔父さま。あれを……」  と、於蝶がゆびをあげて、 「あの小高い丘が武田本陣」 「まことか」 「信玄がおります」 「そ、そうか。ようもさぐりとったな」 「御屋形さまは、いずれに?」 「ここからは半里ほどはなれている。あのあたりじゃ」 「それでは、丘ひとつこえねば武田本陣へ近よれませぬが……」 「わかった。馬から下りろ」 「あい」  飛び降りた於蝶へ、 「早う去れ」  いい捨てた新田小兵衛は馬腹を蹴って丘を駆け下った。  現在の川中島盆地一帯は、すべて平坦に見え、いちめんの耕地となっているが、当時は丘もあり、森や林が複雑に入りこみ、むしろ荒地というべきであったろう。  小兵衛の馬が、別の丘を駆け上ろうとした。  この丘の向うの林の中に上杉謙信が待機している筈であった。  だ、だあん……。  銃声が鳴りひびいた。  武田信繁の別手、その鉄砲隊(といっても十名ほどだ)が、丘の下から突き進んで来る上杉勢へ撃ちかけたものだが……。 「あっ……」  丘をのぼりかけた新田小兵衛が、馬上から転落し、草の中へ倒れ伏した。  敵の弾丸が命中したのである。 「わあっ……」 「うお……」  あたりは、たちまちに両軍の血闘の場となる。  ここでも、たちまち上杉勢が敵をくずして尚も前方へ押しすすむ。  そのあと……。 「う、うう……」  うめきつつ、草の上へ半身を起した新田小兵衛の口から血の泡がふき出していた。  このとき、もしも下忍びの九市が偶然にあらわれなかったら、於蝶や小兵衛のはたらきも泡沫《ほうまつ》のものとなったにちがいない。 「あ……小兵衛さま」  駆け寄った九市が抱き起すと、 「お……よう来てくれた」  小兵衛は渾身のちからをふりしぼって、信玄本陣の所在を教えるや、 「これをさぐり出したは於蝶ぞ。よいか、頭領さまへ忘れずにつたえよ」  と、念を入れ、 「さ、早う謙信公へ……」  九市を突きはなすようにして、みずから草の中へ倒れこんだのが、新田小兵衛の最期《さいご》であった。  霧は、まったくはれあがっていた。  朝の陽の光りが、川中島盆地へ、さっと落ちかかった。  武田本陣からは、絶えず伝令が諸部隊へ飛び、必死に陣形のたてなおしをはかっているが、とてもその余裕はない。  上杉軍は、謙信の指令なぞ出てはおらぬ。  部将それぞれに手兵を思うままにうごかしている。 「目ざすところは、信玄本陣のみ!」  これであった。  刀槍のきらめきと軍馬のいななきと……血と喚声と……。  目もあてられぬ混戦の中を、上杉軍は三本の帯のようなかたちをとって、信玄本営をめがけて突きすすんで来る。  甲賀の九市から、新田小兵衛こと「井口伝兵衛」からの報告を雑木林の中で受けた上杉謙信は、 「して、井口伝兵衛はいかがした?」  ときいた。 「御案じなされますな」  宇佐美定行が、こたえたけれども、 「ふむ……」  するどい直感をもって、謙信がいった。 「伝兵衛は討死したか……」 「は……」 「よし」  決然と手綱をさばきつつ、 「伝兵衛の死をむだにすな!」  と、謙信が叫んだ。 「それがし、御先導つかまつる!」  甲賀九市が馬へ飛び乗り、林の中から駆け出して行く。 「よし、つづけい!」  謙信は、ちらと宇佐美定行へ一瞥《いちべつ》をくれるや、馬腹を蹴った。  これにつづいて三百の旗本隊と二十名の小姓組が刀槍をつらね、いっせいに林の中から飛び出して行く。  この奔流のような一隊に、まさか総大将の上杉謙信が入っていようとは思わなかった武田軍であるが、 「新手じゃ!」 「御本陣へ駆け向うと見ゆるぞ!」 「喰いとめい、喰いとめい!」  葦原の二方から猛然と数百の部隊が謙信・旗本隊へ襲いかかった。  岡本小平太は他の小姓たちと同様、馬に乗ってはいない。 「こどもたちは下らせよ」  と、少し前に謙信が、いたわりの言葉をかけてくれたものだが、この少年親衛隊はきくものではなかった。  岡本小平太にしても、しかりである。  小平太は、小田原攻めにも従軍していただけに、 「うぬ!」  いまや於蝶のことも忘れきってしまい、槍をふるって横合いから突き込んで来る武田勢を迎え撃った。  渦を巻くような乱戦となる。  この中を、三十騎ほどの屈強の戦士に護られた上杉謙信が突破して前面の丘へ駆けのぼりはじめた。 「あっ、上杉謙信……」  闘いつつ、はじめて武田勢が、このことに気づいた。  謙信と知った武田勢が、 「追え!」 「逃がすな!」  わめきつつ丘の裾へ押しつめるのを、上杉の旗本隊が、これも必死で横合いから割って入り、鬼神の群のごとく凄まじい反撃にうつる。  それでも十騎ほどが辛《かろ》うじて丘へ駆けのぼったが、 「それっ!」  謙信につきしたがううちの五騎ほどが振り返って、ふみとどまり、これをふせいだ。  いや、ふせぐというよりも、その反撃の猛烈さに、追いかける武田方十騎、たちまちに突き伏せられて転倒する。  信玄本陣では──。  武田太郎義信が、 「父上。私めも……」  と、父・信玄に出撃をせがんでいる。  そこへ、使番が走りこんで来て、 「典厩《てんきゆう》様、御討死あそばされました」  と、告げた。  典厩とは、信玄の弟・武田信繁をさす。  本陣内が、異様な緊迫につつまれた。  先ほどから、名ある部将たちの戦死が相次いでいる上、ついに武田信玄の弟として人望もあつく、すぐれた武将でもある典厩信繁までが討ちとられたというのだ。 「むう……」  信玄のくちびるから、かすかにうめきが発せられた。 「父上……」  太郎義信が、またも出撃を請うや、 「む。行け」  信玄がうなずいた。  戦闘の響音は、まるで四方から本陣を押しつつむようにひろがり、切迫しつつあった。 「ごめん!」  太郎義信が、本陣の幔幕から出て行き、自分の部隊へ駆け去って間もあく、急に、あたりがしずかになった。  上杉軍の烈しい攻撃が、中だるみのかたちとなったのであろう。 「御屋形様……」  軍師・山本勘助が立ちあがり、 「この、しずけさが再びやぶれるとき、敵勢は、この丘の下へあらわれましょう」  と、いった。 「うむ……」 「それがし、これより出張りまする」 「行くか……」 「はい」 「たのむ」  淡々たる決別であった。  山本勘助は死を決している。  この老軍師がひきいる一隊が、本営の丘の下へあらわれたとき、  わあ……わあっ……。  にらみ合いのかたちから、にわかに上杉勢が押しかかって来た。  空は、晴れわたっている。  その青く澄みきった秋空の下で、悲鳴と喚声と、太刀・槍の打ち合う凄惨な響《とよ》みは、いよいよ決戦が最後の段階へ入ったことをしめしていた。  上杉勢は本陣前方、十町ほどのところまで押しつめて来た。  上杉謙信が、旗本二十数騎と共に信玄本陣・前面の丘へあらわれたのは、このときであった。 「あれが、信玄本陣にござります」  甲賀の九市が、彼方を指し示した。 「うむ」  謙信が、うなずき、らんらんと両眼をかがやかせ、 「つづけ!」  猛然たる疾駆に移った。  これを囲むようにして騎乗の旗本たちが血ぬられた槍の穂先をつらね、一気に丘を駆け下った。  この丘と、信玄本陣の間にある草原へ、いま、武田太郎義信の部隊と、信玄旗本とが三段がまえに兵を配置し、草原の南方からなだれこまんとする上杉勢にそなえたところであったが、 「ああっ……」  思いもかけぬ西がわの丘から駆け下って来る一隊を見て、 「西へ、西へ!」 「早う迎え撃て!」  百余の兵が、あわてて繰り出して行った。  武田方では、まさか謙信自身が突撃して来ようとは思ってもみなかったが、それにしても大胆きわまる奇襲であった。  これと、ほとんど同時に丘のすそをまわった須田満親《すだみつちか》・山吉《やまよし》孫二郎の上杉勢約二百が、いっせいに鉄砲を撃ちかける。  武田勢の三段がまえのうち二段までが、これを迎え撃って死闘を開始した。その間隙を衝き、上杉謙信と旗本勢二十余騎が一丸となって草原を突切りはじめた。  これを喰いとめんとした武田勢百余と激突し、ぎしぎしともみ合った戦闘の渦の中から走りぬけた只《ただ》一騎が、 「あっ……」  と思う間もなく、信玄本営の低い丘へ駆けのぼった。  上杉謙信である。  このとき、武田信玄を護る者わずかに五人という。  恐るべき迅速さで、この本営内へ突撃して来た只一騎を、 「あっ、上杉……」  さすがに謙信とわかった五人が、槍をかまえて信玄の前へ出た。  信玄は床几にかけたまま、軍扇をにぎって身じろぎもせぬ。 「退けい!」  愛馬・放生月毛の手綱をさばきつつ、上杉謙信は長光の太刀をふりかぶり、 「曳《えい》!」  突き出される槍を打ちはらい、甲高《かんだか》い気合を発して五人の旗本をたちまちに蹂躪《じゆうりん》した。  血がしぶいた。  謙信の太刀に切り飛ばされた槍が宙に飛ぶ。 「晴信。覚悟!」  謙信は、約五間の距離を一気に肉薄して、馬上から初太刀を信玄の頭上へ打ちおろした。  武田信玄は、緋の法衣につつまれたふとやかな体躯をどっしりと床几にすえたまま、軍扇をかまえて、上杉謙信に相対した。  信玄にとっても、このような経験は、はじめてといってよい。  敵の総大将が只一騎で、わが本営へ飛びこんで来たのである。  立ち上って、信玄も太刀をぬきはらうべきであったろうか……。  いや、違う。  馬上からの攻撃にさそわれ、うかと躰をうごかせば却って討たれやすいのだ。  とっさの間にも、信玄はこのことをわきまえている。 「晴信!」  謙信が魔神のように馬をあやつり、叫びつつ、信玄の背後へまわりかけたが、思い返したように手綱を引きしめ、馬足をとめた。  うしろから斬りつけることを、いさぎよしとしなかったのであろう。  一瞬……。  両雄は凝《じつ》とにらみ合った。  永劫《えいごう》の時が、この一瞬に凝結したかのようであった。 「推参な!」  武田信玄が、ぴたりと軍扇を馬上の謙信へつけて叱咤《しつた》した。諏訪法性の兜につけた白毛が、ぴりりとそよぐ。 「うぬ!」  左手に手綱をひき、上杉謙信が長光の太刀をななめ横から打ちこんだ。  その、するどい刃風に、信玄の軍扇の上部が斬り飛ばされて宙に舞った。 「曳! 曳!」  縦横に馬を乗りまわしつつ、上杉謙信が閃々《せんせん》たる斬撃をおこなうのだが、あくまでも腰をあげぬ信玄には今ひとつのところで打ちこみがとどかぬ。  このようにのべていると、二人は相当の時間を闘ったかのように見えようが、そうではない。  謙信が信玄の眼前へあらわれてから、ものの三十を数えるほどの短い時間であった。 「御屋形!」  このとき、丘の下で謙信旗本と闘っていた原|大隅《おおすみ》が、三名の戦士と共に本陣内へ駆けこんで来、 「やあ!」  渾身のちからをこめて槍をくり出した。  謙信の馬が、信玄へおおいかぶさるばかりに竿立ちとなり、けたたましくいなないた。  原大隅の槍の穂先が、放生月毛の尻を突き刺したのである。  その馬の手綱を引きしぼった謙信の両眼が、おもてをつつんだ白絹の中から突出《とつしゆつ》したかのように屹《きつ》と原大隅をにらみつけた。  その鬼神のような眼力のすさまじさに、原はひるみかけたが、 「がっ!」  両眼をとじ、謙信の胸もとをねらい、槍を突き出した。  謙信が身をそらして、これをかわした。  原の槍は放生月毛のたてがみの下のあたりをななめに突き切った。  放生月毛が、かなしげにいななき、謙信を乗せたまま横ざまに走り出した。  こうなってはいかぬ。  狂奔する馬の背にゆられ、上杉謙信は本陣の丘から走り去ったのである。  夢魔のような一瞬であった。  丘のふもとから、味方の戦士が駆け上って来たとき、信玄は左手で顔をおさえていた。  指の間から血がしたたり落ちている。 「御屋形!」  一同、まっ青になったが、信玄は落ちつきはらっている。謙信の太刀の切先をひたいに受けたのだ。  先刻までの青空が、いつの間にか雨雲におおわれはじめた。  このとき……。  妻女山へまわった武田方別手の軍勢が、ようやく山を下って川中島へ駆けつけて来た。  妻女山へ到着すると、山には旗印が林立するのみで上杉軍は一兵も残っていない。  小柴見宮内だけは、 (うまく、間に合ってくれたな……)  思わず笑いがうかびかけたけれども、必死にこれを、かみころした。  そのうちに、川中島で戦闘がはじまった。  別手軍は、 「しまった!」  あわてて、山を下ったが、そこに待ちかまえていた上杉軍・残留部隊の抵抗にあって、おもうように全軍が山を下りきれぬ。  ようやく、これを排除しつつ千曲川をわたったが、丁度そのころは上杉謙信が甲賀の九市によって信玄本陣の所在を知ったときである。  すでに巳の刻(午前十時)に近い。  この武田軍の新手八千余が喚声をどよめかせつつ、上杉軍の背後から襲いかかったのでは、 「もはや、これまで」  と、上杉謙信もあきらめざるを得ない。  上杉軍は、早朝来の激戦で疲れきっている。  しかも兵力の三分ノ一を失ってしまっていた。  謙信は、宇佐美定行のいる遊軍へ駆けもどって来て、 「間一髪であったが……討ちもらした」  と、いった。  定行は、なぐさめる言葉もなかったが、 「信玄もさるものよ」  にっこり、謙信は笑って見せ、 「甘糟《あまかす》近江守に殿《しんがり》させ、兵を引きあげよ」  と、命じた。 「ははっ」  宇佐美定行は、すぐさま伝令を飛ばした。  肩すかしをくらわされた武田の別手勢は、その腹いせもあって猛烈な追撃をかけて来る。  今度は、上杉軍が苦戦となった。  上杉謙信は遊軍にまもられて、八幡原の北面を東へぬけ、川田村のあたりへ去ったのであるが……。  これに追いつくために上杉軍は、犀川の急流と武田軍の追撃にはさまれ、戦傷者続出となった。  小柴見宮内は、あくまでも武田軍の部将として、かたちだけの追撃にかかっていたが、この宮内の耳へ、 「どうやら、武田信玄公が御討死なされたようで」  との声が入ったものである。  武田信玄戦死の「うわさ」が、戦場の一部にながれたことは無理もなかった。  あの、目くるめくような急戦の反復のうちに、敵将・上杉謙信みずから手兵をひきいて本陣へ乱入し、これを蹂躪《じゆうりん》して駆け去ったのである。 「御屋形が討死をあそばされた……」  この声を小柴見宮内がきいたのは、彼が二百の手勢をひきいて、川中島の御厨《みくりや》とよぶ地点へ出たときだ。  宮内は、ほとんど一兵も損じていない。  彼方の平原では、退却する上杉軍を押しつつむかたちになって、新手の武田軍が追撃にかかっている。  別手勢を指揮していた高坂昌信は妻女山を下るや、まっしぐらに海津城へ引返し、ここに残っていた二百余の部隊へも、 「一兵のこらず城を出て、上杉勢を追え!」  と、命じた。  作戦の狂いに高坂は激怒していた。  それだけに武田軍の追撃は、只のかたちのみのものではない。  殿軍を命ぜられた上杉の部将・甘糟近江守は、 「丹波島の渡しにて喰いとめよ!」  味方への退路をひらきつつ、縦横に手兵をひきいて、襲いかかる武田勢へ割って入り、たくみにこれを阻止している。 「かくなれば……」  と、このさまをはるかにのぞみ見た小柴見宮内が、侍臣の竹内岩根に、 「かくなれば、上杉方へ与《くみ》せねばなるまい」  と、いった。  老臣の深沢万右衛門は、一昨夜、宮内自身が、 「いよいよ大戦さになる。そちは老体ゆえ居てもろうても仕方あるまいゆえ、城へもどって留守居せい」  といい、五名の家来をつけて小柴見城へ帰してしまった。むろん武田信玄の許可を得てのことである。  で……宮内は、妻女山から川中島へ駆け下り、信玄討死のうわさをきいてから侍臣の竹内岩根のみに、自分が上杉へ内応した秘密をもらしておいた。 「そ、そのようなことがござりましたのか……」  と、竹内はおどろいたが、いまとなっては、 「信玄公が討死とあれば、おもいきって上杉方へ内応されておいて、よろしゅうござりましたな」  なのである。  それだけに、これ以上、何も上杉の味方をすることはない、と竹内岩根はおもい、 「殿。あれだけの御手柄をたてたのでありますゆえ、謙信公へは、じゅうぶんの忠節をつくしたことになるのではございませぬか」  と、返答した。 「うむ……」  小柴見宮内は、うなずいた。  うなずいたが、しかし、 「見よ、手傷を負うた兵たちが犀川をわたれず、見す見す武田方の手にかかっているではないか」  どうしても、ここでもう一つ手柄をたてておきたいらしい。  武田信玄が死んだとあれば、信州は上杉謙信のものといってよい。 「なれど……」  竹内岩根は顔をしかめ、 「いまここで、武田方を裏切っては……」 「ばかな。いま戦えるか」 「では、なにをもって?」 「そち、七、八十名ほどをひきい、犀川をわたりかねている手傷の上杉方をたすけてこい」 「え……」 「なに、この乱戦のさ中じゃ。わかりはせぬ、わかりはせぬ」 「は……」  小柴見部隊はほとんど単独で、川中島の草原を林を、丘を駆けぬけつつあった。 「だ、大事ござりませぬかな?」 「あとは、わしが武田方へ残っておればよい。そちが旗じるしを捨てた兵をひきいて、はたらくぶんには決してわからぬ」 「なれど……」 「また、なれどか?」 「はあ……たとえ、それがしが駆けつけましても、上杉方が果して味方とおもうてくれましょうや?」 「見よ。丹波島の渡しの向うの岸に、軍師・宇佐美定行殿の手勢がとどまっておる。あの一文字の旗じるしこそ左様だ。そこへ、わしが使者をたてる。案ずるな」  小柴見宮内は馬をとめ、於蝶が返していった獅子彫りの刀の「目貫」を手早く取出し、 「大蔵、大蔵……」  と、叫んだ。  家来の松岡大蔵が馬を馳せて近よるのへ、目貫をわたした宮内が指令した。  大蔵も一瞬おどろいたが、 「行けい!」  宮内に怒鳴りつけられ、馬腹を蹴って一騎、丹波島の渡しを中心に渦巻く追撃戦を目ざして駆け去った。 「岩根も急げ」 「はっ」 「事終らば、上杉軍と共に引きあげよ。のち、事おさまった上で、わが城へもどれ」 「はい!」  こうなれば竹内岩根も仕方がなく、八十余騎をひきいて、松岡大蔵の後を追った。  残る士卒百二十名には、まだ内応の秘密を知らせず、 「つづけ!」  と、小柴見宮内は、わざと迂回しつつ、追撃の武田勢の後部へ加わった。  このことをあとできいて、老臣の深沢万右衛門が、 「なぜに、そのような、つまらぬ手柄をたてようとなされたのか。殿がもらした軍議のことのみで、じゅうぶんであったのに……さすれば武田方にも、われらの秘密はさとられなかったであろうに」  と、なげいたそうであるが、すでにおそかった。  小柴見宮内が武田勢のうしろへ加わって間もなく、武田信玄は討死したどころか、健在でいて、弟・信繁戦死のところへ出向いていることがわかった。 (しもうた!)  宮内は、くちびるを噛んだ。  このとき、早くも松岡大蔵は犀川をわたって宇佐美部隊へ駆けこんでいた。  松岡大蔵や、竹内岩根がひきいる兵たちがスムーズに犀川を渡れたのは当然である。  武田軍のうしろから出て行ったのであるから何の抵抗もなかった。  宇佐美定行は、松岡大蔵が差し出した獅子彫りの目貫を見るや、 「この上に尚、御味方下されるとか……」  感動の態であった。  定行はすぐに、 「あの武田勢の右手より、犀川へ飛びこんで来る一隊は味方ぞ、忘るるな!」  と、ただちに指令した。  犀川の急流を中心に敵も味方もわからぬほどの混戦、乱戦であった。  上杉軍の直江大和守《なおえやまとのかみ》も、殿軍の甘糟部隊をたすけ、獅子奮迅に武田勢を喰いとめている。  ところで……。  竹内岩根ひきいる八十余名なのだが、これが大働きをしたものである。  川の中に足をとられてもがく上杉の負傷兵を槍の柄につかまらせ、どしどしと対岸へ引きあげた。  川中島平の空は、ほとんど密雲におおわれ、沛然《はいぜん》と雨がたたいてきた。  おびただしい戦死者を河原へのこし、のこる上杉軍のほとんどが犀川をわたり切ったとき、すさまじい雨は雷鳴をさえともなって白くけむり、 「追え!」 「一兵ものがすな!」  武田勢も押しつめては来ても、急流の犀川を渡られてしまっては、どうにも手が出せない。  上杉軍は川を渡り終えるや、 「それ!」  弓隊が前面へ出て、川をわたりかけようとする武田勢へ、いっせいに射かける。  槍隊も穂先をつらねて待ちかまえるというわけで、この状況をきいた武田信玄は、 「もはや終った。引きあげさせよ」  ついに命を下した。  雨の幕の彼方に、武田軍が引き上げて行ったあと、負傷者三千を河原に残し、これを甘糟と直江の部隊がまもり、 「では、後をたのみましたぞ」  はじめて、宇佐美定行が手兵をしたがえ、上杉謙信の後を追って行った。  小柴見の救援隊は、重傷者約三百を小柴見城へ収容し、三日間の手当を加えてやったりしている。  竹内岩根は少し調子に乗りすぎたようだ。このことが安茂里の村人のうわさとなって、後に武田信玄の耳へもれきこえてしまうことになるのである。  この川中島の決戦で……。  上杉軍の戦死者三千五百余。  武田軍の戦死者四千ほど。  負傷者に至っては数えきれなかった。  史書に、 「……この合戦は卯の刻より辰の刻まで上杉の勝。辰の刻より巳の刻までは武田の勝」  と、記しているが、結局は上杉にとっても武田にとっても、結果は何の益もない�決戦�であったといえよう。  そればかりか両軍は、共に多大の犠牲をはらったのであった。  川中島決戦の夜……すでに雨はやんでいた。 (暗い……暗いなあ……)  その暗く、黒い闇の底に自分がいる、という意識が、夢の中をさまよっているような岡本小平太へよみがえってきた。  暗く、しかも白熱した闇だ。全身が燃えるように熱かった。  のどが、かわき切って、 (どこだ。ここは、どこだ……)  叫ぼうとするのだが、声も出ない。  春日山城の留守居をつとめている父の岡本長七郎や、四年前に病死した母の伊津の顔が、ちらちらと闇の中にうごいている。  上杉謙信の、いかめしげな顔も見える。  そうした人びとの顔が、わらわらとゆれうごいていて、やがて一つになった。  一つの顔に、なった。 「あ……井口蝶丸……」  声が出た……ような気がした。 「気づかれたな」  蝶丸の……いや、於蝶の声が、はっきりと、小平太の耳へ入った。 「おお……」  闇が、うすれた。  闇は闇であったが、その中に赤い炎がゆらめいている。  すぐ傍に、小さな焚火が燃えているのであった。  まぎれもなく、於蝶の両腕に抱きかかえられている自分を、小平太は知ったのである。 「ま、よかったこと」  於蝶が、竹筒の中の水を口にふくみ、これを口うつしに小平太へうつしのませてくれる。 「もっと、のませて……」 「いけませぬ」 「のみたい、のみたい」 「これだけ。いま少し、がまんをしなされ。かなり重い傷ゆえ……」 「う、うう……」  小平太が、うめき出した。  傷の痛みがよみがえってきたのである。  と、いうことは彼の生命力がよみがえってきたことになるわけだ。 「小平太どの。およばずながら、傷の手当はしておきましたぞえ。傷は全身七カ所、ふかきもあさきもあるが、まずは大丈夫。ふたたび春日山へもどれますよ」 「い、戦さは……御屋形さまは?」 「御屋形さまは、御ぶじですとも」 「よ、よかった……」 「小平太どのも死なずにいてくれて、よかったこと」 「おぬしが、たすけてくれたのか?」 「戦さが終ってのち、八幡原近くの草原の中に倒れている小平太どのを見つけたのですよ」 「そ、そうか」 「それにしても、よう、おはたらきになったこと。ほめてあげましょう」 「うん、うん」  手短かに、於蝶は決戦の始末を語ってきかせてやり、 「ここは、犀川口に近いところ。林の中で二人きりじゃ。気がつかれたからには、わたしが善光寺の城まで送ってあげましょう」 「送る……?」 「あい。わたしも小平太どのと別れるときがきたのじゃ」 「なぜだ?」 「なぜでも……」 「いやだ。いつまでも、おれと共に御屋形さまへつかえてくれ」 「わたしも、そうしたいのだけれど……」 「おぬしは、いったい、いずこの人なのだ?」 「わたしの素姓はきかぬという約束」 「なれど……」 「会うは別れのはじめという。親子の間にても、いつかは死によって互いに別れねばならぬが……それが人の世のことゆえ」 「蝶丸……」 「いつかまた、お目にかかることもあろう」 「まことか?」 「まことじゃ。そのときをたのしみにしていなされ。いまここで、小平太どのを可愛がってあげたいけれど、その体ではなあ……」 「か、かまわぬ」 「ま。ふ、ふふ……そのようなまねをしたら死んでしまいますぞえ」  このときの於蝶は、まだ、新田小兵衛の死を知らなかった。 (叔父さまのことゆえ、大丈夫じゃ)  むしろ、安心をしていた。  間もなく、於蝶は傷ついた小平太を背おい、闇の中を歩み出した。  岡本小平太は、いつの間にか血みどろになった武装を解かれ、下着の上から百姓着のようなものを着せられていた。  於蝶が甲賀の秘薬によって傷口の手当をおこなってくれたのである。  約一里半を歩き、於蝶は、小平太を善光寺まではこんだ。  途中、小柴見城の近くを通過したが、何か異常な緊張が、あたりにただよっている。  これは、上杉の負傷兵を小柴見方が城中へはこびこんでいたからだ。 (小柴見宮内どのは、まだ武田陣中にいるのであろうが……)  こうして勝敗がきめがたくなってしまった以上、小柴見宮内が作戦の秘密を自分にもらしたことを、武田信玄にさとられてはならぬ、と於蝶はおもった。 (知れる筈はない、大丈夫)  その点には、確信をもっていた。  まさか宮内が、信玄の戦死を信じてしまい、退却する上杉方を援助したなどとは考えても見なかった。  善光寺門前一帯にも、まだ上杉軍が武田軍にそなえて陣張りをしている。  その前哨線の近くまで来て、 「さ、小平太どの。この杖にすがって行きなされ」 「もう、別れか?」 「きっとまた会えよう。そのような気がする」  にっこりとし、於蝶は別れの口づけを小平太にあたえ、くるりと身を返すや、後もふりむかずに駆け去ってしまった。 (御屋形さまのお顔も、ひと目、見て行きたいのだけれど……)  それのみが、心のこりといってよい。  笠をかぶり、旅の女商人のような姿で、於蝶は犀川にそった山道を西へ走りつづけ、たちまちに飯森の部落へ達した。  ここに、甲賀の九市が待っていてくれ、 「残念にござる。新田小兵衛さま、討死なされまいた」  と、告げた。  於蝶は、凝然《ぎようぜん》と立ちつくすのみであった。 [#改ページ]  甲 賀 の 空  於蝶は、ふるような蝉の声につつまれ、夏萩の花の咲く墓地裏の草に躰を横たえていた。 (あれから、もう六年にもなる……)  すこし前に、彼女は堂山の斜面にある墓地の亡き父母の墓を清めに来たのである。  父母ばかりではない。  六年前、川中島決戦に「戦さ忍び」として出陣し、ついに討死をとげた新田小兵衛の墓にも、於蝶は山百合の花をそなえてきた。  この六年の間に……。  於蝶は、頭領杉谷信正の指令によって、さまざまな「忍びばたらき」をしてきている。  川中島決戦が終ってから、於蝶も九市も、甲賀・杉谷の忍びはすべて上杉家をはなれた。  上杉の軍師・宇佐美定行からは、 「ようぞ、はたらいてくれた」  と、杉谷信正へ莫大な報酬が、とどいたらしい。  あのときの決戦は、両軍とも多大の犠牲をはらった上、勝敗のけじめがつかぬという結果になってしまったが、 「小兵衛と於蝶のはたらきには、つくづくと頭が下り申した。ことに……ことに於蝶が御屋形の御命をすくいまいらせたことのみにても、自分は何といって、礼を申したらよいのか……」  誠意にみちみちた書状を密使に託して、宇佐美定行は杉谷信正へ言い送ってきている。 「宇佐美様は、まことに御立派な仁である」  と、数ある甲賀頭領の中でも、甲賀のむかしからの気質を受けつぎ、その忍びばたらきにも、おのれの信念が一すじ通っていないと、いくら莫大な報酬を出して「はたらいてくれぬか」と頼まれても、承知をしない杉谷信正であった。  それだけに、 「表にはあらわれぬが知る人ぞ知る軍師、宇佐美定行様に、これだけのほめ言葉をいただけたのは、わしも本望じゃ。そのためには……かけがえのない新田小兵衛という男を死なせてしもうたが、於蝶よ。女ながら、みごとなはたらきぶりであった。九市からもいろいろとつたえきいたが、お前が、それほどの忍び上手になっていたとは、わしも思わなんだぞ」  めずらしく、於蝶をほめてくれ、 「ほうびをとらそう」  と、いった。 「別に……」  於蝶は、くびをふった。  杉谷忍びである以上、頭領の杉谷家と生死を共にするのが当然だし、衣食の道に困ることもない。 「何も、いらぬ?」 「はい」 「では何か……女としての特別な、のぞみがあろう?」  杉谷信正は笑顔を見せつつ、於蝶の遠慮をときほぐそうとでもするように、やさしく、こういった。 「嫁に行きたくはないのか?」 「………」 「申せ。忍びばたらきをやめたいのなら、ゆるしてつかわそう」  杉谷忍びの市木平蔵が、於蝶に想いをかけていることを、杉谷信正は知っている。  平蔵は再三にわたり、 「於蝶どのを、私が嫁に……」  と、ねがい出ているし、そのたびに、 (わしが手の者には、女忍びが少い。いま於蝶に出て行かれては……)  信正は、わざと取り合わぬように自分を仕向けてきた。  夫婦となれば、どちらかが忍びをやめなくてはならぬ。それが杉谷忍びの掟《おきて》であった。  しかし女忍びに徹することは、なかなかむずかしい。そこは、やはり女の身であるから結婚にあこがれ母となる日を夢みて、挫折することもあるのだ。  これは杉谷忍びにかぎらず、他の甲賀頭領に属する女忍びたちが、諸国へ出て行って、突如、行方不明となることがある。  これは忍びばたらきに出た土地で、好きな男が出来、そのまま姿をくらましてしまうのだ。  むろん、これはゆるせぬ。  見つけ次第、その女忍びは斬首の刑を受けねばならない。  もっとも、頭領の許可があれば別のはなしで、だから杉谷信正は、川中島における於蝶の手柄のほうびとして、市木平蔵との結婚をゆるしてやろうと思いたったのである。 「どうだな、遠慮せずともよいのじゃ」  細く、やさしい声で頭領がすすめてくれるのへ、 「別に……」  また、於蝶がくびをふって見せた。 「平蔵が、きらいか?」 「好きでも、きらいでもござりませぬ」  市木平蔵の妻になるほどなら、善住房光雲の妻になりたい、と於蝶は思っている。  もっとも、善住房は頭領の実弟であるし、家来すじの於蝶を妻に迎えるわけにはゆかぬ。これも杉谷家の掟なのだ。  その上、善住房は僧籍にある身ゆえ、いくら於蝶がねがっても、むだなことだ。  善住房にしても、あれほど於蝶に恋いこがれているのだけれど、二人が夫婦となるのなら、掟にそむき、手に手をとって甲賀の目がとどかぬ他国へでも逃げるより道はない。  だから、善住房も於蝶も、このことについては、あきらめきっているし、 (まだまだ、わたしは忍びばたらきをしてみたい)  その気も、じゅうぶんにある於蝶なのだ。  杉谷信正は、於蝶に結婚の意志がないのを知って、よろこんだ。  以来、六年。  杉谷忍びは、あまり大きな仕事もしていなかったが、於蝶も三度ほど甲賀をはなれ、関東諸国へ出て行ったりした。  この間、市木平蔵は、まだあきらめずに於蝶を慕いつづけていたのである。  いま、於蝶は、頭領さまの姉・伊佐木《いさき》の住居に暮している。ねずみのおばばは、七十をこえてなお、元気にみちていた。  この伊佐木が、思いもかけぬことを於蝶に洩らしたのは昨夜のことであった。  六年前までは、叔父の新田小兵衛のもとから離れなかった彼女であるが、小兵衛が戦死してから、身寄りの者も、ほとんど絶えてしまった於蝶なのである。  昨夜「ねずみのおばば」の伊佐木がいうには、 「於蝶よ。そろそろ、はたらき甲斐のある忍びへ出られそうじゃぞ」 「ま……わたくしが?」 「うむ。このおばばもな」 「おばばさまも?」 「新田小兵衛も、すでに亡い。久しぶりに、ばばも外へ出て忍びばたらきをしてみたいわえ」 「それは、頭領さまから、何ぞ、お指図でも……」 「たれにもいうまいぞや」 「あい」 「実はな……昨日、頭領どのから談合があっての」  頭領杉谷信正は、伊佐木にとって弟なのだが、伊佐木はどこまでも杉谷家の女忍びの一人というこころをくずすことがなかった。  しかし杉谷信正は、大事あれば何をおいても姉の伊佐木に相談をする。  女忍びとして、嫁にも行かず、子も生まぬという鉄則をまもりつづけ、その豊富な体験と卓抜《たくばつ》した技術をもって、 「甲賀一の女忍び」  の折紙をつけられたほどの伊佐木であった。  その伊佐木と共に、今度の忍びばたらきに出るということは、同じ女忍びとして於蝶の血をわかせるに充分であった。 「まこと……そりゃ、まことでございますか?」 「まことじゃわえ」 「ま、うれしいこと」 「なれど……」  と、伊佐木の細い両眼が針のような光りをたたえ、 「なれど、こたびは命がけじゃ」 「あい」 「そなたは、川中島の大戦《おおいくさ》にはたらき、何度も決死のおもいをしたそうじゃが、……こたびは、もっともっと、むずかしい」 「どのような?」 「ある男をひとり、殺す……」 「たれを?」 「うむ……」  伊佐木は、ぬたりと笑い、 「ま、いま、きかぬでもよいわえ」 「おばばさま。それでは、ひどうございます。早くききとうございます」 「それよりもな……だれのために、その男を殺すのか、それを教えてあげようわえ」 「はい」 「そなたの、いちばん好きな男のためじゃぞえ」  伊佐木は、にっこりとして、 「そなたが一命を捨てても惜しゅうないと今も思いつめている男のために、はたらくのじゃ」  於蝶の顔面が紅潮してきた。  於蝶の脳裡を、上杉謙信の精悍《せいかん》な風貌がよぎっていった。 「そうじゃ。そなたが、いま想いうかべているお人のためにじゃ」  と、伊佐木がうなずいた。 「上杉謙信公のために、また杉谷忍びが、はたらくことになるらしいぞよ」 「まことでございますか?」 「いま少しで決まる」  昨夜のはなしは、そこまでであった。  夏萩が咲きみだれている草原に寝そべっていて於蝶の全身は火がついたようになってきはじめた。 (御屋形さまは……謙信公は、いま何をしておいでになるだろうか……?)  うっとりと、彼女は青く晴れわたった空をながめている。  六年前の川中島決戦において、双方の犠牲は大きく、しかも状態は以前のままといってよい。  武田信玄の軍師・山本勘助も戦死をとげたそうだ。  上杉方の軍師・宇佐美定行は、まだ健在だときいている。  だがどちらにせよ、信玄や謙信のような偉力をそなえた大将になると、軍師の活躍にも限度がある。  それでも武田信玄のほうは、軍師、幕僚たちの意見を徴することも多いらしいし、忍びをつかっての諜報網も完全無類といってよい。  ために、変転する天下の情勢にもくわしく、またそれだけに武田信玄は只一つの作戦も失敗しまいとする。  戦いとった国々へは、ただちに治政をほどこし、その国と人を自分のものに消化しきらぬうちは決して先へ進もうとはしない。  六年前の川中島では、そうした信玄が従来までの慎重な態度をかなぐり捨て、謙信へ正面からいどみかかった。  上杉謙信という強敵を討ち果して、自分の背後を安泰にしておかなくては、上洛の望みを果すことはならぬ。  それまでは、信州や関東を侵略しておいて、謙信が越後からはるばる出陣して来ると、すばやく姿をかくし、謙信が帰国すれば、たちまちにあらわれまたも侵略するという作戦をくり返し、上杉方の疲労を待っていたものだ。  それが、ついに大決戦へふみ切ったのは、信玄もようやく上洛への進軍にちからを入れる決意をかためたものと見てよい。  その大決戦が勝敗きまらぬとなって、以後はまた、以前の侵略作戦のくり返しとなったのである。  小田原の北条氏康と組んだ武田信玄は、関東侵略に主力をそそぎはじめた。  関東管領に任じている上杉謙信としては、これを黙認することはできぬ。  毎年、毎年。  謙信は越後と関東の間をいそがしく往来して、武田・北条の同盟軍を相手に奔命している。  於蝶は、こうした状態を耳にはさむたびに、 (御屋形さまは、関東など、ほうっておかれればよいのに……)  と、おもっていた。  関東管領の職などに責任をおぼえなくとも、 (一時も早く、京の都へ馳せのぼって天下をわがものとしてほしい)  なのである。  あまりに正直な上杉謙信の戦さぶりが歯がゆいのだ。 (きっと、宇佐美定行さまも、じりじりとなされていよう)  前に、亡き新田小兵衛と於蝶のいる前で、宇佐美定行は、 「信州や関東のさむらいたちが、いかに御屋形をたのみにしようとも、いちいち、これにかかわり合うていては天下をつかむことはならぬ。それよりも……」  それよりも、越後から日本海に沿って越中(富山県)加賀(石川県)などを平定し、これをしっかりと地がためしておいて、若狭へ入り、そこから一挙に京へ入るべきだというのが、宇佐美軍師の意見であった。  新田小兵衛も、 「まさに」  と、賛成をしたし、於蝶も同じようにおもわざるを得ない。  そうすれば、武田や北条の戦線が反対に遠くなり、今度は彼らがあわてだすにちがいないのだ。 (なれど……まことのことかしら?)  草いきれが香わしく、その夏草のにおいに酔いながら、 (おばばさまと共に、御屋形さまのために忍びばたらきをする……こんなに、うれしいことはない)  そうなれば、また宇佐美定行の指揮下に入るだろうし、 (小平太どのにも会える……)  あのときは、まだ少年だった岡本小平太も二十三歳の青年武士に成長している筈《はず》であった。 (小平太どの。もしも、お前さまが討死もせずに元気でいたら、また可愛ゆがってあげましょうな)  於蝶は、おもわず微笑しかけたが、急に顔の色を引きしめて、 (たれか来る……)  全身にそなえをかためた。  仰向いたまま、身じろぎもせぬ彼女を目ざし、音も声もなく忍び寄ってくるものがある。  草原の向うに木立が暗い口をあけている。  そのあたりから、こちらをうかがっている人の気配がただよっている。  しかも、尋常の者ではない。あきらかに忍びの者が於蝶を注視しているのである。 (また、おばばさまが、わたしの術をためそうとなされているのかしら……?)  ここは、甲賀の地であった。  めったに於蝶のいのちをねらう者はいない筈なのである。  木立の中から、人影が出た。  と……。  たちまち草の中へ沈み、蛇のようにくねりつつ、おそるべき速さで於蝶へせまって来た。 (たれか……?)  於蝶の足がまがりかけた。  地を蹴って躍り上ろうとしたその一瞬……。 「おれだ」  草の間に男の顔がのぞいた。 「あ……平蔵どのか」 「いかにも」  杉谷忍びの市木平蔵なのである。 「どうなされた?」  於蝶が半身を起しかけるのへ、平蔵が、 「起きるな、於蝶どの」  と、ささやいた。 「どうなされた? 平蔵どの」 「寝たままで、おれのはなしをきいてくれ、たのむ」 「よいとも」  二人とも、仰向いたまま草にうもれて……。  しばらく無言であった。  蝉の声が、草原をかこむ木立ちにみちている。 「於蝶どの」 「あい」 「おれのこころのうちを知っていような。頭領様からもお口ぞえがあったろう?」 「あい」 「夫婦になってくれ」 「では、わたしに忍びをやめよと申されるのかえ?」 「そうだ。夫婦忍びは杉谷家の掟にそむくことになる」 「それほどに、わたしが好き?」 「好きだ。好きで好きでたまらないのだ。於蝶どのがほしい。ほしゅうてたまらぬ」 「わたしの何が、ほしい?」 「こころも、躰も、何も彼も……」  平凡な顔だちの市木平蔵ではあるが、忍びの術は、 「相当なものじゃ」  と、いつか叔父の小兵衛からきいたことがある。  小柄で、背丈なども於蝶と同じほどだし、引きしまってはいても細い躰つきの市木平蔵に、於蝶は魅力を感じていない。 「お、おちょう……」  平蔵が腕をのばし、於蝶のまるい肩をつかんだ。  女ざかりになってきつつある於蝶の肩から腕へかけての、むっちりと肉のみちたなやましさに、市木平蔵は、かすかにあえぎはじめた。  忍びの者にも、恋情はある。  まして相手が自分にとって安全なものであるときは、常人と少しも変らぬ生理となってしまうのだ。 (平蔵どのともあろう人が、これほどまでにこころを乱している)  と、於蝶も感動をおぼえた。  平蔵の顔が、いつの間にか於蝶のそれへ近づき、腕がくびを巻きしめてきた。 「平蔵どの。忍び同士の不義も掟にそむくことになりますぞえ」 「かまわぬ」 「え……?」 「おれは……おれの�しるし�を、於蝶どのの躰に、はっきりつけてしまいたい。そうするよりほかに、もう道はない」  七年もの間、市木平蔵が、ひたすらに自分におもいをかけつづけてきていることを知らぬ於蝶ではない。 「おれは明日、忍びばたらきに発つ」 「ま、それは……」 「その前に、於蝶どののこころをたしかめておきたい。いや、おぬしがおれをきろうていることは……」 「別に、きらいではない。それとこれとは別のこと」 「では、なぜ、おれと夫婦に……」  あらあらしい呼吸を吐きつけつつ、市木平蔵が両腕に於蝶を抱きしめてしまった。  於蝶は、さからわぬ。  平蔵のくちびるが、自分のそれに押しつけられたときも、これをうけ入れたのである。  どれほどの時間《とき》が、ながれたろう……。  於蝶が、うす汗にしめった、おもい乳房を着物につつんだとき、市木平蔵の姿は、草の中を這《は》って遠ざかっていた。 「於蝶どのは、やはり、おれの思うていた通りの女だった……」  於蝶の躰からはなれたとき、平蔵はささやいた。 「これで、おれも心おきなく今度の忍びばたらきに出て行ける。帰って来たら、どうあっても、おれは夫婦になる。なってみせる。こ、こうして……たがいに、掟をやぶり躰と躰をよせ合うたからには、もはや、のがれぬところだ」  と念を押したのは、もしも、於蝶が、夫婦になるのを厭がったとき、いま二人が情をかわしたことを頭領・杉谷信正へ申したてる。そうなれば、 (二人とも、掟にそむいた罰をうけねばならぬ。そこをよく考え、今度の忍びから自分が帰って来たとき、いさぎよく忍びばたらきから身を引き自分の妻になってくれ)  と、平蔵は暗に、ほのめかしたのであった。  無言でいる於蝶に、平蔵は何度も、 「よいか……よいな、よいな……」  念を入れてから、傍をはなれて行ったのだ。  その市木平蔵が、木立の中へ走りこみ、走りぬけ、丘を下って行くのを、ひそかに見ていた者がいる。  その者は、林の中の、ひときわ高い杉の老木の幹に貼りついていたのである。  熟達した甲賀忍びである平蔵と於蝶すらも、その存在に少しも気づかなかったところをみると、夏萩に埋もれつつ、夢中の時をすごしていた二人のすべてを老杉の上から目撃していた�その者�は只者ではないといってよかろう。 「ああ……」  ためいきをもらし、身づくろいをした於蝶が草の上へ半身を起したときには、すでに�その者�の姿は杉の幹からも、木立の中からも消えていた。 (なぜ、あのようなことになってしまったのだろう……?)  於蝶は茫然としている。  はじめのうちは、市木平蔵を戯弄《ぎろう》するような、かるい気持で、いざとなれば逃げるつもりであったし、 (それでも平蔵どのが追いかけて来たら、平蔵どのと術くらべをしてもよい)  などと考えていたほどであった。  それが「あっ」という間もなく、平蔵の両腕に抱きしめられ、彼の愛撫に知らずにこたえてしまった於蝶なのだ。  平蔵の愛撫には、ひたむきなものがこもっていた。平蔵も忍びばたらきをするうち、いままでに何人もの諸国の女のからだを抱いてきているにちがいなかった。それでいて、先刻、於蝶にせまってきたときの平蔵には、少年のように激しい恋の炎が一途に燃えさかっていたのである。 (その平蔵どのの心にわたしは負けたのかしら……?)  そうかも知れぬ。 (けれども、困ったことに……)  於蝶は眉をひそめた。  頭領のゆるしを得て夫婦にもならぬのに、平蔵へ我身をゆるしたからには、たしかに、杉谷家の掟をやぶったことになる。そのために受ける罰というのは、いうまでもなく死罪で、これはたとえ、頭領の肉親であっても、まぬがれることはできない。そのきびしさがあってこそ、はじめて忍びの者の活動が�真のもの�となるのである。 (平蔵どのは、一命をかけて、わたしの躰へ印をつけていった……)  これであった。  たしかに平蔵は、いますぐに於蝶が忍びをやめて自分の妻にならぬときは、おのれも死罪をうける覚悟で、頭領へすべてを打ちあけてしまうであろう。 (のぞみが、かなえられぬとあれば、於蝶どのと共に死のう)  との決心が、ありありと見てとれる。  そうした必死の気魄《きはく》をもって迫ったからこそ、於蝶も負けてしまったのだ。  女として、それだけの恋情をしめされたことは一度もない於蝶なのである。  あの川中島決戦の前、夜の鳥坂《とつさか》峠の山林で、善住房光雲が於蝶への恋を打ちあけたときも……。 (善住房さまは、掟にそむくことをおそれて、ついに、わたしの躰へふれようともせずに逃げてしまわれたのだもの……わたしから、あれだけ抱いて下されと、たのんだのに……)  けれども、市木平蔵は掟をふみにじってまで、恋をとげようとしてくれた……。 (平蔵どのに、あのような、はげしいところが、ひそんでいようとは、ついぞ、思うてもみなんだ……)  困ったことにと考える一方では、何か胸の底から衝きあげてくる女のよろこびも感ぜずにはいられない。 (それほどまで、長い年月を、わたしにおもいをかけてくれたのか……)  それが、うれしい。  妻になる気はなかったが、もともと市木平蔵の技術を、 (りっぱな……)  と、思っていた於蝶であるし、別にきらいな男ではなかった。  それだけに、まるで夢魔が通りすぎたような愛撫を交し合った……その前と後では世の中が変ったようにさえ思える。 (いっそ、平蔵どのと夫婦になってしまおうかしら、……いまなら、頭領さまもゆるして下さるにちがいない。そうだ、今度の、おばばさまと共に忍びばたらきへ出る御指図がある前に、このことを申しあげなくてはならぬ。いったん、頭領さまからの命が下ってからでは、どうにもならなくなってしまうもの)  於蝶は立ちあがった。  こうなると、あれだけ思慕と尊敬の念をふかめていた上杉謙信のことなどは忘れてしまっている於蝶であった。  そこはやはり、世の女のだれもと同じことで、その場その場の現実次第で、相反する思考と行動を、わけもなくやってのけられる。すでに於蝶は市木平蔵に恋してしまっていたのか……。 「於蝶……於蝶よ」  どこかで於蝶を呼ぶ、しわがれた声がした。  於蝶を呼びに来たのは、杉谷屋敷・石垣塀の「隠し門」の番をしている杉谷源七であった。  頭領の一族で、この八十をこえた老人は、むかし「ねずみのおばば」と共に忍びばたらきをし、この二人の活躍は、天下の動きさえも変えたと、甲賀一帯でいわれるほどだが、いまは、どこから見ても爺そのもので、 「源七どのは老いぼれじゃわえ」  伊佐木が冷笑しているほどだ。 「おお、ここにか」  杉谷源七が木立の中からあらわれ、 「おばばさまが、呼んでじゃ」 「え……?」  いよいよ出動の命令が下ったのか……と、於蝶がぎくりとするのへ、 「なにを、おどろいたのじゃ?」  さすがに、するどく、源七老人は見やぶってしまった。 「別に……」 「忍びが、おどろくというのは、よほど……いまの於蝶には何やら秘密《ひめごと》があるらしいの。うふ、ふ、ふ……」 「知りませぬ」 「まあ、よいわえ。おばばさまがな、いま昼寝から目ざめてな、ちょと、お前に観音寺城の善住房さまへ御手紙をとどけてもらいたいそうな」 「まあ……」 「ほう……何やら安心した様子じゃな」  と、源七老人は於蝶の微細な表情のうごきをも決して見のがさぬ。  忍びばたらきしているときの於蝶なら、心のうごきが顔へ出ることなど全くないのだが、さすがに、いまは心気がみだれているらしい。 「いろうては、いや」  いいすてて、於蝶は源七老人の傍をすりぬけ、走り出した。  杉谷屋敷内の、伊佐木の住居へ戻ると、 「おお……墓まいりかや?」  ねずみのおばばが、まだ昼寝仕度のまま寝そべっていて、手紙を書き終えたところであった。 「善住房さまへ?」 「すまぬが使いをしてたもれ」 「はい」 「別に急がぬゆえ、ゆるりと、な……」  この様子では、出動命令も今日明日というわけでもないらしい。  於蝶は、この使いをすませてからでも、頭領・杉谷信正へ�引退�の申し出をするのはおそくないと考えた。 「では、行って参じまする」 「うむ、うむ……」  にこやかにうなずきつつ、於蝶を見やる伊佐木の面上には、この愛弟子《まなでし》へかける母のような、祖母のような愛情があたたかくあふれている。 (わたしが平蔵どのの妻になったら、おばばさまを哀しませることであろう)  しくりと胸がいたむ。  だが、杉谷屋敷を出たときの於蝶は全身に血をのぼらせ、こころよい興奮に身をゆだねていた。 「はね橋」のところへ、市木平蔵が出て来て、於蝶を見送ってくれたのである。  あの平凡そのもののようにおもっていた平蔵の顔貌に、かがやくほどの男の美しさを感じた於蝶なのだ。  平蔵は「おれも今夜、発足することになった」と、於蝶にささやいた。 [#改ページ]  転  変  観音寺城は、近江平野のほぼ中央にあって、琵琶湖を北にのぞみ、東山道を扼した軍事・経済の要衝である。  いまの東海道本線・安土《あづち》駅の東方半里のところに見える小高い山のつらなりが海抜四百三十メートル余の観音寺山だ。  この山を城主・佐々木氏の名をとって、沙々貴《ささき》山ともよぶ。  現在も、当時の城跡が、石垣や深い濠の跡によってわずかに残されている。  観音寺山頂に立つと、北西の方に、安土の山が、一箇独立したかたちにのぞまれる。  この安土山に、織田信長が、あの有名な安土城をかまえることになるのだが、それにはまだ約十年を待たねばならぬ。  於蝶は、この日の夜に入って観音寺城へ到着した。  甲賀杉谷の里から蒲生《がもう》郡の山道を走りぬけて約十里余。於蝶の足ならば、ゆるりと走っても二刻(四時間)ほどであった。  近江の国の名家である佐々木氏が六角氏と京極氏の二つにわかれ、六角氏の佐々木義賢が、鎌倉のころより近江国の守護に任じ、観音寺山へ本拠をかまえるようになったことは、すでにのべた。  これより、佐々木義賢を六角義賢《ろつかくよしかた》と、よぶことにしたい。  六角氏と甲賀との関係は、古く深い。  六角氏が守護となって、近江のさむらい・土豪たちをおさめるようになってから、南北朝対立の戦乱の世にも、六角氏は甲賀武士の忍びの術を巧妙に利用してきた。  長享元年といえば、於蝶が生きているいまより八十年も前のことであるが……。  ときの足利九代将軍・義尚《よしひさ》が、足利将軍に反抗した六角高頼を討つべく、みずから兵をひきいて近江へ押し出して来たことがある。  このとき、六角高頼は甲賀武士をあやつり、将軍の本陣へ夜討ちをかけて火を放ち、将軍・義尚は重傷を負い、ついに陣没してしまった。  その後、十代将軍・義稙《よしたね》も六角高頼を攻めたが、このとき、甲賀武士たちは高頼を甲賀の山中へ隠し、これをまもりぬいたものである。  そのころは、甲賀の忍びのほとんどが、六角氏のためにはたらいていたと言ってよい。  だが、いまの甲賀のうごきは次第に複雑微妙なものに変りつつあった。  足利将軍のちからがおとろえ、諸国の群雄競って戦い合い、天下に君臨せんとしている。 (もはや、観音寺さま(六角氏)を頼んでいても無駄であろう)  と、見切りをつけてしまい、独自の考え方によって忍びばたらきをするようになった甲賀頭領たちが多い。  その中にあって、杉谷信正だけは、 (われらが主家は、観音寺様のみ!)  と、忠誠を誓っている。  これを、 「古くさい。馬鹿正直なことよ」  と、笑っている甲賀頭領も、かなりいるのだ。 (杉谷の頭領さまと、上杉謙信公とは、よく似ておられる)  とき折、ふっと……於蝶はそう思う。  杉谷信正が、あくまでも、むかしからの主家である六角氏のために、忍びばたらきする頑固さは、古くさいとか馬鹿正直だなどということを、通りこえてしまっているようだ。  この年──永禄十年の正月元旦。杉谷信正は、屋敷内にいた配下の忍びたち十七名をあつめ、こういった。 「みなもよう承知のことであろうが……戦乱の世は、まさに容易ならぬものとなってまいった。はるかに遠き奥州や九州の地にある大名、武士たちはともあれ、いまや京の都をのぞみ、天下人《てんかびと》たらんとする勇将たちは、上杉、武田、織田、斎藤、さらに中国の毛利など、われらが十の指を折って見るまでもあるまい。諸国の小さな争乱が、烈しくくり返されてゆくうち、ついに大きなちからを持つ戦国の大名たち何人かの争いに、的はしぼられてきたようじゃ」  こういって、頭領は一同をゆったりと見まわし、 「われら杉谷忍びは、古くより観音寺様に、つかえてきている。このことについては、おぬしたちにも、いろいろと意見もあろうかと思う。いまの六角家には往昔のちからはなく、むろん観音寺様が天下を押えきろうとは、わしも思うてはおらぬ」  杉谷信正は、きっぱりと、こう言いきった。  意外なことではないのだが、頭領自身が、こうも明確に、 (自分が味方をしている六角家では天下がとれぬ)  と、配下の者に言いきったというのは異例とすべきであろう。  杉谷信正は、さらに、自分はこれからも六角家と命運を共にする決心を変えぬといい、 「なぜならば……」  いつもの細く女のようにやさしげな声が、凜然とした調子に変って、一本眉の異相を緊張させ、 「なぜならば、いまの観音寺様は、足利将軍家の管領《かんれい》職として、天下の政事をとるべき地位についておられる」  と、いった。  なるほど、管領職は足利幕府の政治主宰職であり、将軍補佐の役目をつとめるわけだが、かんじんの将軍が、都にも落ちついていられない現状では、名のみの役職といってよい。  二年前の永禄八年……足利十三代将軍・義輝は、家臣の大名達の争乱に巻きこまれ、ようやくに新築成った京都の居館を松永久秀、三好|義継《よしつぐ》らに襲撃され、ついに討死をとげてしまった。  このとき、将軍・義輝は、かの塚原|卜伝《ぼくでん》に奥儀《おうぎ》をゆるされた剣をふるい、縦横に賊兵とたたかい、奮戦の後に倒れた。 「応仁記」に……。 「……公方《くぼう》(将軍)は数多《あまた》の名刀をぬき置かれ、取りかえ取りかえ、切って出させたまいける。公方の御手にかけて切り伏せたまうもの数を知らねば、敵、恐れて近づくものなし」  と、ある。  まさに剛勇無双の将軍と、いうべきであろう。  この足利義輝は、父・義晴の後をつぎ、十三代足利将軍の座についたのはよいが、父と共に若いころから流寓《るぐう》の生活をつづけ、父が義輝の母と結婚をしたのは、近江の山寺へひそみかくれていたときのことだったという。  杉谷屋敷の者が、 「観音寺さま」  とよぶ六角義賢は、 「義輝公なれば、みごと足利将軍として世をおさめられよう」  と、見込みをつけた。  以後、六角義賢は若き将軍をたすけ、いまは戦国大名の傀儡《かいらい》となり果てた将軍位の復活をのぞみ、京都一帯の実権をにぎっている三好、畠山《はたけやま》などの大名たちを相手に回して活躍をはじめた。  義輝が久しぶりに京都へもどり、新邸をいとなむことを得たのも、六角義賢の助力があったからだ。  義輝は、 「たのみにおもうぞ」  といい、六角義賢を管領職につけてくれたが、実力のない将軍がつけてくれた役目であるから効力は無い。  それでも、 「世をおさむるは義輝公以外になし」  と、六角義賢は観音寺の城の防備をかため、先ず実力をつけてから将軍の後楯ともなって……と、思っていたところへ、将軍討死の報をきいた。 「もはや、生きてある甲斐が無くなった……」  と、六角義賢は悲嘆のあまり、あたまをまるめて隠居をし、家を子の義治《よしはる》へ、ゆずりわたしてしまったほどなのである。  以来、二年を経たいまでも、足利将軍の座は空席になっている始末であった。 「たとえ名のみの管領職であっても……」  と、杉谷信正はいう。 「六角の殿は、将軍をたすけて世をおさむる御人でおわした。ともあれ、天下がおさまればよい。戦乱が絶えればよい。四方をきょろきょろと見まわし、どちらへ味方すれば益するか、なぞと考え、甲賀の頭領たちの中には敵味方となって争い合うている大名たちの双方へ、忍びを出している者もあるときく。どちらが勝っても負けても、おのれの利益を得ようという……そうしたこころ、考え方が甲賀忍びにも入って来たのじゃ。なれど、わしはやらぬ。ただ一すじの道をつらぬき通すことの心の安らかさよ。たとえ、やぶれてもよい、死んでもよい。心やましく気をつかい、あくせくと生きてあるよりは、な……人はみな、いずれは死ぬものゆえ、わしは甲賀名残りの道を一すじに歩んで行こうとおもう。いまここに、わしの仕様が不本意な者は遠慮なく申し出てよい。怒りはせぬ、とがめはせぬ。いまこのときのみの機《おり》じゃ。名乗り出た者はこころよく、わしの下から去ってよい」  この杉谷信正のことばに、名乗り出た者は一人もいなかった。  杉谷忍びのすべては、頭領と共に六角家へ味方することが、ここに再確認されたのである。  杉谷信正も上杉謙信も、損を承知の上で苦労の多い道をえらぼうというのだ。 (ふ、ふふ……よう似ておいでだこと)  観音寺城の番所をいくつも通りぬけつつ、於蝶はくすりと笑った。  六角家から杉谷信正へ特別にゆるした門鑑を番所へ出すと、 「お通りなされい」  番卒がていねいに礼をして於蝶を通してくれる。  荒々しい他の戦国大名の家来たちとちがい、六角家はさすがに名家であって、 (下々の家来たちまで礼儀正しいことじゃ)  於蝶は、いつも感心をさせられる。  山裾の城下町には、明るく灯がともっていた。  観音正寺、桑実寺《くわのみじ》の両寺を擁した城郭は、複雑な地形をなした山峰を巧みに利用して構築されている。  山中には家臣たちの屋敷が構えられてい、本城の大門をくぐり、右手へ少しのぼったところに善住房光雲の居宅があった。  杉木立にかこまれた奥の小さな居宅に、善住房は一人で暮してい、六角義賢の住む本丸の居館へ、ほとんど毎日のように出仕して、話相手をつとめているのだという。  隠居したとはいえ、六角義賢の実権の下に観音寺城は呼吸している。  折よく、善住房はいた。 「おう、於蝶か」  にやにやと、炉を切った居間へまねき入れて、 「お前、また、腰のあたりの肉置《ししおき》がゆたかになったのう。よだれが出そうじゃ」  などと、相変らず、みだらな冗談をいい出すのだ。  於蝶は取合わぬ。  この、あぶらぎって四十をこえた善住房光雲が、まだ童貞で、しかも少年のように於蝶への愛を吐露したことを忘れるものではない。  それだけに、於蝶が無言で微笑していると、善住房も照れくさくなってくるのであろう。 「いやはや……あの折、鳥坂峠で、お前にはとんだことを打ちあけてしもうたわい」  あたまをかきかき、伊佐木からの手紙を受けて読みはじめた。  頭領の弟にあたる善住房光雲にとって、伊佐木は実の姉というわけだ。 「よし。わかった」  読み終えて善住房が、 「わしゃ、ちょと殿さまへ御目通りをしてくる。お前、今夜はここに泊れ」 「あい」 「腹がすいたろう。この鍋の中に汁が煮えておるぞよ」 「いただきまする」 「返事を持って行ってもらわねばならぬゆえ、明朝帰れ」 「はい」  そのころ……。  市木平蔵は、井ノ口城下へ忍びばたらきに出るため、甲賀の杉谷屋敷を出発している。  甲賀の里を闇にとけて走る平蔵は、自分の後を風のように追って来る人影に全く気づいてはいなかった。  頭領・杉谷信正が、市木平蔵にあたえた任務は、 「井ノ口城下の様子をさぐり、次いで、尾張の織田信長のうごきを見て来るように」  と、いうものであった。  これは、信正自身が、今後の「忍びばたらき」の参考にするため命じたものである。  井ノ口とは、現在の岐阜市のことだ。  ここに、いまも稲葉山の城跡がのこっていて、町と平野と長良川を睥睨《へいげい》している。  当時、この城の主は、斎藤|竜興《たつおき》であった。  竜興の祖父が、斎藤|道三《どうさん》で、彼は油売りの行商人から身をおこし、ついに稲葉山城主となって美濃の国に君臨する戦国大名にのし上った豪傑である。  道三は、わがむすめを織田信長に嫁がせていたから、信長とは聟《むこ》・舅《しゆうと》の間柄であった。  桶狭間に今川義元を討って以来、織田信長の進出ぶりは目ざましかった。  義父の斎藤道三は、わが子の義竜《よしたつ》と不和になり、父子の争闘がすさまじくつづけられた。  義竜は実の子でなく、土岐頼芸《ときよりなり》の子を養子にしたのだともいわれている。  織田信長も、むろん義父・道三をたすけて義竜と戦ったわけだが……。  そのうちに、道三が義竜に攻め殺されてしまったのである。  このときから、信長と義竜は反目するに至った。  信長にしてみれば、 (義父のかたきを討つ!)  という名目が立派にたつことだし、今川義元を討ってからは、 (なんとしても、井ノ口をわがものにせねばならぬ)  信長は、中央進出の意欲にもえてきている。  そのうちに、斎藤義竜が死んでしまい、その子の竜興が家をつぎ、稲葉山城主となった。  竜興は、まだ若い。若すぎる。  その上、凡庸な性格であったから、斎藤家は重臣たちによって運営されてきた。 「美濃の三人衆」なぞといわれる家臣たちが力づよく少年城主をまもって、織田信長に対抗している。  信長は、すでに清洲から小牧山へ本城をうつしていた。 (なんとしても井ノ口を……)  と、たびたび兵を出すのだが、稲葉山の堅城はゆるがぬ。  そこで……。  信長は、井ノ口のまわりにいる斎藤方の部将を次々に手なずけたり、打ち倒したりして、斎藤方の勢力を殺《そ》いできたのだが、ついに墨俣《すのまた》へ急遽《きゆうきよ》進出をし、ここに砦をきずいてしまった。  墨俣は、稲葉山城の南、およそ二里半の近距離にあって、ここが井ノ口攻略の前線基地となったわけである。  これが、去年の初夏のことだ。  今年に入ってからも、織田信長の動静には予断をゆるさぬものがある。  着々と美濃を侵略しつつ、一方では、徳川家康の長子・信康へ自分のむすめ徳姫を嫁がせたり、武田信玄のむすめを、 「わが子の信忠の妻にいただきたい」  と、申し入れたりして、その外交政策もなかなかのものだ。  上杉謙信に対しても、 「ごきげんはいかが?」  などと、ぬけ目もない世辞をつかっては贈物をとどけたりしているらしい。 (これからの世のうごきから、織田信長を外すことはできない)  と、杉谷信正は思いはじめている。  もしも、信長が井ノ口の斎藤竜興を討ちほろぼしたなら、 (美濃から近江へ……かならずや信長は歩を進めてこよう)  このことであった。  信長が近江へ進出して来るとなれば、いやでも「観音寺様」の六角義賢と対決せねばなるまい。  ここ数年……。  杉谷忍びも、どちらかといえば小さな仕事ばかりで暇なことがあったが、そろそろ六角家のために、 「われらが命がけで、はたらくときが近づいている」  と、忍びたちもささやき合っていたものである。  市木平蔵は、およそ、こうした杉谷忍びの活躍の前ぶれともいうべき探索に出て行ったといえよう。  平蔵も、少し前に於蝶が走りぬけて行った甲賀の山道を通って行った。  そのころ、観音寺城では……。  六角義賢に目通りをし、何事か打ち合せをすました善住房光雲が、わが住居へ戻って来ている。 「早うございましたな」  と、於蝶。 「うむ、うむ」 「お酒があたためてありますけれど……」 「うむ、うむ」 「どうなさいました? お目のいろが、かがやいて見えますけれど……」 「於蝶よ」 「あい」 「久しぶりで、また、お前と一緒に忍びばたらきが出来そうじゃよ」 「ま……おばばさまもそのように……」 「穴虫さまも外へ出て、はたらきなさるとな?」 「あい」 「於蝶よ。ようきけ。観音寺様はな、上杉謙信公と手をむすぼうと決心なされたぞよ」 「え……そりゃ、まことのことでございますか?」 「どうじゃ、うれしかろう?」  いうまでもなかった。  於蝶は、市木平蔵との約束も忘れたかのように、全身へ�忍びの血�がわきたつのをおぼえた。  そのころ……。  下田の部落をすぎた山道で、 (や……?)  市木平蔵が突然、足をとめた。  山道の左側の木立の闇から、すさまじい殺気が自分にそそがれているのを感じたからである。  平蔵は、幅一間の山道に身をかがめ、呼吸を消した。  と……。  闇の中の殺気も、じわりとゆるむ。  呼吸を消すということは、息をととのえておのれの気配も体臭までも消してしまう一種の「整息術」であるから、当然、肉体の苦痛に耐えねばならない。  いかに、すぐれた忍びといえども、このままの姿勢で長時間をすごすことはならぬ。 (なにものか……?)  微風のように山道を這いすすみつつ、市木平蔵が、 (これまでだ!)  襲いかかる敵に対して迎え撃つ決意をかためて、息を吐き、立ち上るのと同時に、 「む!」  と一声。うなり声のような気合いが頭上へ……。  転瞬、得体《えたい》の知れぬ影が平蔵の頭上を飛びこえつつ、すさまじい刃風を送りこんで来た。 「あっ……」  おもわず平蔵は声を発し、辛うじて敵の一刀をかわしたが、 (恐るべきやつ……)  いささか狼狽をした。  こちらが呼吸を消したとき、敵の殺気も途端にゆるんだ。  というのは、敵も平蔵の所在がつかめなくなったことになる……。  そう平蔵は、思いこんでいたのだ。  ところが敵は、そう思いこませておいて、尚《なお》も闘志と殺気を平蔵にさとられず、的確に暗闇の中で平蔵を追って来ていたのである。  これは、只者ではない。  杉谷忍びの中でも、市木平蔵については、 「ようやくに、すべてを託せるほどの忍びになってくれたわい」  と、頭領・杉谷信正が近ごろは口にのぼせるほどになっただけ、彼の忍びの術は高度なものに達してきている。  その平蔵を層倍も上回る敵の襲撃なのであった。  平蔵のくびをねらって、宙を飛びつつなぎはらった初太刀をかわされるや、またも敵は山道の右側の木立へ躍りこんだまま気配を絶った。 (うぬ!)  平蔵は、黒い影が落ちこんだ木立の闇へ、つづけざまに飛苦無を投げ撃ちつつ、左手に脇差をぬきはらい、一気に約十間を走った。  追いかけて来ないのだ、敵は……。 (おのれ!)  子供あつかいにされているとおもい、平蔵は苛だち、つい冷静さを欠いた。 「出て来い!」  たまりかねて、平蔵は叫んだ。  答えはなかった。  深沈たる闇の中でも忍びの眼は見えるが、だからといって昼間の光りの中で物を見るのと同様というわけにはゆかぬ。  その限界をたくみに知っている敵の老熟さは、平蔵におのれの顔かたちも、的確につかませてはいない。  市木平蔵は、いま自分が相対している恐るべき敵が、 (伊賀の忍びか?……それとも?)  見当がつかぬ。  前方に、夜の闇がたれこめた山道が無限につづいているようにおもわれた。 「ひ、ひきょうな……」  平蔵は、わめいた。 「名乗れ、出てこい!」  またも、わめく。とても、ひとかどの忍びがする所業ではない。  このことを見ただけでも、襲いかかった敵の威圧に、平蔵が、いかに押しひしがれていたかがわかる。  段違いというか、まるで格違いの相手なのである。  ついに、平蔵は負けた。  逃げる決意をかためたのである。  必死に呼吸をととのえ、全身の神経を四方の闇へくばりつつ、慎重に歩をうつし身がまえをした。  左手の脇差を右手につかみ直し、空になった左手で三箇の�飛苦無�をにぎった。  敵の所在を、平蔵はまだつかめぬ。  と……。  沈黙を破って平蔵が走り出した。  襲いかかるであろう敵にそなえ、脇差と�飛苦無�をもって応戦のかまえをくずさず、突風のように平蔵は走った。  さすがに速い。  両脇の山肌が低くなり、ひろがりはじめた。  平野が近い。 (追っては来ぬ……?)  走りつつ、市木平蔵は感得をした。  平蔵は、ひとりで歯を喰いしばり狂人のように駆けていたにすぎない。  前方に、山ノ上の部落の灯が、わずかにのぞまれた。  平蔵は急激に足をとめ、身をかがめて、あたりの気配をうかがった。  何事もない。  だが、油断はならぬ。  なにか得体の知れぬ虚脱を、平蔵はおぼえた。 (いったい何のために……おれを、いろうた奴は何者なのだ?)  ばかにされている、としか思えぬ。  だからといって、いつまでも、この山道にとどまっている理由もない。  腰を上げ、市木平蔵がくるりと前方へ向き直った瞬間であった。  びゅっ……。  闇を切りさいて飛来したものが、平蔵の胸板へ音をたてて突き刺さったのである。 「ぎゃっ……」  その衝撃の強烈さに、平蔵は悲鳴をあげてのけぞってしまった。  長さ二尺にもおよぶ鉄製の銛《もり》のような投げ武器を胸に撃ちこまれたのである。  この一撃で、平蔵の戦闘力はほとんど消滅したといってよいが、それでも、 「う、うう……」  うめきつつ、地に片ひざをたて、平蔵は懸命に銛のようなそれをおのれの胸板から抜きとろうとしたが……。  敵は猛然と闇を割って出るや、走り寄って、物もいわずに必殺の一刀をもって市木平蔵の脳天へ斬りつけたものだ。  これが、市木平蔵の最期であった。ときに平蔵は三十歳。  市木平蔵を斃《たお》した敵は、平蔵の息絶えたのをたしかめるや、すぐさま彼の胸板から�投げ武器�を引きぬいた。  すると……。  平蔵が走りぬけて来た山道の彼方から別の黒い影が、にじみ出すように浮いて出た。この影こそ平蔵をはじめに襲った敵と見てよいだろう。  この影に、平蔵はおびやかされた。  この影は平蔵をおびやかしておいて、老獪《ろうかい》に彼の神経を惑乱させ、別の味方を平蔵の前面に配置しておいたのであった。  二つの黒い影は、うなずき合った。  二つの黒い影が市木平蔵の死体を抱き上げ、木立の中へ隠れた。  翌朝になって……。  観音寺城を出た於蝶が、この山道へさしかかったときには、昨夜、平蔵がながしたおびただしい血痕にも土がかけられていたのである。  そのような惨劇があったことなどは夢にもおもわぬ於蝶が、甲賀へ入り、杉谷屋敷へ戻ると、 「ごくろうじゃったの」  伊佐木は、すぐに善住房光雲からの返書を読み、 「む、これでよい」  ちからづよく、うなずいた。 「おばばさま?」 「なにかや?」 「善住房さまが申しておられましたけれど……観音寺さまと上杉の御屋形さまとが手をむすび合うて……」  いいかける於蝶の声を「ねずみのおばば」のするどい舌うちがさえぎった。 「ばかな、ばかな!」 「おばばさま」 「与次郎は……」  と、伊佐木は末弟である善住房の幼名をよんで、 「与次郎は、お前におもいをかけているものじゃから、そのようなことを、つい、かるがるしく口走ってしまうのじゃ」  一気に、ずばりといった。  於蝶は青ざめた。  善住房光雲の胸底にひそむ自分への恋の火を知っているのは�わたしだけ�と思いこんでいた於蝶だけに、 (もしや善住房さまは、おばばさまに打ちあけてしもうたのではないか?)  とさえ、おもったのであるが、 「案ずるなや」  伊佐木は、やさしい口調になって、 「二人が掟をやぶっておらぬことは、よう承知しているぞや」 「はい……」 「観音寺の城で耳にしたこと、たれにも洩らすまいぞや」 「心得ております」 「ま、ゆるりと休んでいなされ。ばばは頭領どののところへ、ちょっと行ってまいる」  伊佐木は、母屋へ杉谷信正をたずねて行った。なかなか戻っては来ない。  夕暮れになり、於蝶が夕餉の仕度にかかっているところへ、ひょいと�隠し門番�の杉谷源七老人が顔を見せ、 「市木平蔵は昨夜、井ノ口へ発ったぞよ」  と、にこやかに声をかけてくれた。この老人も亡き新田小兵衛同様、平蔵の於蝶への思慕を知っていたようである。  源七老人にいわれて、於蝶も、市木平蔵のことを、 (そうだ。わたしは平蔵どのに身をゆるしてしもうたのだ……)  だからといって、於蝶は処女ではない。  いままでの忍びばたらきの間に、何度も男の肌を知っているし、川中島決戦の岡本小平太もその一人であるように、香わしい女体は女忍びの立派な武器といってよいのだ。  しかし……。  夫婦のゆるしを得ぬうちに、同じ杉谷屋敷の忍び同士が肉体的にむすばれたという事実に対しては、於蝶もおろそかに捨て置くわけにはゆかないのである。 (わたしも、平蔵どのも、杉谷の掟をやぶってしもうた……)  なのである。  井ノ口へ忍びばたらきに出た市木平蔵が何時、帰って来るか知れぬが、遠国ではないだけに、頭領・杉谷信正へ報告をし、さらに新しい指令を受けるため、たびたび甲賀へ戻って来るものと見てよい。 (そうだ、それまでに頭領さまのおゆるしを得ておかねば……)  気がつくと杉谷源七の姿は消えてい、いつの間にか�ねずみのおばば�の伊佐木が居宅の中へ戻って来ている。  屋内にいた鼠どもが、いっせいに鳴声をあげ、伊佐木の肩やひざに飛びつき、甘えはじめた。 「於蝶。なにをしていやる?」  伊佐木が、こちらを凝視しつつ、きいた。  いつもの、にこやかな眼のいろではなかった。  無表情な灰色がかった眸に光りが凝っている。おそろしい忍びの眼であった。  於蝶にしても、このような伊佐木の眼の色を見たことがない。こちらの胸の底の何も彼も見通してしまったかのようなおばばの双眸なのだ。  於蝶は身ぶるいをした。 「なにを、考えていやる?」 「いえ……別に……」 「さ、夕餉の仕度をつづけたがよい」 「あい」  晩夏の夕闇が、濃くたちこめてきはじめた。  山の斜面にかまえられたこの杉谷屋敷は、下男・下女をふくめ、さらに忍びたちの家族が住む家を包含しているのだが、子供の声ひとつきこえぬ静寂さが、いつも保たれている。  この静かさこそ、外部から侵入する者をふせぐための最もすぐれた�そなえ�であるといってよかろう。  膳の仕度をととのえ、於蝶が部屋へ戻ったとき、伊佐木は手製の蚊いぶしを火にくべつつ、 「うまそうな汁の匂いよの」  愛弟子をいつくしむ、やさしい声になっている。  於蝶は、ほっとした。  ねずみどもも、食事の仕度をしてもらい、十匹ほどが土間へむらがり、いくつもの皿にむしゃぶりついている。  夕闇が、蚊いぶしのにおいをふくみ、おもくたれこめていた。  於蝶は、夏の夜の蚊いぶしの香が大好きであった。  食事を終えて、於蝶が銅製の釣灯台へ灯をともそうとするや、 「待ちゃい」  と、伊佐木が声をかけた。 「暗いほうが、よかろう。というのはなあ、お前のために申すことじゃぞえ」 「え……?」 「ま、ここへすわってたもい」 「おばばさま」  於蝶も意を決した。とても伊佐木にまではかくしきれるものではない。 「わたくしからも、お願いがございます」 「市木平蔵のことについてであろう」  ずばりといわれたときには、予期していたことながら、さすがに於蝶も胸をつかれる思いがした。 「どうじゃ、その通りであろ」 「は、はい……」 「なんぞ、約束でもしたのかや?」 「は……」 「夫婦の約束か?」 「はい」 「身をゆるしてはおるまいの?」 「……いえ、そのような……」 「掟をやぶってはいないと申す?」 「む、むろんのことにございます」 「ふうむ……」  伊佐木は沈黙した。  不気味な沈黙ではある。 (ああ……いかに嘘をついたとて、おばばさまには通ぜぬ)  於蝶は、絶望をした。  こうなれば、すべてを打ちあけるより仕方がない。  このとき、土間にいた鼠どもが、また伊佐木の躰へ飛びついて来た。  伊佐木が右手のゆびをあげ、するどい口笛を鳴らすと、ねずみたちは、一散に戸外へ走り出て行った。 「おばばさま……」  決意した於蝶が、死を覚悟して口をきったとき、 「ま、よいわえ」  伊佐木が事もなげな口調に変って、 「よし。おばばが頭領どのへ申しあげて進ぜよう。目出度う、夫婦になるがよい。なれど……」 「は……?」 「こたびの忍びを終えてからのことじゃ。おばばもな、久しぶりの忍びゆえ、一期《いちご》のおもい出に、そなたと共にはたらいてみたい」 「はい」 「どうじゃ」 「そうしていただければ……のぞむところにございまする」 「よし、よし」 「なれど、このことを平蔵どのに……」 「知らせておかぬと、まずいわけでもあるのかや?」 「は……」 「平蔵が戻ったときに、そなたがここにおらぬと……平蔵が何ぞ仕出かすとでも申すのか?」 「………」 「於蝶。掟をやぶったな!」  ぴしり、ときめつけられたときには、於蝶の血も凍るかとおもわれた。 「も、申しわけ、ござりませぬ」  ひれ伏した於蝶が、すすり泣きをはじめた。恩師でもあり、親ともたのむ伊佐木へ隠し事をしてしまったことへの悲しみであった。 「ま、よいわえ……よいわえ」  意外に、伊佐木の声はあたたかった。 「おばばさま……」 「ゆるしてとらせる」 「えっ……」 「たれにもいうな。知るものは、おばばだけじゃ」 「は、はい」 「いのちあってもし、ふたたび甲賀へ帰ることを得たならば、かならず、二人を夫婦にして進ぜよう。そのかわり、こたびは、おばばと共に行くのじゃ。よいか、よいな」  そうなれば、於蝶にとって、もっともうれしい。  何しろ、上杉謙信と六角義賢との同盟が成ろうとしてい、そのために大きな忍びばたらきを伊佐木と共におこなう……これは平蔵との結婚がたとえ五年のび十年のびても、於蝶は仕とげてみたい。 「心得ました」 「平蔵には、出がけに会わせて進ぜよう」 「まことでございますのか?」 「いかにも……そなたの口から、とっくりと、いいふくめたがよい」 「はい、はい」 「元気が出たようじゃの」 「ありがとうございまする。御恩は決して、忘れませぬ、忘れませぬ」 「このことが知れたら、おばばも頭領どのの刃を首に受けねばならぬところよ。うふ、ふ、ふふ……」  このとき、母屋へ通ずる渡り廊下の戸に合図の音がした。 「たれじゃ?」 「鹿野権七にござる」 「何かや?」 「頭領様のお呼びにござる」 「いま、まいる」 「では……」  杉谷忍びの鹿野権七の足音が遠ざかって行く。 「於蝶。先へ行きゃれ」 「はい」 「おそらく、ただちに発足ということになろうぞい」 「では、今夜……」 「うむ。さ、行けい」 「はい」  於蝶は身じまいをし、母屋への渡り廊下をたどった。  杉谷信正の居間へ通されると、 「おばばからも、うすうすは聞いたことであろうが……たのむぞよ」  と、頭領さまがいった。 「はい。ちからのかぎり、はたらきまする」 「よし。そなた、久しぶりで宇佐美定行様へもお目にかかることになろう。そして上杉の御屋形へも、な……」 「そりゃ、まことでござりますか?」 「うれしいか?」 「あい」 「わしもな……」  と、めずらしく杉谷信正は例の一本眉をひくひくとうごかし、満面に血をのぼらせつつ、 「わしもな、夢を見るようになった。足利将軍家と、上杉家と、六角家が共に手をむすび合い、天下をおさめる日が来ることを、な……」 「はい、はい」 「それだけに、こたびの忍びばたらきは、むずかしいぞ」  そのころ……。  闇につつまれた伊佐木の土間へ、空気のようにながれこんで来たものがある。  杉谷源七老人であった。 「おばばどの。うまくゆきましたのう」  八十をこえ、腰の曲がった源七が、ひくひくと笑いつつ呼びかけた。 「おかげでな……」  と、伊佐木。 「源七どのが手つどうてくれたので、何事もうまくはこんだわえ」 「なに、市木平蔵のひとりほどは、おばばどの一人にても、わけなく仕とめられましたものをさ」 「念には念を入れねばならぬのでのう」 「それにしても、杉谷源七、久しぶりに血がおどりまいたよ。隠し門の番人ばかりしていたのでは生きている甲斐もありませなんだが……」  こういったとき、源七老人の曲がっていた腰が、すっきりとのび、壮者のごとき体躯に見えた。 「見事じゃった。おぬしが�大苦無《おおくない》�を平蔵の胸板へ打ちこみ、風のごとく走り寄って抜討ちに斬ったときの早業《はやわざ》……むかしのままの杉谷源七であったぞえ」 「いや、おそれ入る、おそれ入る。なれど、おばばどのも、山道の途中から、つかず離れず、市木平蔵をおびやかした御手並。さすがは……」 「まだまだ、あれほどのことは平気じゃ」 「それにしても、事を未然にふせぐことが出来て、よろしゅうござったな」 「いかにも……それもこれも、おぬしが草の中でたわむれている平蔵と於蝶を杉の木の上から見つけ出してくれたからじゃ」 「まことに偶然《たまたま》のことでござった」 「掟をやぶった二人、けしからぬやつどもじゃ」 「なれど、平蔵と於蝶を二人ともに殺すわけにはまいらぬし、な……」 「於蝶は、たれとも夫婦にさせぬ。このおばばが手塩にかけ、いのちをかけて教えつくした忍びは於蝶ひとりじゃ。どのような男にもやらぬぞえ」 「杉谷家としても、於蝶のかわりはおらぬ。平蔵のかわりなら、まだまだ何人もおるし……」 「そのことよ、そのことよ」 「それにしても平蔵め、おもいのほかに未熟者でござったな」 「そのことよ、そのことよ」 「八十の老人ふたりに息を切らせて、あのようなぶざまな死様をさらすとは……」 「そのことよ、そのことよ」 「は、は、はは……」 「うふ、ふ、ふふ……」  この夜ふけ……。  伊佐木と於蝶は、甲賀を出発した。  めずらしく、杉谷信正が門外まで送って出たものである。 「姉上よ」  と、信正は伊佐木の手をにぎりしめ、 「老体をはたらかせて、申しわけなし」 「何のいのう……こちらから買って出たことじゃ。頭領どの」 「たのみましたぞ」 「こころえたわいの」  十数匹のねずみどもも、おばばと於蝶の前後を走った。 [#改ページ]  再  会  甲賀を発して八日目に、伊佐木と於蝶は、相州・小田原の城下へ入った。  二人は連雀商人の風体となり、共に千駄櫃《せんだびつ》を背負っている。  六年前の夏。於蝶は亡き新田小兵衛と共に、やはりこのような旅商人の姿で小田原へ入り、城下の法城院をたずね、心山和尚の指図によって、上州の厩橋城へおもむいたのである。  夕暮れ近くなり、小田原へ入ろうとする街道で、於蝶が、 「おばばさま。法城院へまいられますのか?」  と問うや、伊佐木は強くかぶりをふって見せ、 「お前は、このあたりへひそんでいやい」 「では、おひとりで法城院へ?」 「法城院と杉谷忍びとは、いまはもう無縁となった。このことをようおぼえておけ」 「はい」  六年前には、心山和尚も同じ甲賀の頭領・山中俊房のため、小田原城下へ根拠地をおいてはたらいていたものだ。  杉谷忍びが上杉謙信のために忍びばたらきすることになったのも、山中俊房が宇佐美定行のたのみを受け、これを杉谷信正へ、 「そちらで、はたらいてみてはいかがじゃ?」  と、まわしてよこしたのである。  ということは……。  山中家と杉谷家の間には、同じ甲賀忍びとしての連携がたもたれてい、少くとも戦乱の世に対する心がまえの上において共通するものがあったわけである。  それがいま、 「法城院と杉谷忍びは無縁となった」  伊佐木は断言をしている。  それは取りも直さず、杉谷家と山中家が目的の異なる忍びばたらきを現在ではしていることを意味するものだ。  箱根の山路に通ずる街道には、もう旅人の姿もなかった。  於蝶のすぐれた聴覚は、相模湾のしずかな海鳴りの声をとらえた。 「さ、きやれ」  伊佐木は、街道から外れた林の中へ入り、干飯《ほしいい》を於蝶に出させ、自分は焚火《たきび》をつくった。  於蝶は自分の千駄櫃の中から小さな鉄鍋を出し、これへ川の水をくみこんで来て焚火にかける。  熱い湯で干飯をやわらかくもどし、焼塩をそえた夕飯をとろうというのだ。 「於蝶よ」 「あい」 「こたびは、道中も油断ならぬぞよ」 「は……?」 「そうじゃ。お前にだけは洩らしておいたがよいであろ」 「何を、でございますか?」 「われらと同じ甲賀忍びの眼が、このおばばとお前のまわりに光っている」 「え……そりゃ、どこの頭領さまの?」 「山中俊房どのよ」 「まことでございますのか?」 「もはや、甲賀の忍び同士も敵と味方になって闘い合わねばならぬときとなったようじゃ」  杉谷信正と伊佐木の間に、どのような打ち合せがなされたか知らぬが、そうきいて、於蝶も緊張せざるを得なかった。 「甲賀を出たときから、われらの後をつけておる者がある」 「まさか……」 「お前は気づかなんだの。つまりはそれほどに、すぐれた手練の忍びらしい」  ささやかな焚火の炎をはさみ、急に、おばばが声を消した。くちびるのうごきだけで語りかけてくる。 「近くにおるぞよ」  と、伊佐木のくちびるがうごく。於蝶のくちびるがこたえる。 「かまいませぬのか、このままで……」 「よいわえ、よいわえ」  夕飯がすむと、焚火を消した伊佐木が、 「では、ちょと行って来るぞよ」 「おばばさま。どこへ?」 「きくな」  そういわれれば、言葉にしたがうより他はなかった。ここまで来る道中にも伊佐木はとても七十をこえた老女とはおもえぬ元気をしめしているし、於蝶が気づかぬ尾行者を早くも看破しているらしい。  熟達の極に達した忍びには年齢が無いといわれるが、まさに、その典型が伊佐木であった。  伊佐木は、おのれが背に負うて来た軽目の千駄櫃のふたをひらき、中にいる十数匹のねずみどもへ、 「さ、来やい」  声をかけると、大小さまざまの鼠どもが、あっという間に伊佐木のふところへ飛びこんでしまった。 「では、ゆだんすなよ」  いいおき、伊佐木はゆったりとした足取りで林から出て行った。  夏木立の闇はおもく、むれるように暑い。於蝶は焚火のかすかな残り火へ一つまみの蚊いぶしをくべる。 (それにしても……)  ふっと、於蝶は市木平蔵のことをおもった。  甲賀を出るや、伊佐木は約束通り、井ノ口へ先発した市木平蔵に会わせてやろうといい、於蝶をつれ、まっすぐに井ノ口城下へ入ったものだ。  城下町に「銭屋」の店をいとなむ十五郎という者がいて、これが杉谷忍びの一人であった。  貨幣流通は、まだ後年ほどさかんになってはいなかったけれども、戦国の時代がつづくにしたがい、軍用金としての金銀の実用性も高まってきたし、銅銭、砂金などの流通、利用も次第に商人層へゆきわたりはじめてきている。 「銭屋」は、こうした貨幣の両替や交換を業《なりわい》とするもので、いわば当時、もっとも新しい職種だといってよかろう。  よほどの大きな城下町でなくては「銭屋」が商売する余地もないわけだが、杉谷信正が井ノ口の重要性をみとめ、忍びの十五郎をさしむけ、杉谷忍びの基地をもうけたのは三年ほど前のことだ。  十五郎は「銭屋」のあるじとなりすまし、三人の使用人(いずれも杉谷忍び)をつかって井ノ口に暮している。市木平蔵は先ず、この銭屋十五郎方へ足をとどめる筈であった。  ところが、伊佐木と於蝶を迎えた十五郎は、 「それは奇妙な。まだ平蔵殿は到着しておりませぬぞ」  と、いった。 「そりゃ、奇妙な……」  と、伊佐木が応じた。  何がどうあろうとも、井ノ口へ先発した平蔵は到着していなくてはならぬ。 「何か変事が起ったのでは?」  於蝶も銭屋十五郎も不安になった。 「変事あればこそ、ここへ来てはおらぬのじゃ」  伊佐木は何くわぬ顔つきで、 「すぐに頭領どのへ、このことを」  と、十五郎に命じた。  すぐさま十五郎の下忍びが甲賀へ走ったが、その帰りを待たず、伊佐木は井ノ口を出発してしまっている。 「なに、平蔵のことじゃ。何か起ったとしても案ずるにはおよばぬ」  と�ねずみのおばば�はいった。  於蝶もまた、市木平蔵の手練を信じていたし、まさか伊佐木と源七老人が協力して、すでに平蔵の息の根をとめてしまった、などとは思いもおよばぬ。  むろん、そのことは頭領たる杉谷信正も知らぬことで、あくまで伊佐木と源七の二人だけの秘密なのであった。  後でわかったことだが、杉谷信正さえも、銭屋十五郎からの知らせを受けたときには、 「平蔵なら案ずるにおよばぬ。何やら途中で忍びばたらきすることが起きたのであろう」  といったそうだが、以後、三日を経て、尚も平蔵の行方が知れぬときき、 (これは変事じゃ)  すぐさま探索の手をひろげたが、ついにわからぬ。  伊佐木と源七が杉谷屋敷を約一刻(二時間)ほど留守にしたことすら、だれにも気づかれなかったというのは、さすがに伊佐木と源七であったといわねばなるまい。  むろん、於蝶は何も知らぬ。 (もう、平蔵どのは井ノ口へ到着したであろうか?)  おばばを送り出した後、木立の中へうずくまって、 (わたしが十五郎どのへあずけておいた手紙を読んだら、きっと平蔵どのもわかってくれよう)  そう思った。  その手紙には、 「おばばさまと忍びばたらきに出ますが、帰って来たら、かならず夫婦になれましょう。それまで……そのときをたのしみに、おとなしゅう待っていて下され」  と、したためておいたのである。封印は伊佐木がしてくれた。甲賀・杉谷の封印は「止」の一字である。頭《かしら》だつ者の、この一字があるかぎり宛名の人物以外の誰もこれを開封することは出来ず、もしも開封すれば「死」の処罰があたえられる。 (それにしても、おばばさまはどこへ……?)  今度は伊佐木の身へ思いがおよぶと、もう於蝶は市木平蔵のことを忘れてしまっていた。  とにかく、今度の仕事は六年前の川中島のときのそれよりも、もっと規模が大きく、派手な戦場でのはたらきは無くとも苦心は層倍のものになろう……という予感がする。  於蝶は武者ぶるいをした。  伊佐木は、なかなかに戻って来なかったが、間もなく朝の光りがただよいはじめようというころになって、微風のように林の中へながれ込んで来た。 「ちょと、小田原の城の中をのぞいて来たわえ」  事もなげに�ねずみのおばば�はいった。  十数匹のねずみをふところにしただけで、ろくに忍び道具も持たず、伊佐木は小田原城中へ潜入して来たというのだ。 「北条は、もはやいかぬな」  伊佐木は出発の仕度にかかりつつ、 「この小田原の城をたのみ、祖先からの領分に威を張っておるだけのことじゃ。これよりはやがて、一歩も進むことなく、じりじりと押しつめられてしまうことであろ。北条はもはや、たのむに足らぬ」  ぶつぶつといいつづけた。  長い間、甲賀の地に引きこもっていた伊佐木なのに、夜から未明にかけて小田原をさぐりとっただけで、それだけの事態を感得したのか。  しかし、現在の北条家の鼻息はすこぶる荒い。  甲斐の武田信玄と手をむすんだ北条氏康は、信玄の協力を得て、近年はさんざんに関東諸方を侵略した。  そのたびに、上杉謙信は越後から出て来てこれと戦い、なんとか関東管領の責任を果そうとするのだが、謙信が帰国するや、たちまちに国境を越えて武田信玄が関東へ入って来る。  ことに信玄は、信州の大半を手中におさめているだけに、上杉軍は遠く迂回して三国峠を越え、上州から関東へ出て来るわけで、毎年の雪どけを待っての出兵がくり返されるたびに莫大な戦費を必要とする。  ことに去年は、上州・箕輪の城が武田の手に落ちた。  箕輪城主・長野|業政《なりまさ》は、関東きっての豪将であり、むかしから関東管領家に従ってくれていて、前管領の上杉憲政のころから、これをたすけて北条方の侵入に対抗した。  上杉謙信が管領職をついでからも、 「上野《こうずけ》の地は業政あるかぎり、御案じなされますな」  たのもしく受け合っていてくれたものだが、その業政が急死するや、 「今度こそは──」  たびたび、業政には苦汁をのまされていた武田信玄は、みずから二万の大軍をひきいて箕輪城へ殺到した。  箕輪では亡き業政の一子・業盛《なりもり》が千数百をひきいてこれを迎え撃ったが、上州の諸将はこれをたすけようとはしない。  長野業政の死によって、 「もはや、こうなれば武田方(または北条方)をたのむより仕方なし」  という気配、濃厚となってきている。  十九歳の長野業盛も、上泉伊勢守その他の勇将と共によく戦ったが、城が孤立してしまったのではどうにもならぬ。 「陽風に氷肌も桜もちりはてて、名にぞ残れるみわの郷かな」  の辞世を残し、業盛は切腹して果てたという。  このとき、上杉謙信は越中(富山県)増山城を攻めて春日山へ帰城したばかりのことで、関東へ駆けつけることが出来なかった。 「おのれ! 信玄めが……」  激怒のあまり、謙信は瘧《おこり》のように全身をふるわせ、いまにも卒倒せんばかりだったという。  将軍・足利義輝が謀殺されたことはすでにのべたが、この義輝の弟で奈良の一乗院|門跡《もんぜき》となっていた覚慶《かくけい》を、 「次代の将軍に……」  という声が高まってきた。  おとろえた幕府の近臣たちをたすけて、この運動に最も積極的であったのは越前・一乗ヶ谷の城主・朝倉義景である。  前将軍・義輝を殺した松永久秀らは、すぐに奈良をかこみ、覚慶をきびしく監視した。  このとき……。  ひそかに覚慶を奈良から脱出せしめたのが甲賀武士のひとり、和田伊賀守であった。  伊賀守は、杉谷の里より東南約二里のところに本居をかまえる豪族で、むろん忍びたちもつかえているが、家来たちも四百ほどはあって、杉谷信正はいうまでもなく、山中俊房さえも一目おいているほどであった。  和田伊賀守は、幕府供衆という役目をもらっている。  それだけに将軍家との連携も緊密であったし、杉谷信正とも親しくまじわりを重ねていた。  だから和田家も杉谷家同様に、観音寺城の六角義賢の家来すじにあたるわけで、 「なにとぞして、一乗院覚慶様をもって、次代の将軍位を……」  と、和田伊賀守が�観音寺さま�へ、たのみこんできたらしい。  六角義賢も、期待をかけていた十三代将軍が暗殺されてしまい、落胆をしていたのだけれども、 「よし。ちからをそえてつかわそう」  と、ふるいたった。  将軍家がちからおとろえ、京都を追い出されるたびに、六角義賢はこれをたすけてきている。  いま、一乗院覚慶を次の将軍位につけ、自分はふたたび管領の地位を得て、 (なんとかして、天下をおさめてくれよう)  との意欲にもえはじめた。 「ともあれ、僧籍にあっては将軍とはなれぬ。一時も早く僧門を脱し、名乗りをあげるように」  六角義賢の命をうけ、和田伊賀守は甲賀の本居において、 「自分は足利家の当主になる」  と、一乗院覚慶に宣言せしめた。  次いで、和田の本居から、近江の矢島(現・滋賀県守山町)へ覚慶をうつし、ここにおいて彼を還俗《げんぞく》させ、 「足利|義秋《よしあき》」  を名乗らしめたのである。  このとき、六角義賢は、上杉謙信に対し、 「将軍からの御内書を持たせた使者をそちらへ送ります。新しい将軍家は上杉家のちからをたのみにしておられる。そこもとも全力をあげ、京へのぼって将軍家をたすけてもらいたい」  と、いい送った。  このときの使者・大館《おおだち》義安と共に、 「善住房どのも越後・春日山へおもむき、いろいろと観音寺さまの御胸のうちを謙信公へおつたえしたようじゃ」  と�ねずみのおばば�が、於蝶に語ってくれた。  小田原城下を薄明のうちに走りぬけて、伊佐木と於蝶は相模の山野へ出た。  このあたりも、六年前に叔父と共に通ったところである。 「あまり急がぬでもよいわえ」  伊佐木がいう。そして種々のはなしを於蝶にきかせる。これは、これからの�忍びばたらき�の予備知識となるものといってよい。 「観音寺さまはな、公方(将軍)さまの御名をもって、上杉と北条とを仲直りさせようとおもわれ、ずいぶんと手をつくされたようじゃ。ゆえに善住房どのも近ごろは、なかなかにいそがしゅう諸方へ出かけていたらしいわえ」  伊佐木は末弟の善住房光雲のことを前には�与次郎どの�と子供のころの名を呼んでいたが、ちかごろでは、 「あれも、このごろは役に立つようになったものよ」  と、ほめ、呼名も変えて呼ぶことが多い。 「ところがな……」  伊佐木は歩を進めつつ、 「どうも、うまくまいらなんだようじゃわえ」 「上杉と北条の仲直りが、でございますか?」 「いかにも」 「それは……?」 「上杉謙信公は、なかなかに強気での。去年のうちに信州も甲州もすべて討ち平らげ、甲府へ攻め入って武田信玄公父子を退治してくれる……なぞと言い出されたらしい。これは、ちょっとまずいではないか、な……そうであろ?」 「あい」 「北条氏康は武田信玄のちからを借りて上杉方と戦ってまいった。その信玄の首を討ちとってくれよう……なぞと、大声を出して威張っている謙信公の手をにぎるわけにもゆくまい」  とにかく、上杉謙信は威張っているらしい。  武田・北条の同盟軍に苦い汁をのまされつづけていながら、威張っているらしい。 「将軍家の声がかかったのはよい機じゃ。一時も早く北条と和睦をさせ、謙信公に京へ行っていただこうではないか」  上州の諸城をまもる上杉方の北条《きたじよう》高広、上野家成、由良成繁《ゆらなりしげ》などの諸将も、上杉謙信が中央へ乗り出す絶好の機会だとおもい、すすんで北条方との交渉にあたった。 「ところが、やはり威張りなさる」  伊佐木は苦笑し、 「どのような御方か、おばばは、まだ、お目にかかったことはないが、上杉謙信公は、よほどのかんしゃくもちと見える」  と、いった。 「御屋形さまは正直なのです」  と、於蝶。 「ほほう……お前は謙信公がひいきじゃゆえに……」 「ま、そのような……」 「なれど正直者では今の世は渡れぬぞえ。まして、天下をつかみ、天下をしたがえんとする大将なれば尚更のことじゃ」 「はい……」  伊佐木の足がぴたりと止ったのは、このときであった。 「於蝶。後からつけて来る男の面《つら》を見てくれよう」  と、伊佐木のくちびるが声もなくうごいた。  原野には夕闇がたちこめていた。  ぴったりと肩をならべて歩みつつ、 「よいかや?」  と、伊佐木のくちびるがうごく。  於蝶の眼が、うなずいた。  と……。  二人が彼方へ去ったあとの野の道に、干魚のようにひからびた老婆の裸体が横たわっていた。  伊佐木であった。  だが、先へ進む於蝶と肩を寄せ合っているのも伊佐木ではないか。  これを�蝉脱《せみぬけ》の術�という。  甲賀でいま、この術をよくするものは�ねずみのおばば�の伊佐木のみといわれている。  つまり、歩みつつ、身につけている衣類をそのままにして肉体を下方から脱せしめるのである。  このためには、むろん特殊な衣類のつけ方があるわけだが、肉体はぬけ出しても、衣類がそのまま人のかたちをとどめているようにするため、伊佐木は数本の細い竹籤《ひご》を用いる。  当人が�蝉ぬけ�したあと、同行者は�ぬけがら�の衣類を横ざまにささえつつ、何気ない様子で語りかけたりしながらすすむ。  だからいま、於蝶は伊佐木のかたちをしたぬけがらの衣類と千駄櫃までも左腕にささえて歩みつづけているのだ。 �蝉ぬけ�は、尾行者を発見するためにも役立つ。  尾行者は�ぬけがら�と知ることなく後をつけて来るわけだが、ぬけ出した一人は其処にとどまり、やがてあらわれる尾行者を待ちうけることになる。 「むう……」  於蝶は、かすかにうめいた。  左腕ひとつで特殊な物体をささえているのは容易なことではない。  歩き方によっては�ぬけがら�が灰のごとくにくずれてしまうからだ。  ちからも神経も、他の忍びばたらきをするより層倍のものを必要とする。  この役目を�蝉ぬけ�の�受け�と称する。  於蝶の�受け�は、伊佐木に教えこまれたものだが、実際にやって見るのは、これが、はじめてであった。  伊佐木は、 「がまんしきれなくなったときは、そのまますわり、焚火の仕度をして夕餉のふうをよそおうていやれ」  といい、するりとぬけ落ちた。  両袖から腕を、さらに巻きしめた帯の下、着物の裾から全身を地にぬけ落したのである。  伊佐木は、腰のものも身にまとわぬ裸体で地に伏せ、やがて、その地の底へ溶けこむようにしてどこかへ消えてしまった。  手には�飛苦無�ひとつ持ってはいないし、十数匹のねずみどもも、いつの間にか姿を消している。  風も絶えた、むしあつい夕闇であった。  相模の原野には人影もない。  どれほどの時が経過したろう……。  伊佐木が�ぬけ落ち�た野道へ、横手の森の中から、ぼんやりと浮き出した人影が一つある。  男であった。  まぶかに笠をかぶっているので顔はわからぬ。  やせた小柄な旅の僧なのである。  於蝶は半里ほどすすみ、 (もう、よいであろ)  小川の傍の草むらへ腰をおろした。  伊佐木の�ぬけがら�を何気なく千駄櫃によせかけ、おばばの笠をかぶせておき、 「さ、おばばさま。夕餉の仕度を……」  わざと声に出して於蝶は話しかけ、焚火の用意にかかった。躰をうごかしながらも於蝶は、周辺の気配に絶えず神経をくばっているし、伊佐木の�ぬけがら�を�ぬけがら�ではないようにあつかわねばならぬ。 �ぬけがら�も於蝶と共に夕餉の仕度にかかっているように見せかけねばならぬ。  いつか、伊佐木が、こういったことがある。 「忍びの者にとって、もっとも大切なものは、�わざおぎの術�じゃ」 �わざおぎ�とは現代風にいえば俳優の意で、つまり、忍びの術のうち、最高度の術は演技術であるということなのだ。  現に、この旅へ出るときも、伊佐木はたのしげにこういったものだ。 「於蝶よ。久しぶりの忍びばたらきで、このおばばも久しぶりで若い男を抱けるやも知れぬな」  いかに女忍びの於蝶でも、伊佐木の骨と皮ばかりのような七十の老躰を見て、 (まさか……)  気味のわるいおもいがしたけれども、 「まだまだ、わしだとて二十のむすめに化けて見しょうわえ」  伊佐木は自信たっぷりであった。  もちろん、それは夜の闇や相手の男の錯覚を利用してのことであろうが、それにしてもおどろくべきことだ。 (おばばさまなら、きっと二十のむすめにも化けられよう)  干飯《ほしいい》を千駄櫃の中から出し、川水をくんだ鉄鍋を焚火にかけながら、於蝶は先刻の�蝉ぬけ�をした伊佐木の肉体の柔軟さを今更におもいうかべずにはいられなかった。  ちなみにいうと、於蝶などの技術、修行では、とてもまだ�蝉ぬけ�はできない。一緒に歩いていながら、伊佐木がいつの間に�蝉ぬけ�の仕度をととのえたのか、それもわからないほどだったのである。  夜の幕が、すべてをおおいつくした。 (まさか……?)  伊佐木の戻るのが、おそすぎるようだ。  於蝶の不安は時の経過と歩調を合せて、ふくらみはじめた。 (おばばさまのことだ。相手に見出されるようなことはない)  しかし、於蝶がこの川辺へ来てから一刻はすぎてしまった。  この間、自分のみか、ぬけがらにまで夕餉を食べるさまを見せなくてはならないのだから、非常な努力がいる。  於蝶は決意した。  焚火を消し、この草むらの中へ野宿する態《さま》を見せた。 �ぬけがら�を寝かせ、これに寄りそい、忍び刀を千駄櫃から出してつかませ、於蝶は草の上に横たわった。  森閑たる森や野のひろがりのどこにも変った気配はなかったが……。  急に、小川の水がうごいたような気がして、於蝶は身をひきしめた。  そこは、横山の集落へ約二里ほどの地点であった。  横山は、現東京都・八王子市である。  くびをもたげた於蝶へ、小川の水の中から、 「うごくな」  低く声が、かかった。 「あ……おばばさま」 「なにもいうな」  まさに、伊佐木ではないか……。 「よいか。そのままでよくきけ」  川水の中から、伊佐木の顔が浮き上っているのを、於蝶は見た。 「何もいらぬが、手まわりの物と忍び道具を革袋にいれよ。敵はすぐ近くにいるぞよ。ゆだんすな」  横たわったまま、於蝶は素早く手をうごかし、伊佐木の命ずるままにした。 「早うせよ」 「は……」 「声を出すな」 「………」 「お前も、はだかになれ」  いうままにするよりほかはない。  よほどに危急がせまっているものと見えた。 「仕度ができたかや?」 「はい」 「よし」  伊佐木の声が切迫して、 「川へ飛びこめ!」  と、命じた。  草の上を蛇がうねるように於蝶の白い躰がうごき、するりと小川の水へ没した。  この瞬間であった。  どこからか数条の矢がうなりをたてて疾《はし》って来、いままで於蝶と�ぬけがら�が横たわっていた箇所へ凄まじい音をたてて突き刺さったものである。 「急げ」  伊佐木は川水の中へもぐりこみつつ、いった。  意外に深い川である。  水の中をもぐって泳ぎつつ、於蝶は忍び刀一つを伊佐木にわたし、革袋のひもを腰に巻きつけた。  伊佐木は長さ一尺余の忍び刀をぬきはらって口にくわえた。  骨だらけの伊佐木の躰が魚のように泳ぐ。  伊佐木が対岸の岸辺へ浮き上り、つづいて於蝶も……。  このとき、対岸に待ちかまえていた四つの黒い影が、 「む!」 「や!」  うなり声のような気合を発しつつ、浮き上った伊佐木と於蝶の頭上へ白刃をたたきつけてきた。  伊佐木が飛魚のように闇を切り裂いて、はね上った。  敵が振り下す刃風よりも、それは速く、宙に一回転した伊佐木が岸辺に身を沈めたかと見る間に、 「ぎゃっ!」  敵の一人が、棒でも倒したように川の中へのめり込んで行った。  血がしぶいた。  於蝶も岸辺へ飛び上って、猛然と忍び刀をふるった。 「あっ……」  と、また一人。  残る敵二人。  こやつたちは手槍を持っていた。  一人ずつ斬って、岸辺に立った伊佐木と於蝶が、申し合せたように、わざと身をよろめかせて見せるや、 「うぬ!」 「おのれ!」  二人の敵はまんまとさそいに乗り、同時に槍を突き出して来た。  これこそ伊佐木と於蝶が待ちかまえていたところのものである。  二人の女忍びが身を沈め、敵の槍の�けら首�をつかんで、するするとつけいるや、左手の忍び刀を思いきり敵の横腹へ突き通したものである。  敵の絶叫があがった。  どう見ても、この四人の敵は忍びの者ではないらしい。  だが、争闘の叫びをきいて、この岸辺へ駆け寄って来る十人ほどの人数が見えた。  伊佐木は、突き刺した敵を抱くようにして共に川の中へ仰向けに落ちこんでいった。  於蝶も同様に、ふたたび川水へもぐったのである。  水の中で敵の死体を突き放し、二人は尚ももぐりつづけたまま川をさかのぼって行く。  そして……。  夜が明けかかるころには、伊佐木と於蝶を狭山丘陵の西のすそにある中野の村外れで見ることができる。  千駄櫃を背負ってはいないが、二人とも、それぞれの年齢に合う男装であった。  これは裸体のまま、ここへ走りつき、村の何処かの家へ潜入して笠、わらじ、衣類などをだまって頂戴したのである。  そのかわりに、しかるべき砂金を革袋の中から出して残し置いてきている。  笠をかぶった二人とも、このあたりの百姓男の風体で、伊佐木は疲れも見せず、老人の男になりきった足どりで歩む。  速度は早い。  一時も早く尾行者の眼をくらましてしまわねばならない。 「於蝶よ。ねずみどもを置き去りにしてしもうたわえ」 「残念でござりますな」 「うむ……われらの後をつけて来た者は、小田原へ入るまでたしか一人。そやつが相模の原へ人数を集めて、われらを待ち伏せていたわけじゃ」 「おばばさまは、ごらんになりましたのか、そやつめの顔を?」  このとき於蝶は、はじめて問うた。  このときまでの二人は一瞬の間も無駄にすることなくうごきつづけ、逃げつづけていたからである。 「見たともよ。見たればこそ、あわてて、お前のもとへ走り戻って来たのじゃわえ。そやつめはな、旅の坊主の姿での、善住房によう似た……そやつめが、あらわれ、お前とぬけがらの後をつけて行くうちに、三人、五人とな……人数があらわれ、そやつめの指図にしたがい、どこへともなく散って行ったので、こりゃ、お前の身があぶないと思うた」 「ありがとうござります」 「なれど、よくも心を合せてはたらいたぞよ。ほめておこうかや」 「でも、そやつめは?」 「甲賀の孫八よ」  於蝶は、瞠目した。  甲賀の孫八といえば……。  山中俊房につかえる忍びの中でも、甲賀では名の知れた男である。  もっとも於蝶は孫八の顔を一度も見たことがない。  それほどに�山中忍び�の孫八は、むかしから甲賀を外に�忍びばたらき�をしつづけている。よほどのことがないかぎり甲賀へも山中屋敷へも帰っては来ないし、帰って来たとしても、二夜と泊ることはないということだ。 「わしじゃとて、孫八が若いころに二度ほど顔を見たことがあるにすぎぬ」  と伊佐木もいった。  そのときの、二十年も前の記憶をたよりにして、いま襲撃隊を指揮した旅の僧を、伊佐木は、 「甲賀の孫八」  と、断定したのである。  これは重大なことであった。  むかしは共にちからを合せて�忍びばたらき�をしてきた甲賀の忍び同士が、いま、ついに殺し合わねばならぬときが来た、ということになる。 「むろんのこと、孫八は、あの川べりで襲いかかった人数の中にはふくまれていない。どこかの木の上にでもみみずくのようにとまって、われらのたたかいを見おろしていたのであろうよ」  伊佐木は、にんまりと笑った。  二人は早くも上州から信州へ入っていた。 「では、孫八どの……」  いいかける於蝶へ、伊佐木が屹《きつ》となり、 「もはや呼びすててかまわぬ」 「はい。では、孫八は、われらのうしろより今もつけてまいっているのでしょうか?」 「おそらく、な……」 「まあ……」 「先夜、われらを襲った人数は、おそらく小田原の北条方の士卒であったろう」 「では……」 「ゆえにこそ、小田原の法城院や心山和尚も、われらの敵となったと見てよい。このことはすでに、上杉家の宇佐美定行さまのもとへも、われらが頭領どのから知らせてあるはず……」 「では、山中忍びと杉谷忍びとは……?」 「いまや、敵味方じゃ」  それは、いま上杉謙信、六角義賢、それに将軍位につこうとしている足利義秋との線をむすび、このためにはたらこうとしている杉谷信正に対して……。  山中俊房は、これを阻止するがための活動を開始したものと見てよい。 「それにしても、おどろいたことになったわえ」  と、伊佐木は吐きすてるように、 「われらのじゃまをするなら、たがいの忍びの術をもって人知れずに争うべきではないかや。ふ、ふふん……それを人数をもよおして襲いかかり、殺しかけるとは、……甲賀忍びの名がすたる、山中俊房の名がすたろうというものよ」 「その通りにござりますとも」 「もっとも、な……」 �ねずみのおばば�は、ひょいと立ちどまり、しわだらけの自分の顔を指して見せ、 「もっとも、それほどに、このおばばの忍びばたらきが、山中忍びにはおそろしいのであろうよ」  くっくっと笑っていたが、やがて伊佐木の声がきびしく変り、 「あるいは、こたびのわしの仕とげねばならぬ役目を、山中俊房は感じとったやも知れぬな」  と、つぶやいたものである。  そのころ、甲賀・柏木郷の山中俊房屋敷の奥の一間に、甲賀の孫八の姿を見ることができる。  小柄な、変哲もない中年男であった。  この山中屋敷は、杉谷屋敷の西北一里半ほどの近さにある。  甲賀の豪族の一人である山中家は、往古からこの地に土着し、豪族としても忍びの頭領としても重きをなしている。  むかしから、伊勢大神宮の領地でもある柏木郷の代官をつとめているし、鈴鹿山守護の役目もかねてきていた。  このあたりの村々の惣社《そうじや》として知られる若宮八幡宮の南に、山中屋敷はあった。  飯道《いいみち》山を背景にし、二町四方の石垣塀にかこまれた堂々たる屋敷がまえであった。  一箇の城と見てもよいほどで、杉谷屋敷はこれにくらべると小さいものだ。  主の山中俊房の居間は、いくつもの土塀に仕切られた奥庭の一角にあった。  いま、孫八の前にすわり、彼の報告をきいている山中俊房は、このとき六十をこえている。  肉づきもつやもよい円満な顔だちで、白髪がゆたかであった。 「ふむ、ふむ……」  うなずきつつ、山中俊房が、 「それで、杉谷のおばばに顔も姿も見られなんだであろうな?」  念を押すと、孫八は自信にみちた声で、 「ご案じなされますな。この孫八がしたことでござります」 「いかにも、な」 「それにしても……小田原より手練の者たちばかりをあつめ、伊佐木と於蝶が川べりにねむっておりますところへ、たくみに近づき、いっせいに矢をはなちましたのが外れようとは……」  残念そうに、孫八がいう。 「しかも頭領さま。両人とも衣類をぬぎ捨て、裸体となって川へ飛びこみました。川水におのれの躰のにおいを消して逃れようという……」 「さすがに、おばばよ」 「ようも、そこまでのゆとりがあったものでございます」 「ゆだんじゃ」 「は?」 「そちのゆだんよ。あのおばばは、七十をこえてもまだ、そこまでのはたらきをする。そこのところをお前も、わしも見あやまった」 「はい。それは、たしかに……」  山中俊房も孫八も、苦笑をもらしたが、ふっと俊房が真顔になり、 「わしも伊佐木の躰が、そこまでにはたらこうとは知らず、ただ、あのおばばが忍びばたらきに出て、智謀をふるい、於蝶をはじめ、腕利きの杉谷忍びを指揮して事にあたろうというのが、気にかかった……ゆえに、そちをもって小手しらべに当らせてみたわけじゃが……」 「しくじりましたわい」 「気にかくるな。どちらにせよ、伊佐木は不気味じゃ。頭領の杉谷信正みずからの出馬よりも、わしはおそれる」  この二人の会話から見ると、二人とも、伊佐木の�蝉ぬけ�には気づいていないらしい。  七十をこえた伊佐木の老体では、その術をおこなうことが全く不可能だと思いこんでいたからであろう。  それにしても、杉谷信正と伊佐木は、どのような目的をもつ忍びばたらきをしようとするのか……。  むろん、終局のそれは、六角、上杉、足利将軍家による天下平定である。  だが、そのために�何か重大なことをおこなう�らしい。  それを同じ甲賀の山中俊房がふせごうとしている。  この伊佐木がおこなわんとする目的を、於蝶もまだ知らない。おばばが洩らしてはくれないからである。  甲賀の孫八は二夜、山中屋敷へとどまり、頭領との密談を終え、また、どこかへ旅立って行ったらしい。  そのころ……。  伊佐木と於蝶は越後の国へ入っていた。  その夜……。  春日山城下へ、六年ぶりに於蝶は足をふみ入れたのである。  上杉謙信がいる御主殿の南の濠に面した宇佐美定行の屋敷へ、伊佐木と於蝶は微風のように忍び入った。  すでに、於蝶にとっては勝手知ったる宇佐美邸内であった。  不眠の番士も邸内を警戒しているのだが、二人にとっては、彼らの目をかすめることは、わけもないことだ。  宇佐美定行は、奥の寝所へ只ひとり、ねむっている。  二人が、枕頭《ちんとう》へかがみこんだことも、まったく知らず、死んだようにねむりつづけている。 (ずいぶんと、やつれてしまわれたこと……)  於蝶は、まゆをひそめた。  六年前には、あれほど美しく、ゆたかであった白髪のたれ髪は、無惨なほどにぬけ落ち、血色もよかった面《おもて》はやつれて、まるで枯木のような老人に見えた。  伊佐木の、くちびるがうごいた。 「於蝶よ……これが宇佐美さまかや?」 「あい」 「ふうむ……」 「いかがなされました?」 「これは……」  伊佐木の表情が、けわしい。  於蝶は息をのんだ。 「おばばさま……」  読唇の術をかわしつつ、伊佐木が、 「こりゃ、長うはない」 「え……?」 「あと二年……よく保《も》って三年……」  定行の死期が近づいていることを指摘したのである。 「そりゃ、まことの……?」 「ま、よいわえ。ささ於蝶。しずかに宇佐美さまを……」  於蝶は身をかがめ、宇佐美定行の老顔へ、ひたとおのれの顔を押しつけ、くちびるをその耳もとへあてがい、 「もし、もし……」  はっ、と定行が眼をひらいた瞬間をのがさず、 「於蝶にござりまする」  と、ささやいた。  かねて、この手筈を知らせてあるだけに、定行もおどろきはしなかったけれども、 「おお、来たか、来てくれたか……」  燭台の灯もほの暗い部屋の中に、宇佐美定行の面へ、見る見る泪《なみだ》があふれ出てくるのを、於蝶は、はっきりと見た。 (宇佐美さまも、おこころ弱くなられた。なぜ、このように泪もろくなられたのかしら……?」  於蝶も、いささかおどろいている。  しかし、すぐに定行は泪をぬぐい、伊佐木を見て半身をおこした。 「このお人が、杉谷家の伊佐木どのか?」 「はい、はい」  伊佐木が手をつかえ、 「はじめてお目にかかりまする。永禄四年以来、杉谷家へ対しての、かずかずのお心入れ、かたじけのう存じまする。頭領・杉谷信正よりも、くれぐれもよろしゅうとのことでござりました」  丁重に礼をのべたところを見ると、上杉家から……というよりも、上杉家を代表しての宇佐美定行が、絶えず金銀を杉谷家へ送り、縁《えにし》をむすびつづけてきたことがわかる。  それもこれも、六年前の新田小兵衛を指揮者とした杉谷忍びの活躍を見て、 (杉谷忍びこそ、たのむに足る)  と、定行は思いきわめていたからであろう。  そうした定行の誠意は、そのまま杉谷信正へもつたわっているし、伊佐木もまた、おろそかに考えてはいない。 「老体をはるばると、御苦労であった」  ねぎらう宇佐美定行に、 「杉谷忍びは、あまたの甲賀忍びの中でも、人数わずかな上に、はたらきぶりも仕組がせまく、手のこみ入ったる忍びばたらきも、よう出来ませぬ。なれど、宇佐美さまが、どこまでも杉谷忍びをたのみとなし下されますること、頭領をはじめ忍びの者ども、こころよりうれしゅう、ありがたく存じておりまする」  と、伊佐木がこたえる。 「ていねいな言葉で、いたみ入った」  定行は軽く頭を下げ、 「伊佐木どのに、わざわざ、ここまで足をはこんでもろうたは……この定行、上杉謙信公の軍師として、ぜひにも、そなたにきいてもらいたいことがあったゆえじゃ」 「はい、はい」 「近ごろは何と申しても、まこと油断のならぬ世となった。密使を送るにしても何やら心もとない」 「いかさま……」 「そこもとを杉谷信正ともおもい、この定行が一期《いちご》のたのみ。きいてくるるか?」 「うけたまわりまする」 「その上で、そなたの意見もききたくおもう。そして、もしも、わしとそなたの心が一つになったなら、そなたの思うままに働いてもらいたい」  定行の口調は、慇懃《いんぎん》をきわめていた。一見したところ、よぼよぼの老婆としか見えぬ伊佐木の力量を信じてうたがわぬのである。 (杉谷信正が自分のかわりにといって差し向けて来た老女じゃ。間違いはない)  信頼し切り、いかなる重大な秘密をも打ち明けようという誠意が、伊佐木の胸には、ひしひしと感ぜられる。 「於蝶よ。見張りを、な……」  伊佐木の声にこたえ、於蝶は次の間へ出た。  次の間にはだれもおらぬが、その向うの板敷の間に宿直《とのい》の家来三名がねむっている。  あとは廊下、奥庭の気配に神経をくばっていればよい。  宇佐美定行と伊佐木の密談は二刻(四時間)におよんだが、それだけで終ったのではないらしい。  夜が明けぬうち、いったん外へ出た伊佐木と於蝶は、翌日の夕暮れ近くになり、屈強の武士一人につれられ、あらためて、宇佐美屋敷を訪問している。  この武士こそ、同じ杉谷忍びの新井丈助という者であった。  丈助は、六尺に近い巨体をもつ壮年の忍びで、甲賀には妻も四人の子もいる。  まことに立派な、堂々たる風貌の所有者である新井丈助は、学問にも通じているし、武芸もすばらしいが、大きな躰だけに敵の中へ潜入して敏速にはたらきまわるという忍びではない。  そのかわり丈助は、一国一城の主にも化けられるし、公卿、大寺院の住職、学者など、いくら身分の高い人物になって見せても、あやしまれることはないのだ。  この新井丈助が、杉谷屋敷を出て行ったのは、於蝶たちに先立つ十日ほど前のことで、 (丈助どのは、どこへ行かれたのかしら?)  於蝶も、彼の出発を知っていたのである。  その日の未明……。  いったん宇佐美邸を辞した伊佐木は於蝶をともない、春日山の東方四里ほどのところにある小さな丘陵の裾にある地蔵堂の前にあらわれた。  この堂の前に、立派な武士の姿になって新井丈助が二人を待っていたのだ。  日も時刻も、伊佐木との間に打ち合せがなされていたらしい。  丈助は、 「御苦労にござる」  と、伊佐木に挨拶をし、堂の中から用意の衣類その他を取り出した。  そして二人は、ここで身支度をととのえ、丈助と共に春日山へ引返したのである。  あかるいうちに城下へ入って見ると、六年前にくらべて侍屋敷も増えたし、商家も多くなり、活気がみなぎっていた。  上杉謙信は、春日山の城下町を、侍屋敷と町家の区別をあまりつけず、双方が互いにまじるような町割りをしている。  謙信は、これまでに二度、京の都を見ている。  これは、わずかな手兵をひきい、海路(日本海)を越前へ行き、ここから京へ入ったもので、戦国のそのころとしては実に大胆きわまる行動であったといえよう。  二度目の上洛では、後奈良《ごなら》天皇に謁見しているし、天皇からは御剣、天盃もたまわり、謙信も感激して、 「帝《みかど》のおんために、景虎、ちからをつくしてはたらきまする」  と誓った。  天皇は非常によろこばれ、 「任国、および隣国の敵心をさしはさむ輩《ともがら》を討ち、威名を子孫につたえ、勇徳を万代にほどこし、いよいよ勝ちを千里に決し、忠を一朝につくせ」  こういわれた。  当時の天皇が実質的な権力を何も持たれていないことはむろんで、いくら天皇にほめられ、たよられたからといってどうにもなるわけではない。  しかし、天皇が謙信に対して、その言葉をたまわったことは、 「自分は天皇と皇室の御ために戦さをしている」  との、立派な名目が天下に対して立ったことになる。  何事にも、整然たる名目をたてねば気がすまぬ上杉謙信だけに、この勅命を得てからは、 「何としても天下を平定し、京へのぼらねばならぬ!」  との決意を抱くようになった。  京の都は謙信のあこがれの都であり、その美しい風光につつまれた日本の首都のおもかげを春日山城下へもうつそうと考え、 「何事にも京都風に……」  というのが謙信の口ぐせなのである。  こうした謙信の京都好きを知った織田信長は、のちに、 「これは、あなたが大好きな京の都を描かせたものです。どうか、お納め下さい」  などといい、京の町の絵を屏風に描かせて送りとどけ、謙信の機嫌うかがいをしたりしている。  さて……。 「琵琶島よりまいったものにござる。この書状を、駿河守様へ……」  と、宇佐美屋敷の門番へ、新井丈助が一通の手紙を差し出すや、すぐに屋敷内へ案内をされた。  すべて、打ち合せがととのえられている。  琵琶島の宇佐美定行の本城には長男の実定がいる。  この実定が春日山につめている父・定行にあてて、伊佐木たち三名を、 「箕輪城にほろびたる長野家の臣・柳田主膳の遺族でござる。父上が召しつかわれたし」  と、紹介してよこした�かたち�をとったのだ。  得体の知れぬ人間が突然に屋敷内で暮すことは考えられないからだ。  上杉謙信は、 「来るものは、拒まず」  という主義であるから、救いをもとめる武士たちをどしどし召し抱えるし、移住して来る商人たちをきびしく詮議することもなく城下へ入れてしまう。  こういうわけで、甲斐の武田信玄は、 「上杉へ間者《スパイ》を入れることは、わけもないことじゃ。それにしても輝虎《てるとら》の肝のふといことよ」  と洩らしたそうな。  ちなみにいうと、上杉謙信は名を輝虎と、あらためている。前将軍・足利義輝から「輝」の一字をもらったからだ。  於蝶にとっては、六年ぶりの宇佐美屋敷なのだが、井口蝶丸として春日山にいたころは、たびたび、この屋敷をおとずれている。  したがって宇佐美の家来たちには顔見知りの者も多い。  そうした家来たちに、廊下や縁側ですれちがっても、彼らは全く気づかぬ。  男装と女装のちがいもあるが、顔だちまでも変って見える於蝶であった。あのころは、ふっくりとした少年の面だちで化粧もしていなかったわけだ。いまの於蝶は顔も躰つきも細っそりとし、これに化粧をほどこし、ことさらになよなよとした挙動をしめしているし、むろん発声も女のそれに変っていた。  この於蝶からは、かつての井口蝶丸のきびきびした小姓ぶりを見出すべくもない。  あの岡本小平太さえも、於蝶を見て気づかなかったほどだ。  それは、宇佐美邸へ落ちついてから四日目のことで、於蝶が伊佐木と共に城下町を見物しに出たとき、鍛冶町の通りで向うから来る小平太と正面から出会ったのである。  炎天の道を、岡本小平太は扇で陽ざしをさけながらやって来たが、伊佐木たちにつきそっている宇佐美の家来・池田平右衛門を見て、 「これは、池田殿」  立ちどまって挨拶をし、 「宇佐美様には御変りもござらぬか。この暑さで御不快とうけたまわっていたが……」 「いや大分に御元気をとりもどされまいてな」 「それは、ようござった」  小平太は、実にもう、たくましい青年武士となっている。 (いま、小平太どのは二十三歳になられたはず……)  伊佐木と共に少しはなれて、於蝶は何気ない表情で、小平太を見まもっていた。  その視線に気づいたのか、小平太がこちらを見た。  池田平右衛門が何かささやいている。伊佐木と於蝶を長野家遺臣の家族だと告げたのであろう。小平太は二人に向い、あいさつの礼をおこなった。  右の頬からあごにかけて鋭い傷痕がある小平太の顔貌には、六年前とはくらべものにならぬ凄味がただよっていた。この傷痕は川中島決戦の折にうけたもので、於蝶には見おぼえがある。 「ごめん候え」  一礼して、悠然と去って行く岡本小平太を見送る於蝶へ、池田平右衛門が駆けよって、 「あれは岡本小平太殿と申されてな、御家中の中でも豪勇の士でござる」  と、いう。 「まあ、そのようにお強い……」 「もとは御屋形様のお小姓をつとめておりましたが、六年前の川中島合戦に見事なはたらきをいたし、瀕死の傷を負いましてな……それより、いくたびの戦陣に功をたて、いまは御屋形様の旗本として知らぬ者なき男となり申した」 「はあ……」  於蝶は、うれしかった。  鍛冶町という名の通り、このあたりには数軒の刀鍛冶があって、鉄を叩く音がしきりにきこえる路上であった。 「なれど、あの男いささか変っておりまいてな」 「なにがでございまする?」  歩みをすすめながら、池田が、 「親たちや親類が、いかにすすめようとも嫁をとらぬという……」 「まあ……」 「かと申して、いいかわした女ごがあるとも見えぬ。御屋形様は、ごぞんじでもあろうが、生涯|不犯《ふぼん》の御身であらせられるが……」  それでも上杉謙信は、 「妻を迎えたらどうじゃ?」  何度も小平太にすすめたというが、 「いささか思うこともござりますゆえ、妻は迎えませぬ!」  きっぱりと、小平太は返事をしたらしい。  宇佐美邸へ戻ってからも、於蝶は小平太のことを想いめぐらさずにはいられなかった。 (小平太どのは、わたしが……井口蝶丸が帰って来るのを待っていてくれるのか……)  ほほ笑ましくもあり、うれしくもあった。そこは於蝶も女なのであろう。  早くも、それと見ぬいたらしく、その夜まくらを並べて寝についてから、伊佐木がこうささやいてきた。 「今日、道で出会うたあの武士。以前にそなたが手をつけた男であろ」  伊佐木には、何も彼も見ぬかれてしまう。 「はい……」  と、岡本小平太との関係を肯定しながらも、於蝶は、いささか伊佐木の存在がうるさく感じられてきた。  すると、たちまち、 「ふ、ふふ……よいわえ、よいわえ。いちいち、わしが口をさしはさむことはないのじゃ。さぞ、うるさく思うたであろう」  伊佐木は、ほとんど表情もうごかさぬ於蝶の胸の底にひそむものさえ、すくいとって見せる。 「ああ、もう……おばばさまには、かないませぬ」 「あの岡本何とやら申した……?」 「岡本小平太」 「ふむ、ふむ。小平太は口のかたい男かや?」 「それは、もう……」 「ならば、そっと遊んできてもよいぞや、ゆるす」 「まあ……」 「まだ、しばらくは、この屋敷へ滞留することになろう」 「では、まだ忍びの……?」 「実はな……」  と、伊佐木は声をのみ、しばらくしてから、 「実は、宇佐美さまも、わしも迷うておるところよ」  と、いった。 「どちらにせよ、むずかしいことじゃ。何しろ、肝心の上杉謙信公には、あくまでも、われらの忍びばたらきを内密にしておかねばならぬゆえな」 「むかしから、御屋形さまは忍びばたらきがおきらいなのです」 「ばかなことよ」  吐き捨てるように伊佐木が、 「わしも、はじめて、この春日山へ来て見たが、このように明け放しの城下も城も世にはあるまい。わしがもし、謙信公をひそかに殺せ、との命をうけ、この城下へ忍び入ったるときは、わけもなく謙信公のお命をちぢめまいらせることができよう」 「おばばさまならば、あるいは……」 「なにがおかしい、なにを笑う」 「いえ、別に……」 「おかしなむすめよ。それほどまでに、そなたは謙信公のちからを信ずるのかや?」 「あい」  伊佐木は、上杉謙信を、まだ見たことがない。  それだけに、 (この乱世に、つまらぬ名目にこだわり、それを正直に押しつらぬこうなどとしている大将では、とても天下はつかめぬ)  と、思っているらしい。  それは於蝶にも納得がゆくことであった。  関東管領としての責任をあくまでも果し、関東を平定してから京都へのぼろうとする上杉謙信なのだが、武田・北条の同盟軍によって、これがいつも阻止され、十数年もの間、一進一退の状態をくり返すばかりなのである。  しかもあまりに越後を留守にしていると、越中の神保長職《じんぼながもと》が春日山をねらって押し寄せる気配を見せる。  越中を攻めれば、すかさず武田信玄が信州へ乗り出して機をうかがうというわけで、謙信としては一時もこころのやすむときがないのだ。  越中には、神保長職のほかに椎名泰種《しいなやすたね》という武将もいる。  さらに……。  越中にも、そのとなりの加賀(石川県)にも一向宗徒という強大な勢力が存在するのだ。  一向宗とは浄土真宗の異称で、かの親鸞上人が創始したものだ。  この仏教を信じ、総本山ともいうべき大坂の石山にある本願寺の指令ひとつで、日本全国の信徒がうごく。  信徒の中には武士もあり農民もありで、その勢力のすばらしさは非常なものであった。  このころの大きな寺院は相応の軍事力をそなえている。  石山の本願寺などは、寺というよりも、むしろ城のかまえであって、これが後年の大坂城となるわけだが……。  それだけに大名たちの領国支配を素直には受け入れぬ強固な団結力があり、近畿・東海・北陸の一向宗徒は、大名たちの圧力を一揆《いつき》によってはね返してしまう。  一揆とは、彼らの集団行動を意味するものだ。  加賀では八十年ほど前に、この一向一揆がおこり、加賀の国の守護大名・富樫氏を倒して加賀一国を支配したほどのすさまじいちからを持つ。  徳川家康も、つい四年ほど前に、自分の領国である三河の一向宗徒の反乱に苦しめられているほどであった。  総本山の本願寺には顕如《けんによ》という偉い坊さまがいて、これが本願寺十一代目の法主であって、大坂の石山に腰をすえ、全国の宗徒を指揮し、 「戦国大名などに勝手をさせてはおかぬ!」  と、威勢をほこっているのだ。  武田信玄も、織田信長も、この本願寺顕如には一目も二目もおき機嫌をそこねまいとしている。  越中の神保長職は、この一向宗徒とたくみに手をむすび、そのちからを背景にして上杉謙信と対抗した。  謙信は何度も越中へ攻め入り、神保軍と戦いつづけてきている。  すると……。  武田信玄は、本願寺や神保長職を蔭からうごかし、上杉軍が越中へ向うや、すぐに信州へあらわれて背後をおびやかす。  信州へ駆けもどると、今度は越中が不穏となる。  これでは謙信も、春日山を中心にして只もう行ったり来たりするだけのことだ。  そうして、おびただしい戦費をつかい果し、兵を失う。  軍師・宇佐美定行は、 「もはや、関東をおあきらめ下され。今よりは、まっしぐらに越中を攻め、これを平定して加賀を我手につかみ、それより一気に京へ……」  以前から、しきりにすすめている。  定行は軍船を大量につくり、この海軍をもって日本海から北陸一帯を制覇しようという夢を抱いている。  しかし、上杉謙信は、 「自分は関東管領の職責を果さねばならぬ」  と、いい張ってやまない。  関東管領の役目……などといっても、いまは天皇も将軍もあって無きが同様という戦乱の時代なのである。  皇室も将軍も、天下をねらう強豪大名たちのちからの前には手も足も出ない。  だから大名たちが進物を贈って運動をすれば、わけもなく、どちらへもなびいてしまうのであった。  皇室のまわりにも諸方の大名たちのいうままに事をはかる公卿たちがいるし、将軍のまわりにも同じような権臣がはびこってい、この権臣どもが主の将軍をさえ殺してしまう世の中なのである。  宇佐美定行が、そのことにふれるや、 「そのようなことは、余にもわかっておるわ」  むしろ上杉謙信は、あわれむかのように、この老軍師を見て、 「将軍といい、管領といい、守護といい、それらすべての役目は人をおさめ、国をおさむるものであろうが……」 「いかさま……なれど名のみにてちからなき役目を背負うていても世はおさまりませぬ」 「申したな、駿河。では、この輝虎に関東をおさむるちからなしと申すか」 「それはちがいまする」 「どこがちがう?」 「上様には関東をおさむるよりも、天下をおさめていただかねばなりませぬ。そのためには、いまや関東に御ちからをそそぐよりも、信州との国境《くにざかい》をかため、上様には一気に越中、加賀をおさめて上洛をなさるべきかと存じまする。関東から東海へ、さらに京の都へとなれば、武田はもとより北条、徳川、織田などの……」 「彼らが、おそろしいか?」 「いえ、それは……」  すると、上杉謙信は、 「関東を平定できぬものに、何で天下が平定できよう」  きっぱりと、いい切ったものである。  こうなると宇佐美軍師には手も足も出なくなってしまう。  謙信が若いころからの病身で、それを闘志と気力で押えつけて戦いつづけてきているが、宇佐美定行としては、 〈いつまで、それが保つか……?〉  であった。  三年ほど前には、関東から帰った直後、大熱を発し、一時は重態におちいり、 「上杉輝虎、死亡す」  のうわさが世にひろまったことがあるほどなのだ。  於蝶と伊佐木が春日山へ来てから、またたくまに日がながれすぎていった。  伊佐木は、宇佐美定行と何度も密議をかさねているらしいが、その内容は於蝶にも知らせてはいない。 「わしはな、宇佐美さまに、われら杉谷忍びのみでなく、たとえば和田伊賀どのからも忍びを出してもらい、共にちからを合せて事をなしたらいかが……とな、何度も申しあげてみたが、おきき入れにならぬ。宇佐美さまはな、どこまでも、われら杉谷忍びのみをつかって事をなそうといわれるのじゃ。よくよく見こまれたものよのう。なるほど、思いきって忍びをつかおうというからには、こころより信じたのむわれらのみにまかせようというおつもりなのであろうが……」  伊佐木は苦笑している。  では、いったいその、 「事をなそう」  というのは、どのような�事�をなそうというのか……?  忍びの数が少く、組織の層もうすい杉谷忍びのみで何か事をなそうというからには、複雑な、こみ入った仕組ではなく、たとえば於蝶と伊佐木の二人だけでやれることに限る、といってよい。  於蝶は、彼女なりに見きわめをつけていた。 (むかしから御屋形さまの邪魔ばかりしている信玄・武田晴信をひそかに殺す……)  このことである。  もし、その計画ならば……。 (おばばさまがついていて下さるなら大丈夫。みごとに信玄のいのちを奪って見しょう)  於蝶は闘志に燃えていた。  川中島決戦の前後、武田陣営に潜入したときの武田方忍びたちの警戒ぶりは一糸もみだれぬものであったし、 (やるとなれば、わたしの生涯のうちで、もっともむずかしい忍びばたらきになるであろ)  と、於蝶は考えている。  やがて、越後に秋が来た。 「井ノ口城が、ついに織田信長の手に落ちました」  との知らせが入ったのは、このころであった。  織田信長はすでに井ノ口城主・斎藤竜興と重臣たちの間を引きさくための工作をおこない、これに成功をおさめていたが、この年(永禄十年)の初秋になって、 「今度こそは!」  猛然として井ノ口へせまった。  信長は、佐久間信盛、柴田勝家などの家来と共に、井ノ口城がある稲葉山の山つづきにある瑞竜山から攻めかけた。  うわさによれば……。  今度の井ノ口攻めには、信長の家来で木下藤吉郎という者が非常なはたらきをしたそうである。 「身分のかるい者なれど、織田随一の利者《きけもの》だそうな」  との評判を、於蝶も甲賀にいたころから耳にはさんでいたが、まさかこの男が後に豊臣秀吉となって天下を平定するなどとは思っても見なかった。  井ノ口城は、ついに落ちた。  斎藤竜興は力つきて織田信長に降伏し、伊勢・長島へ退いたという。  信長は長年の望みであった井ノ口進出を果した。  これは美濃の国を平定したことになる。  尾張から美濃へ、信長が歩を進めたことは、それだけ京の都へ近づいたことになる。  信長は、本城を尾張・小牧山から井ノ口へうつし、 「これより、井ノ口を岐阜とあらためるぞ」  と、いった。  岐阜の名は、周の文王が岐山におこり、天下をおさめた故事にちなんで名づけたといわれる。  このころから……。  織田信長は、 「天下布武」  の文字をしるした朱印をつかいはじめる。 「おれは武力をもって天下を平定するぞ!」  と、天下に向けて叫び出たわけだ。  桶狭間に今川義元を討ち、戦国大名としての実力をしめした信長は、この井ノ口城落城によって、さらにスケールの大きな目的へ向って驀進《ばくしん》しはじめたのである。  織田信長の岐阜進出のことをきいてから、宇佐美定行と伊佐木との密談は緊迫の度を更に加えたようである。  この間、新井丈助は何度も外出し、ときには二日も帰らぬことがあった。  丈助が他の杉谷忍びと連絡をたもち、次々に新しい情報を伊佐木の耳へとどけているらしい。  秋も深まった或夜ふけのことであったが、  ひとり、先にねむっていた於蝶を、 「これ、これ……」  伊佐木がゆりおこした。 「於蝶よ。いよいよ別れじゃ」 「おばばさまと?」 「いかにも」 「それは……?」 「はじめはな、わしもお前と共に忍びばたらきするつもりであったが……いまは、様子が変ったのじゃわえ」 「わたくしは、どこへ?」 「井ノ口へ……いや信長が新しき主となったる岐阜へ行けい。先ず、銭屋十五郎のもとへ、な」 「で、おばばさまは?」 「わしか、わしは、な……よしよし、申しきかせよう。もともとお前と二人して行くつもりでいたところゆえな」 「そこは甲斐の国……」 「ほほう……」 「古府中の武田城下」 「よう当った。お前もそこまで鼻がきくようになったか。よしよし」 「では……では、おばばさま御一人にて、武田信玄のいのちを……」 「新井丈助のほかに、二名ほどが手つどうてくれよう」 「では、いよいよ信玄のいのちを……おばばさま、私も連れて行って下さりませ」 「ならぬ。信玄のいのち、ちぢめまいらせることはむずかしい。わしも無理はせぬ。ま、案ずるなや」 「はい……」 「さ、行け」 「いまからでございますか?」 「忍びには、いささかのゆとりもない筈」 「なれど……」 「上杉謙信公のお顔をまだ見てはおらなんだの。見せてやりたいが、そうもならぬ。そのかわり、それ……それ、そなたが手をつけたあの若ざむらい……うむ、岡本小平太と申したな」 「あい」 「行きがけに、ちょいと抱いてやりなされ。おばばがゆるす」 「まあ……」 「さ、仕度、仕度……」  こうなってはさからうことも出来ない。  たちまちに於蝶は身仕度をととのえ、かねてから用意してあった千駄櫃《せんだびつ》を背負うや、暗い内庭へ下りた。  伊佐木も共に下りて、塀際まで見送ってくれた。 「では、おばばさま。くれぐれもお気をつけられまして……」 「うむ、うむ。かならずまた会えようわえ。わしも甲斐の国では死なぬつもりじゃ」 「たしか、でござりますな?」 「たしかじゃ」  うなずいた於蝶の躰が宙にはね飛び、塀外へ消えた。  岡本小平太の屋敷は、宇佐美定行邸の東面にあった。  このあたりは、上杉謙信の傍近くつかえる侍臣、旗本たちの屋敷が多い。  岡本家では、三年ほど前に父母を相次いで失った小平太が当主となっている。他の屋敷がまえにくらべると小さなものだが、いまの小平太は小者をふくめ二十数名の家来をもち、 「槍の小平太」  と上杉家中でも呼ばれるほどの勇士になっていた。 (おばばさまのおゆるしを得たことだし)  於蝶は、暗い城下町の道を歩みつつ、もう一度、小平太の顔を見てゆきたいと思った。  岡本屋敷の塀の内へ、於蝶が潜入したのは、それから間もなくのことであった。  千駄櫃を庭の一隅へかくしておき、身軽になった躰へ、於蝶は例の墨流しをまとった。  庭づたいに奥へ……。  このころの武家屋敷のかまえは大小それぞれに同じようなものであるから、たちまち於蝶は小平太の寝所前の廊下にたたずむことができた。  板戸をわずかに開け、於蝶が微風のように部屋の中へながれこむ。  板張りの寝所であった。  その中央に夜具をのべ、岡本小平太が熟睡している。  燭台に、ちょろちょろともえている灯りを横顔にうけて、小平太は仰向けとなり、ふとくたくましい両腕を胸の上で組むようなかたちで寝入っていた。  前の路上で出会ったときよりも層倍に、小平太が大人びて立派に見えた。 (これがあの小平太どのかしら……?)  近寄って、のぞきこむと、まだどこかに少年のおもかげがのこっている。  そう感じると、於蝶は「顔を見るだけにしておこう」と思っていたことも忘れてしまい、顔を近づけて小平太のくちびるへ自分のそれをかさねた。 「あ……」  目ざめて飛び起きかけた小平太の耳もとへ、於蝶のくちびるがひたと押しつけられ、 「井口蝶丸でござる」  六年前の男言葉で、すばやくささやいたものである。 「おお……」  小平太が瞠目《どうもく》した。  しかし、まだ於蝶とは気づかず、 「そこもとは宇佐美様の……」 「この前、道でお目にかかりましたな」 「これはまことか……まことに、そなたは井口蝶丸……?」 「あい」 「むう……よく見れば、たしかに……そ、それにしても……」 「身ぶりひとつ、顔のつくりひとつで、小平太どのの目をあざむくはわけもないこと」  於蝶が、くすりと笑う。  いまの於蝶は化粧も落し、美しい衣裳もぬぎ、女の旅商人の風体だし、躰のうごかし方も口のきき方も六年前にもどして見せている。だから小平太も思い出してくれたのであろう。  それとわかるや、岡本小平太はたちまちに両腕をひろげて於蝶を抱きすくめ、 「ま、待っていたぞ」  と、声をふるわせた。  於蝶も、小平太の愛撫にこたえつつ、 「御屋形さまには、お変りもないか?」 「うむ、うむ……」  小平太は夢中で、於蝶をむさぼりはじめている。 「これ、もっと静かに……」 「うむ、うむ……」 「屋敷のものに気どられてはならぬ」 「かまわぬ」 「かまわぬことはない」 「蝶丸は、もう、どこへも行かぬな。おれの屋敷にいてくれるのだな?」 「ばかな……」 「なに?」  ゆたかな女の乳房から顔をはなして、小平太が、 「では、またどこかへ?」 「そっと忍んで来たのが精いっぱい。夜が明けぬうちに出て行かねばならぬわたしじゃ」 「ああ……」  うめき声をあげ、小平太が、すでに裸身となった於蝶の、しなやかな胴へしがみつくようにして、 「この上、まだ待てというのか……」 「なぜ、嫁御寮を迎えなさらぬ。ばかなことではないか」  しらずしらず井口蝶丸のむかしにもどり、やさしく小平太の全身を撫でさすってやりながら、 「何も彼も、御屋形さまの御ためにすることゆえ、わたしのことなど忘れてもらいたい」 「いやだ」 「ききわけのないこと」  漠然とではあるが、岡本小平太も、 (蝶丸は、宇佐美定行様につかわれている忍びだ)  と、察していた。  激しく、そして秘めやかな愛撫が終ると、 「で、御屋形さまは?」 「蝶丸。それがな……」 「それが……?」 「どうもおもわしくない」 「え……?」 「先日、御主殿の奥で血を吐かれた」 「ま……」 「それを見たのは、おれだけじゃ。御屋形は誰にも申すなと、かたくかたく口どめをなされたのだが……他ならぬおぬしゆえ打ちあけるのだ」 「あい」 「御屋形は気力のみで戦っておられる。常人ならば病床について身うごきもならぬほどなのに……」 「それほどにかえ?」 「心配でならぬのだ、おれは……」  いいつつ、小平太は、またも狂おしげに於蝶の躰へ愛撫を加えはじめた。 「これ、小平太どの……」 「いやだ。どうしても去るというのなら、そのときまで、おれはおぬしを離したくない」 「あ……痛いではないか、これ……ち、乳、乳を噛んでは痛いというのに……」 「かまわぬ、かまわぬ」  ひたむきな小平太の前には於蝶も我を忘れた。  どれほどの時が流れたろう……。 「もはや、空が白みかける……」  つぶやいて、於蝶が半身をおこした。  しっとり肉のみちた彼女の背も汗にぬれていた。  於蝶は、小平太の厚い胸板の汗をぬぐってやり、その胸肉へくちびるをつけて、かるく舌でまさぐりつつ、 「傷あとがふえたこと……」  と、つぶやいた。 「生きようとは思わぬ」  小平太の声がおもおもしく、 「このような戦乱の世だ。おれは明日にも死ぬるつもりだ……なれど、こうしていま、ふたたび、おぬしにめぐり会えようとは……」 「あい」 「おれとおぬしが……どこぞの国の百姓の男と女であったなら、と、つくづく思うこともあった。むろん、そのつもりになれば、いまからでもこの春日山を脱け出し、百姓になることも出来よう。御屋形様は去る者を憎まぬ御方ゆえな」 「いかにも、な……」 「なれど……やはり、おれは、おぬしよりも御屋形様あってのおれだ。わかるか?」 「あい」 「あのような御病気をもちながら、それを少しも表にはあらわさず、御屋形は一つ一つ、御自分が背負うた責任《つとめ》を果そうと、なされておられる。ただ正直に、ただ真一文字に、な……それが、ばからしいことだろうか?」 「はて……?」 「おれは、そう思わぬ」 「あい」 「よし、御屋形が志をとげずに御他界あったとしてもくやむことはない。世は、人は、御屋形のごとき生様《いきざま》によってささえられているからだ。これは百姓、町人、武士を問わず、正直に、おのれがつとめを果す者なくては、人びとの暮しがたたぬ。米もとれなくなろうし、布を織ることもならぬ。われらが身にまとい口に入れるものは、正直につとめする者のみが生み出すことを得る」 「あい」  六年の間に、岡本小平太がこれだけのことを考えるようになったかと……於蝶はおどろきもし、たのもしくもなった。 「世の中は正直の底力の下に、謀略がうごめき、悪が栄える。しかも悪は善をあざ笑っている。だが、いかにあざ笑おうとも、善なくして悪は成り立たぬのだ。このことは古今を通じて変ることなし!」 「その通りじゃ」 「悪は善に食べさせてもらっているのだ」 「よう、そこに気がつかれた」 「なればこそ、おれは、あくまでも関東管領のつとめを果さんとする御屋形様と共に戦う」 「わたしも……」 「関東がおさまらずして、天下をおさむることは出来ぬ」 「小平太どの……」 「蝶丸……」 「於蝶とよんで……」 「於蝶……」 「あい」 「どうしても、行くのか……」 「行かねばなりませぬ」 「また会おうというてくれ」 「会えますとも」  差しのべる岡本小平太の腕から身をさけ、於蝶は部屋の中から廊下へぬけ出しつつ、こういった。 「御屋形様を、たのみましたぞ、小平太どの」 [#改ページ]  岐 阜 城 下  於蝶と伊佐木が、越後・春日山へ滞留している間に……。  近江・観音寺城のうごきが、微妙なものとなってきている。  城主・六角|義賢《よしかた》が、 「あのお人では将軍位が保てぬ」  はっきりと、そういい出したのである。  あのお人というのは、足利義秋のことだ。  すでに、義秋は近江・矢島の本拠を捨て、越前の朝倉義景のもとへ去っている。  これは、矢島の豪族たちが三好三人衆と通じ、義秋にそむいて身が危くなったからであった。  ここで、三好三人衆について、のべておきたい。  もともと三好家は、阿波の国の守護大名・細川氏の家来であった。  細川氏は将軍・足利家の支族でもあり、足利将軍による室町幕府が天下をおさめることになると、当然、その地位も高まり、幕府の管領家として威勢をほこった。  だが、戦国の時代を迎え、将軍家がおとろえると共に細川家もちから弱まってゆき、これに乗じたのが家来の三好長慶である。  長慶は、主の細川氏に取ってかわり、幕政の実権をにぎって、京都を支配した。  ところが……。  この三好長慶が死ぬや、 「いまこそ、われらの手によって天下をつかみとろう!」  と、起ち上ったのが三好三人衆である。  その一人、三好|長縁《ながやす》。  その一人、三好|政康《まさやす》。  この二人は、三好家の同族であるが、さらに一人、岩成友通《いわなりともみち》を加えた三人を「三好三人衆」とよぶ。  三人とも亡き三好長慶の重臣であったものだが、長慶の養子でまだ若年の三好|義継《よしつぐ》を擁し、京都における実権をつかみとろうとした。  ときの将軍が、足利義輝で、この剛勇無双の将軍が三好三人衆にとっては、 「どうにも邪魔である」  なのだ。  そこで、これも元は三好の家来であった松永久秀《まつながひさひで》を味方に引き入れ、 「将軍を殺してしまおう」  と、もちかけたものである。  いまは、奈良の多聞城の主となっている松永久秀だが、この男、旧主・三好長慶の実子であった義興を、毒殺してしまったほどの男だから、将軍暗殺なぞは何でもないのだ。  彼らの陰謀によって、足利義輝が討たれたことはすでにのべた。  ゆえに……。  三好三人衆も松永久秀も、奈良の一乗院から逃げ出し、坊さまになるのをやめて、 「自分が次の将軍になる」  と、言い出した足利義秋を、だまって見のがす筈はない。  三人衆や松永久秀が、 「このお人こそ、次の将軍である」  と叫んでいる人物がいる。  足利|義栄《よしひで》である。  義栄は十一代将軍義澄の孫であるから、足利義秋の従弟《いとこ》ということだ。  むかしから三好家の本拠である阿波の国に育った義栄を三人衆や松永久秀があやつり、これを傀儡《かいらい》の将軍にしておき、自分たちが実権をにぎろうというのだ。  この事実に対して、 「どうにも、おもしろくないわい」  と、六角義賢は顔をしかめてもいた。  自分が大好きだった前将軍・義輝を殺してしまった憎い三人衆であり松永久秀なのである。  だから、足利義秋を矢島に迎えたときには、 「義秋公を奉じ、彼らを討ちほろぼしてくれよう」  と考えていたのだが、 (これは、いかぬ……)  いざ、足利義秋に会って見ると、六角義賢は、あたまをかかえてしまった。  ときに、足利義秋は二十九歳。  兄・義輝が将軍位についたものだから、彼は少年のころ、早くも一乗院へ入って坊さまになる修行をしてきていた。  それがいま、兄の死により、将軍位をついで天下にのぞもうとしている。  それはよい。  それはよいのだが、たびたびのべているように、いまの将軍に実力はない。  あくまでも他の大名、武将たちのちからを借りねば何事も出来ないのだ。  義秋が、和田伊賀守を通じ�観音寺さま�の六角義賢に、 「助力をたのむ」  と、申し入れてきたのはよいが、それからはもう、やたらに諸方へ使者を送って、 「助力をたのむ」  を、やりはじめたものだ。  上杉謙信にたのむかと思うと、武田信玄にも北条氏康にもたのむ。  さらに織田信長へも、 「一時も早く、矢島へ迎えに来てくれ」  などと、たのむ。  信長は、まだ岐阜を手に入れていなかったときだし、引きうけはしたが、なかなか近江までは進出できない。 「では斎藤家と仲直りせよ」  義秋は、もう将軍気どりで、しきりに命を下す。  上杉謙信にも、 「武田と仲直りせよ」  と、いってやる。  とにかく、一人前の将軍のつもりで、足利義秋は天下をあやつっている気なのである。  これが六角義賢には、ばかばかしく感じられてならない。子供の戦さ遊びではないのだ。  義賢よりも先に、子の義治《よしはる》のほうが、足利義秋に見きりをつけてしまい、父には内密で、ひそかに三好や松永と手をむすんでしまった。  実は、このことで、観音寺城でも大分にもめごとがあったのである。  つまり、城主の六角義治と、隠居の�観音寺さま�との二派に家来たちが分れて争ったのだ。  事情はともかく、 「三好、松永などに通ずるなどとは、もってのほかじゃ。しかも父のわしに内密で……」  と�観音寺さま�は怒った。  すると六角義治は、 「父上は隠居なされた身で、城主たる自分のすることに、いちいち口をさしはさまれる。いまの世は強き者が弱き者の血肉をむさぼりくらう世でござる。義秋公ごとき人物のためにはたらいて見たとて、われらの浮ぶ瀬はなし」  と、こたえる。  そこで観音寺城に騒動が起りかけたのである。  それにしても、 「義秋公は、ゆだんのならぬお人じゃ」  と、六角義賢は思った。  口先ひとつで諸国の大名をあやつり、その中で、もっとも自分にとって有利な勢力をえらぼうというのが足利義秋で、その上さらに、 「いったん、坊さまになるのをやめると、ああなるものか……」  義秋のまわりにつかえているものも、いささか呆れている。  何が�ああなる�のかというと、女だ。  一夜たりとも女を抱かなくてはおさまらない。  しかも出来得れば、一夜ごとに違った女がよいという足利義秋なのだ。  それでいて、 「もはや矢島にいては、あぶない」  と、勘もするどくはたらく。六角家にも見きりをつけられたらしいし、矢島の豪族が三好、松永へ内通して、自分の首をとろうと考えている……それをたちまちに看破し、 「越前の朝倉義景へたよろう」  すぐさま五人の家来のみをつれて、足利義秋は夜陰に乗じて矢島をぬけ出し、琵琶湖をわたり、越前へ逃げたのである。  こういうわけで、いま、近江の国に足利義秋はいない。 「けれども、観音寺さまでは大分にさわぎがおこっているようで、な」  と、岐阜城下で銭屋をしている杉谷忍びの十五郎が、春日山からもどって来た於蝶にいった。  いったんは、おさまりかけたと見えた騒動がまた深刻の様相をあらわしてきたらしい。  隠居の�観音寺さま�は、 「義秋公がたよりにならぬことはともあれ、六角家が前将軍を殺した三好、松永の党と手をむすぶことはゆるさぬ!」  と、いいはる。  しかし、城主の六角義治は、 「隠居の父上などには、もうかまわぬ」  どしどし三好や松永との連携をふかめ、彼らと共に京都を制圧して天下に乗り出そうという野心まんまんたるものがあるらしい。 「それで、善住房さまは?」  於蝶が問うと、十五郎は、 「いま、旅に出ておられますようで」 「どこへ?」 「それは頭領様のみが御存知のことじゃ」 「いかさま、な……」  岐阜へついて、先ず、於蝶が十五郎に訊いたことは、市木平蔵の行方についてであったが、 「それが、ふしぎなことで……いまだに行方が知れぬ」  十五郎は真からふしぎそうに、そうこたえた。  市木平蔵の死を知る者は……。  伊佐木と杉谷源七老人の二人のみであったけれども、 (おかしい……?)  於蝶は、杉谷忍びの中でも手練者といわれたほどの平蔵が忽然として消え果てたことに、どうしても納得がゆかなかった。  伊佐木からは、 「わしか、頭領どのの命あるまでは岐阜をうごくな」  といわれてきている。  甲賀へも戻れぬ於蝶であったし、 「外へ出てはなりませぬ」  銭屋十五郎も、きびしい顔つきでいうのだ。  この年も暮れようとしていた。  井ノ口から岐阜と名があらたまり、この城下町が織田信長のものとなってからは、 「まるで町中が踊り出したような……」  活況を呈しているらしい。  戦火に焼けただれた城や町が、おそるべき速度で復活しつつあった。  尾張から美濃へ……。  織田信長の本城が移る。  尾張の清洲に本拠をかまえていたころから、信長の商業政策は型やぶりのものであったことを、於蝶は知っている。 「これからの戦さが、人や刀槍でなく、大きな金銀のちからだということを、織田信長という大名は、ようもわきまえているようじゃ」  と、亡き叔父・新田小兵衛が於蝶に洩らしたこともあった。  清洲では、城下の連雀町に、日を定めて市《いち》がひらかれ、 「雨がふっても商いの出来るよう、小屋をもうけてやれ」  と、信長が命じ、他国から入って来て商いをする者たちのため、丸太にむしろをかぶせた仮小屋のようなものを建てならべてやった。  これらの商人たちは、行く先々の城下町で一種の営業税をおさめて商いをするわけだが、信長の清洲城下では、これがおどろくほどに安い。  だから、清洲の市の日には、他の町を捨てても商人たちがあつまったものだ。  取り引きは物々交換が七分で、貨幣が三分の割合であったが、それから七年を経たいま、岐阜城下での商いは、貨幣取り引きが五分にのぼったそうで、 「とても、かなわぬ」  銭屋十五郎も三人の使用人と共に多忙をきわめている。  銭屋は貨幣の交換を業とするものだが、信長のスケールの大きな町づくりに種々雑多な商人・工人が入りこんでいるので儲けも大きい。  この儲けは、みな杉谷信正のもとへとどけられ、頭領によって、それぞれの忍びたちの家庭へ配分をされる。  織田信長も、いまのところは小牧山の城と岐阜との間を往来しているが、稲葉山の裾にある居館が完成すれば、こちらへ引き移って来よう。 「信長という大名は思いのほかの金持ちじゃ。何事にも惜しみなく金銀を投じ、金銀を散ずるようじゃ……が、それよりも時を急ぐありさまが只事ではない」  と、十五郎がいった。  岐阜城下の様子は、銭屋十五郎によって絶間なく甲賀の杉谷屋敷へ報告をされている。  三人の使用人はいずれも忍びであるから、夕方に岐阜を出ても、その夜のうちに甲賀へ走りつき、翌日の昼ごろには帰って来てしまう。 「わたしも一度、甲賀へもどってみたい」  と、於蝶が十五郎にいうと、 「そのうち、頭領さまが岐阜の様子見がてらに、ここへおいでなさる」 「まことかえ?」 「何ぞ、於蝶どのへ忍びばたらきさせるおつもりらしいぞ」 「まことならよいけれど……」 「退屈をしたか?」 「これでは躰が肥えてしもうて……」  十五郎の言葉通り、それから数日して……それは冷雨がふりけむる夜ふけのことであったが、旅商人の風体で、杉谷信正が銭屋へあらわれた。  髪のかたちも変っているし、何よりも、あのふとい一本眉が、この頭領の顔から消えて、細い眉が常人のそれのように二つに分けて顔についていた。  これは一本眉をそり落した上で、つけ眉毛を貼りつけたものである。  まるで人相が変わった頭領の顔を、於蝶は、はじめて見た。 「むりもない。お前が大きゅうなってからは、わしも、ほとんど忍びばたらきに出ておらぬゆえな」  と、杉谷信正は瞠目している於蝶に苦笑して見せた。  それだけに、 (頭領さまが、みずからの眼で岐阜の様子を見にこられたというのは、只事ではない)  といってよかろう。  奥の間へ入り、杉谷信正は於蝶の給仕で熱い塩粥《しおがゆ》を食べながら、 「市木平蔵がことをきいたか?」  と、いった。 「はい。なぜに平蔵どのは……?」 「それがさ」  信正も、あぐねきった様子で、 「わからぬ。まったくわからぬことよ」 「なれど……」 「わしを裏切ったか……」 「そのようなことがある筈はござりませぬ」 「とすれば……死んでいる」 「は……」 「わしもな、お前をいとしゅうおもうていた平蔵ゆえ、杉谷家にそむくことはないと考える。となれば、死んでいる。どうして死んだのか、それはわからぬが……」 「はあ……」 「ときに……一昨夜、姉上からのたよりがあった」 「おばばさまは、古府中(甲府)へ忍び入られましたのか?」 「うむ」 「それで?」 「元気らしい。春日山へ向う途次、失うたねずみどもも、新しく飼いならしたそうな」 「まあ……」 「絶えず、春日山の宇佐美定行様と連絡《つながり》をつけているようじゃが……それによると、上杉謙信公は、観音寺様と同じように、足利義秋公には見切りをつけておられるようじゃ。このことをお前に申した上で……」  と、杉谷信正が箸をとめ、凝《じつ》と於蝶を見守り、 「さて、お前に、ひとはたらきしてもらわねばならぬ」  と、いった。  岐阜は、濃尾平野の北端にある。  城が構えられている稲葉山は海抜三三八メートル、北側が断崖となって長良川が山裾を洗い、東西南の三方は急坂・断壁と瑞竜寺山につらなる山なみにかこまれている。  この城と居館を、織田信長が再建したところ、ポルトガルから海をわたって日本へやって来た宣教師のルイス・フロイスが、稲葉山麓の信長居館について、こうのべている。 「自分は故国を出て、インドから日本へ来たのだけれど、これまでに見たいくつもの国々のどの宮殿よりも、信長公の宮殿はすばらしいものである」  さらに、 「高く長い石塁をめぐらした宏壮な宮殿には二十余の部屋があり、これらは巧妙な迷宮構造によってむすばれ、第二階には王妃(信長夫人)の休憩室、侍女の室があり、部屋部屋には金襴《きんらん》の布を張りつめ、縁および望台をそなえている。宮殿の第三階へのぼると、ここはまた閑寂なおもむきのある茶室などが、ひそやかにもうけられてい、第四階は展望台になっている。山裾から山上にかけ、さまざまの館舎がたちならび、その警衛は厳重をきわめていた」  異国人のみが、おどろいたのではない。  この城や居館を見た日本人のだれもが、 「これは夢の国へ来ているのではないのか……?」  瞠目した。  土と板と石を主体にした剛健質朴な武士の城や屋敷に、金や銀がちりばめられたのである。  織田信長が造型物に対して抱いていた美的感覚は、当時、何人も思いおよばなかったもので、こうした豪壮美麗な城や居館を出現させて天下へ誇示したのは、いうまでもなく、彼の実力を見せつけようとしたのだが、そればかりではあるまい。  信長は、 「おれは戦さをしながら、町を国を新しく建設してゆくのだ」  という激しい意欲を天下にしめしたのだ。  それはつまり、 「日本全国が、おれの手によって平和となる日を迎えるのは、もはや近い」  と、叫んでいるとも考えられる。  ともあれ……。  いまの岐阜は、そうした信長の町づくりに狂奔《きようほん》しているといってよい。  信長の居館を中心に、侍屋敷が続々と建てられつつあった。  人夫や工人たちにまじり、織田の家来たちも土と汗にまみれ、まるで戦場で闘っているようなすさまじい顔つきとなり、猛然とはたらきにはたらく。  季節は、冬に入っていた。  寒風も、この町づくりの熱気にはおよばない。  久しぶりで外出をゆるされた於蝶は、笠をかぶり、建設中の町へあらわれた。  材木を切る、土を掘る、荷車をひいた馬が走る。  その燃えたぎるような音響の中に立ちつくしていた於蝶が、ふっと彼方を見やり、 「ま……」  眼を細めて、かすかに笑った。  彼女の視線は、人夫がひく大石の上に立ち、怒号しているたくましい武士にひたと向けられていた。 「それ、ひけ! ちからをゆるめるな!」  武士は棍棒をふるって大石を叩きつつ、人夫たちをはげまし、叱りつけている。  これは、信長居館の石垣にでもするものか……。  見上げるほどの岩石の下に数本の材木を差しこみ、これを二十名ほどの人夫があやつりつつ、道を移動させているのであった。  岩石の上に突っ立っている武士は、三十前後の髭をたくわえた精悍な風貌だが、らんらんと光る彼の右眼と対照的に、左眼はかたく閉ざされていた。  彼の左眼は、於蝶によってつぶされたものだ。  この物語りがくりひろげられようとしたとき、尾張・清洲城外の川のほとりで、水浴を終えたばかりの於蝶にいどみかかった織田家の武士、滝山忠介なのである。  いま、忠介は三十歳になっている。  あれから六年……。  人夫を指揮して石を運んでいるようでは、滝山忠介もあまり出世をしたとも見えぬが、 「それひけ、それひけ!」  軽武装に身をかためて叫びつづける忠介を見やり、 (ま、相変らずな……)  くっくっと、かすかに笑い声をもらしつつ、於蝶は石をひく人夫たちの傍へ近寄って行った。 「女、これ、女!」  石の上から忠介が怒鳴る。 「どけい! そこ退けい!」  このとき、於蝶が笠のへりをつまみ、顔を見せた。 「あっ……」  石の上で、滝山忠介が、 「きさま……」 「お久しゅうござりました」 「うぬ!」  忠介が飛び下りるより早く、於蝶は身を返して、人ごみの中へ駆けこんでしまった。 「おのれ、まてい!」  忠介の怒号をきき、近くにいた織田家の士卒が馳せ寄るのへ、忠介が、 「あとをたのむ!」 「どうしたのだ?」 「わけは後で……」 「めったなことをすまいぞ」 「何、おれ一人のことよ」  いい捨てるや、滝山忠介は於蝶の後を追い、血相を変えて走り出した。  逃げる於蝶の足に、忠介は翻弄された。  長良川に沿い、於蝶は稲葉山の北側へ逃げこんだ。 「待て、おのれ……」  町をぬけ出るや、忠介は太刀をぬきはらった。  於蝶が足をとめて振り向き、 「斬ろうとか……ああ怖わ」 「うごくな」 「こわい、こわい」 「く、く、首をはねてくれる!」  川べりの、小道を北から東へ……。  どこまでも於蝶は逃げた。  先刻から石の上で声を張り上げていただけに、忠介の呼吸が荒くなった。  宙天に風は鳴っていたが、このとき雲間を割って陽光が落ちかかってきた。  このあたりは、岐阜城の裏側になるわけで、前城主・斎藤氏のころの柵や番所の跡が戦火に焼け残っている。  いずれは、これも修理されるのであろうが、いまは城下町と新城主・織田信長の居館の建設に全力がそそがれている。 「わしが岐阜へ入ってから築きあげる」  と、信長がいい、 「一時も早く、わしが起居するところを……」  居館の完成を急がせているらしい。  石や材木をはこぶ舟が絶間なく長良川の上流から下っているが、いま於蝶が駆けこんだ森の中は、稲葉山の裾が長良川へ落ちこんでいる個所で、道もなく、人影もない。 「待て!」  滝山忠介が、声をからし、ようやく森へふみこんで来たとき、於蝶の姿は、どこにも見えなかった。 「おのれ、おのれ!」  太刀をふるって樹々の小枝を切りはらいつつ、忠介は奥へすすむ。  樹林の間から陽がさしこんで来た。  ふかい森は風をさえぎっている。 「これ……」  不意に、よびとめられた。 「どこだ!」 「ここ」 「あっ……」  すぐ傍の枯草の上に、於蝶が横たわっていたのである。  太刀をふりかぶった忠介の腕は、そのまま空間へ静止してしまっていた。 「う、うう……」  忠介は、傷ついたけもののような、うなり声をあげた。 「このようなすがたになったわたしの首を切るのかえ?」  於蝶は、ぬぎすてた衣類の上に、何と裸身を横たえていたのである。 「おのれ、おの……」 「斬られてもよいけれど、でも、その前にいうておきたい」 「だまれ」  六年前の、五条川のながれで水浴びをしていたときの、しなやかな於蝶の肉体は、まだどことなく少女めいた硬いふくらみに引きしまっていたものだが……。  いま、初冬の午後の陽が縞《しま》になってながれこむ枯草の上に、わずかな恥じらいを見せつつ横たわっている彼女は、どこもかしこも成熟しつくしている。  滝山忠介の眼には、於蝶のひろびろと張った背中が見え、さらに、おどろくべき豊満な下半身の背面が屈曲しつつ息づいていた。  すくめた肩の向うに、於蝶の黒い双眸が忠介を見つめている。 「う、うむ……」  また、忠介はうなった。  彼の太刀をつかんだ右腕が、だらりとたれた。 「お、お、おのれ……」 「まだ、怒っていなさるのか?」 「おのれ、この、おれの眼を、よくも……」  と、いい出すや、さすがに怒りがこみあげてきたらしく、忠介は、ふたたび太刀をふりかぶった。 「あのとき、わたしは忠介どのに抱かれてもよいと思うていた……」 「いうな!」 「まことじゃ。なればこそ、こうして、わざわざお前さまの前へ顔をみせたのではありませぬか」 「おれは眼を……」 「それもこれも、お前さまが無理強いに荒々しゅう、わたしをもてあそぼうとなされたからいけないのじゃ。お前さまは刀をつきつけて、わたしを手ごめにしようとなされたではないか」 「む、う、うう……」 「ひきょうなこと」  於蝶の眼が妖しく笑みをたたえ、 「もそっと、やさしゅうして……」  いいながら、ゆっくりと両腕をひらき、躰の向きを変え、仰向けになった。 「あ……」  忠介は、刀をだらりと下げ、ふらふらと歩み寄って来る。 「やさしゅうしてくれれば、このわたし、お前さまの思いのままじゃ」  甘い、切なげな女のささやきであるし、忠介は眼のやり場に困った。  白い、ゆたかな起伏が、忠介の瞳孔いっぱいに飛びこんできている。 「寒い……」  うったえかけるようにいい、於蝶が恍惚の表情となって両眼を閉ざし、 「寒いではないかえ……」 「う、う……」 「早う抱いて……」  忠介の手から、太刀が落ちた。 「早う、ぬくめて……」  忠介が、急に、猛然となって武装を外しはじめた。  しばらくして……。  ふたりは、ふたたび衣類を身にまとい、肩をならべて森の中にすわりこんでいる。  滝山忠介の右眼は、もう笑っていた。 「いや……あのときは、おれも、たしかに悪かった」  と、いう。 「おわかりかえ?」 「おれも若かったし……それに、戦さの最中で気もたかぶっていた」 「戦場では、いつも女をあのように……」 「ちがう。そりゃその……あのときのお前が、あまりに美しかったからだ」 「ま、そのような……」 「まことだ」  腕をのばし、忠介はまた愛撫を加えつつ、 「お前の父、弓師・政右衛門は?」 「亡くなりました」 「そうか……」 「お前さまの眼を、あの縫針でつぶしてしもうたことをはなすと、父はもう、この清洲にはおられぬといい、すぐに御城下を発ち、京の都へまいりましたなれど……それからはひどい苦労つづきで……」 「知らなんだ。それは、すまぬことであった」  今度は忠介が、わびている。  突然、於蝶は滝山忠介に、 (人のよい、素直な……)  好意を抱いてしまった。  すると、今度の忍びばたらきが層倍の張りをともなってきて、おもわず、こちらからも、もろ腕をさしのべて、忠介のくびを抱きしめた。  於蝶が、忠介の耳朶へくちびるをあて、かるく噛みしめつつ、何か、ささやいた。  結婚をしたのか?……と、きいたのである。  赤くなって、忠介はうなずいた。 「お子たちはえ?」 「二人じゃ」 「まあ……それでは、わたしを嫁御寮にしてはもらえぬ」 「すまぬ」 「よいわえ」 「え……?」 「妻にならずとも……お前さまが、わたしを可愛ゆいとおもうて下さるなら……」 「思う、思う」 「まことかえ?」 「うん」 「わたしを捨てぬかえ?」 「むろんのことだ」 「わたしのために、ちからになってくれますのか?」 「なる、なる」 「わたしは、いま、ひとりきり……」 「すぐにな、おれも殿様と共に、この岐阜へ引き移ってまいる。そうなれば何とでもしてお前を、わが屋敷へ引き取ろうではないか」 「いや!」 「え……?」 「お前さまの妻や子たちと共に暮すのはいや」 「なれど、そういたすよりほかに……」 「ねえ、忠介さま……」 「な、何だ?」 「わたしが殿様の御殿へ御奉公にあがったら……そうなれば、お前さまとも忍びあえましょう」 「そりゃ、いかぬ」 「なぜ?」 「殿様はきびしい。たとえ侍女たちといえども勝手はゆるされぬ」 「大丈夫」 「ばかな……」 「わたしがきっと、手だてをつけ、こちらからお前さまのもとへ忍んでまいりまする」 「なれど……」 「殿様の御身まわりに近い侍女にはとてもなれますまい。もとは弓師のむすめゆえ、な……もっとしもじもの御用をする女中に……」 「いかぬ。だめだ。御殿へ上る女たちへは御詮議がきびしい。どうだ、木下藤吉郎殿か、柴田勝家様のお屋敷へ御奉公に上っては……」  於蝶は、わずかな沈黙の後に、 「あい」  うれしげに、うなずいた。 「よし。それなら何とかなろうし……互いに忍びあうことも出来るぞ」 「うれしい」 「於蝶……」  たまりかねて、忠介が於蝶を押し倒そうとしたが、するりと彼の腕の中からぬけて立ち上がり、 「では、急いで京へもどり、家をたたみ、後始末をし、亡き父の墓にも別れをつげてまいりまする。待っていて、待っていて……」  甘やかにいいながら、於蝶は鳥のように森の中から飛び出して行った。  滝山忠介は茫然としていた。 〈底 本〉文春文庫 平成十三年十二月十日刊  単行本 文藝春秋 一九八四年十二月刊